退職後
(その7)

.

2022.9.10


コメントの部屋へもどる



退職その後(その1)
退職その後(その2)
退職その後(その3)
退職その後(その4)
退職その後(その5)
退職その後(その6)

  
   
=退職直後
=退職一年目 & 母のこと
=短歌
=愛犬
=健康のためなら……
=バレーボール指導



保育所勤務への誘い


 平成28年(退職5年目)2月中旬、A教育長から思いがけない話がもたらされました。この年(平成28年)4月1日から「赤名保育所の所長」をしてもらえないだろうか?

 町内4保育所あるうち2保育所(来島・赤名)は、3月で所長の退職が決まっていること。町内の保育士の年齢構成が全体的に若くて、次の所長にふさわしい年齢(45歳=役場の課長級の年齢)に達していないとこと。また、来島保育所は、役場職員(元:住民課長)だったYさんに決まっているとも……。

 当時は「要約学習」のため、シーズン中(特に6月・7月・9月〜12月)は週2日から4日、あちこちの学校に出かけていました。保育所長を受けるということは、心血を注いでいる(自分で勝手に思っている)「天命」に従えなくなる……。

 その上、日課にしてる愛犬との森の道ランニングが、冬場は不可能になるのではないか……?

 これら実情を話して、物理的に受けることは難しいと伝えました。

 すると、勤務条件は毎月20日程度(平均的には週4日勤務)であること、この4日間は「半日ずつ」分散してもいいこと。一日の勤務時間は6時間であること。町内の学校に出かけるときは、「保小中高一貫教育」を行っていることもあり、勤務時間としてもいいことなど、実に条件のいい話です。

 悩みました。迷いました。教育委員の関係で抜けることもあります。要約学習とのやりくりができるのか? 自分としては、どちらを優先するのか? ……

 教育長は次のようにも話しました。「赤来地区は学力面で長い間、県平均を下回ってきている。保小中高一貫教育もふまえ、町内の幼児教育で何か出来ないか、それを模索するためにも骨を折って欲しい。」

 もともと幼児教育に関心があった私です。この言葉は、私の心の琴線に触れました。概ね受ける方向で検討するが、もう少し考える時間が欲しい旨を伝えて、その日は終わりました。

 そして熟慮の末、天命と受け止め、翌日「所長を受ける」と正式に教育長に伝えました。65歳の私にとって、降って湧いたような人生が始まることになりました。

.








勤務4年間を振り返って


環境整備

 前保育所長との引き継ぎの中で、特に心に残ったのが環境整備です。とりわけ広大な「所庭」(=園庭)の除草作業、日々多忙を極めている保育士にとって、これに関わる余裕がないとのこと。

 なるほど、全体を見渡して所庭のほぼ1/3近く、雑草がはびこっています。それでも炎天下、少しでも時間的な余裕がある保育士が、コツコツと「手作業での除草」を頑張っているとのことでもありました。

 これで一つ決まりです。環境整備と保育士の負担軽減に貢献しよう! ……着任前に、一つ大きな目標が定まりました。

 ちなみに、勤務時間は「8時30分〜3時15分」(勤務時間=一日6時間)と届け出てスタートしました。ところが、3時15分はまだ所児(=園児)は午睡中です。3時半頃に所児が起床、おやつの時間、お別れの時間(終礼)と続き、4時15分頃から保護者の迎えが始まります。

 退庁時刻は3時15分の筈ではありましたが、相応の給与をもらっていることでもあります。夕方の日課(ランニング)との兼ね合いで、退庁時刻を自分勝手に「4時15分〜4時30分」と変更して、勤務がスタートしました。


保育所か保育園か? 
= 児童福祉法においては「保育所」を正式名としています。 ただ「保育所」と「保育園」に保育施設としての違いはありません。開設にあたってどちらの名称を使うかについては、特に法律の規定はなく、それぞれの保育施設がどちらかを選んで施設名を設定しています。(飯南町は「保育所」。よって、園庭は所庭、園児は所児が正式な呼び名です。)

 

 午前中は基本的に、子ども達で所庭が賑わっています。除草作業は「午睡時の午後」と決めました。季節によって違いますが、基本的に2時半頃から1時間〜1時間20分程度、所庭に繰り出しました。夏場は汗びっしょり、暑さとの戦いとなりました。

 子ども達が走り回る中心部は、雑草が一本ずつ風にそよいでいます。当初は一本一本手抜きをしていました。が、とても能率が上がりません。間もなく、除草用のクワを持ち出して一本一本根こそぎ掘り返し、レーキで集めて棄てる方式に変更しました。

 草が概ね無くなったところで、今度は古タイヤを車の後ろに付けて、所庭をグルグルと走り回って、地面を平らにならします。これで完成、見栄えも良くなります。

 問題は地面で「根」を絡ませ合っている、頑固な雑草群です。これは一本一本というわけには行きません。地中に根っこを伸ばしている、その一番深いところまで「ごっそり」土ごと掘り返します。その後は地面をならしていきます。 ……これは、実に長期間にわたって作業が続きました。

 所庭以外にも、所庭のフェンス周りの水路沿いに、雑草がしぶとく生命力を発揮しています。これも、1〜2ヶ月もすると元通りになります。その上、所庭の雑草群との闘いも、ほとんどイタチごっこです。根比べです。

 出来るだけ使わないようにしてはいましたが、高価な除草剤「ラウンドアップ」にも、ずいぶんお世話になりました。

 ところで、私の右手小指は、退職の年にバスケットで痛め、内側に変形しています。バレー指導の後と同じく、クワを持って作業した後は、小指から手首にかけてズキンズキン痛みが走ります。 ……しかし、これは「勲章」だと勝手に決めつけて辛抱しました。

 このこだわりの除草作業は、退職の時まで続きました。保育士にとって、何ほど負担軽減になったかは判然としません。が、仕事をやったという「形」が後に残る作業なので、自己満足にはなりました。

.





