2020年2月、豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」に突如持ち込まれた未知のウイルス。光陰矢の如しとは良く言ったもの、あれから5年が過ぎ去りました。
プリンセス号が横浜港に入港、新型コロナは「死の病」という位置付けでしたから、マスコミは大騒ぎ。ウイルスを持ち込ませるな、広げるなという姿勢で、実にセンセーショナルに報道していました。
この映画では、当時とは異なる視点(プリンセス号の患者を救う!)から、実に冷静にたんたんと船内の格闘を映像化し続けました。感染症の専門家ではなく、災害時の医療チーム「DMAT(ディーマット)」が最前線で格闘していたことは知りませんでした。ひとりでも多くの命を救うという揺らがない軸を持ち、ベストを尽くす姿には感動しました。
しかし、公共放送たるべきNNK始めマスコミメディアは、一貫してセンセーショナルに興味津々(おもしろおかしく?)報道し続けました。確かに視聴率は上がり、人々の関心を引き付け続けたと思います。一方、船内で必死に格闘する視点からの報道は、少なくとも私には届きませんでした。
映画の中でも登場しました。「これは面白い」「いやいや、もっと面白いことになりますよ」とほくそえむマスコミの姿……。視聴者受けする映像、インタビューを取ろうと躍起になっているシーンが幾つかありました。
極めつけは事実に基づいて映像化された、感染症専門家の動画です。寝る間を惜しみ、未知のウイルスと命をかけて闘うDMAT(医師と看護士)を「素人集団」とさげすみ、蚊帳の外から眺める医師の姿です。マスコミは飛びつくように、この映像を取り上げました。
それだけに、ラストシーンはスカッとしました。報道姿勢に目覚めた(テレビ)キャスターが、下船した親子にマイクを向ける場面です。心から感謝の言葉を述べる親子に、キャスターが寄り添うシーンがありました。
また、長い長い役目を終えて帰宅した若い医師の頬には、くっきりとマスク痕が付いていました。医師や看護士の家族は、近所や学校で「ばい菌扱い」され、仕事に行けなかったり、不登校になったりしました。
そういえば、コロナ流行直後は、他県ナンバーの車に投石する報道がありました。コロナに感染した家に投石したり張り紙したりする輩もいました。日本人のレベルの低さを痛感した出来事でもあります。
映画では取り上げられませんでしたが、コロナはその後、ワクチン問題が社会生活を混乱に陥れました。私自身は「新型コロナ」「ワクチン」について、テレビ報道に疑問を抱き続け、本を求めて読んだり、ネットで調べまくったりしました。その情報は、このホームページ「コメントの部屋」でも、幾度となく取り上げました。
新型コロナは結局、(私自身が当初から思っていたとおり)通常のインフルエンザ並みと言うことで落ち着き、今日に至っています。しかし、ワクチン後遺症で苦しむ人は、依然としてマスコミ報道から遠ざかったままとなっています。少なくとも、私の周辺でも免疫異常で苦しんだり、実際に手術をされて不自由な生活をされたりしている方が数人おられます。しかし、国はその大半をワクチン後遺症とは認定していません。認定してもらうには、あまりにハードルが高すぎることが一因です。
すこぶる身近では、伴侶も愚弟の伴侶も「帯状疱疹」を患って苦しみました。(ワクチン接種直後でしたから)ワクチン後遺症に違いありません。
飯南町では今でも、ワクチン接種について「あなたを救う 私が救う」(ワクチン接種しない人は間接的に非難?)をキャッチコピーにし、6月にもパンフレットが配布されました、……。