マスクを巡って、日本人と欧米人との国民性の違いを中心に文章化しました。
今年3月13日、欧米から一年遅れて「マスク着用は個人の判断」となりました。が、出歩いてみると以前のマスクマスクマスクマスクの風景とほとんど変わりません。
人通りのない歩道を歩いている人もマスク、運転手しか乗っていない乗用車の運転手もマスク、店に入ればマスクマスクマスクマスク……。
島根県ではここのところ、感染者が百人未満で推移しています。約66万人の県民に対して100人未満です。約659,900
対 100人です。ということは、依然として「新型コロナ」は「エボラ出血熱」並みの「死の病」という意識が巣くっているのでしょうか?
今や重症化率も死亡率も、新型コロナはインフルエンザ並みか、それ以下です。はっきりと厚生労働省のHPにも掲載されています。
つくづく、マスコミの最初の(42万人が死にますなどと恐怖を煽った)「すり込み」の威力抜群です?
ただ、教材にあるように、欧米人と日本人との「顔認識」に対する大きな違いはありそうです。また、3年間も「マスク生活」をしていると、すっかり習慣化してしまい、マスクをしていないと落ち着かない。不安だ。恥ずかしい。 ……という一面もあるのでしょう。
先日、大きな会議室で9人の会議(長机に1人〜2人)がありました。進行役だった私だけマスクをしていませんでした。
冒頭「マスクは個人の判断ということで、私はマスクをしていません。今のマスク社会を以前の素顔社会に戻したい、という個人的な思いがあります。批判されても私は、先駆けの一人になりたいと考えています。でも、もし不快に感じられる方があったら、遠慮なくご意見ください。私もマスクを着けます。」
すると、5時間の会議でしたが、マスクを一人外し、また一人外しして、9人中4人がマスク無しの会議となりました。老化現象を始めている私の耳にとっても、とても嬉しい出来事でした。
むろん、マスクは個人の判断ですから「マスク姿を批判」しようという意図はありません。個人の判断で「ノーマスク」の人が増えれば有り難いと願っているだけです。
帽子をかぶってのマスク姿、前髪で額を覆ってのマスク姿は、私にとっては最悪です。個人が全く特定出来ません。それでなくても顔覚えの悪い私です。マスクでの初対面では、全くその方を覚えることが出来ません。
マーケットで買い物中、今でもほぼ全員がマスクです。私の率直な印象としては、覆面の人が買い物をしています。
今月中旬から、また要約学習の授業が始まります。生徒の表情が読めないむなしさ、悲しさを味わいながらの授業になるのでしょうか?