所児との関わり

 私は教員免許はありますが、保育士免許はありません。基本、(保育士免許を持った)所長とは、立ち位置も貢献する場も限られてきます。

 午前中、保育士は所児の保育に係りっきりになります。この間、私(所長)の役割は(引き継ぎの時に言われたとおり)電話番と訪問者の対応、対外交渉が「主」となります。

 保育所には「保育主任」が一人います。学校では教頭に当たる位置づけですが、(免許も経験もない私が所長なので)実質的には、保育所の運営は保育主任が担っていました。ある意味、私は主体性のない(決定権のない)宙ぶらりんな存在でもありました。

 保育所は「設定保育」もありますが、基本的には「自由保育」が現状です。自由保育の時には所児の活動状況を観察するとともに、「保育所だより」(命名は「からすだより」)に掲載する写真を撮るために、神出鬼没の私でした。

 保育所ではたった一人の「男の大人」です。(家庭以外で、男の子のお手本に自然とならざるをえません) ⇒基本的に威圧的に怒ることの無い私です。一方、所児は無邪気で人なつこい特長を持っています。どっぷりと遊び興じることは基本的にありませんでしたが、所児との交流は(私にとって)実に心温まるものでした。

 年長児は所外に出かけることも、少なからずあります。保育主任は「未満児」(3歳児未満の所児)担当ということもあって、そういうときは私(所長)が一緒に出かけました。

 今振り返りみるにつけ、保育所勤務の4年間、幼い子ども達は私の心にほっこりとした温かい「お宝」をプレゼントしてくれました。

.





からすだより



 私は学校に勤務中、「学級だより」「学校だより」「部活動だより」「国語通信」など、熱心に発行し続けてきました。小田小(3年間)、赤来中(6年間)は、学校のホームページを担い、連日写真を20枚〜30枚を掲載して児童・生徒、教職員の活動・頑張りを発信し続けてきました。

 それを背景にして、「保育所だより」を担うことを提案し、受け入れてもらいました。当時「保育所だより」は月初めに発行。行事予定、所児の誕生日の紹介、季節ごとのお願いなど事務的な内容で埋まっていました。

 私が目指していた「保育所だより」は、所児の様子を伝えること、職員の頑張りを紹介することが中心です。趣旨が違っています。 ⇒ということもあって、翌年度からは私が発行する便りは「からすだより」と命名、従来の「保育所だより」は、以前のように保育士が交代で担当することになりました。

 「からすだより」の趣旨は上記の通りですから、一目瞭然でインパクトがあるのは「写真」満載です。A4判用紙表裏刷り、写真が埋まると発行するという「不定期発行」としました。4年間、概ね週1.5号発行になりました。

 間もなく(5月)問題が発生しました。4月の印刷代(インク代)が急伸したと、保育主任から申し出がありました。原因は私の「からすだより」(写真)は明白です。「発行回数を減らそう」と善後策を話し合っているとき、そばにいた保育士が 思いがけない提案をしてくれました。

 
役場に行って、住民課(保育所を統括)に相談したら、役場で印刷してもらえるんではないですか?

 これが大ヒット! でした。住民課長(蛇足=課長は在籍所児の祖父)が二つ返事で「保護者が喜ぶことだから」と提案を受け入れてくださいました。その上、半年後には「カラー印刷に変更」を提案されました。「とんでもない」と断ると、役場の印刷機が替わって「白黒印刷もカラー印刷も料金はほとんど変わらない」とのこと。

 白黒印刷とカラー印刷とでは、見た目もインパクトもぜんぜん違います。「棚からぼた餅」とは、まさにこのことです。

 この便りを巡っては、保護者から「様子がよく分かって喜んでいる」との声をたびたび聞くことがありました。自分が保育所に関わって、一つよかったことかな? と、自己満足気味ではありますが振り返っています。

.




勉強

 幼稚園は「幼児を保育し、適当な環境を与えてその心身の発達を助長すること。」
 保育所は「日々保護者の委託を受けて、保育に欠けるその乳児又は幼児を保育すること。」


 基本的には文科省の管轄か、厚生労働省の管轄かという大きな違いがあります。が、私の脳裏には「伊崎田保育園」(鹿児島市)の強烈な印象が巣くっていました。実際に見学に行き、横峯文吉園長(プロゴルファー:横峯さくら選手の叔父さん)と話す機会もありました。

 伊崎田保育園では「心・学・体」のうち「学」においては、次のようにHPに記載があります。

 読み・書き・計算から自ら学んでいきます。『自主学習の力』を身につけることを目的として、年齢に応じ毎日コツコツと出来ることを積み上げていきます。


        
伊崎田保育園



 3歳児から「自学自習」が日課に組み込まれており、大半の子が「小学校3年生」までの基礎的な学力を手に入れて卒園していく。学びは園児にとっては「遊びの一環」として受け止められている。学びの他にも「逆立ち歩行」「跳び箱」「レスリング(男の子)」「ピアニカ(全員が絶対音感を習得)」「合奏」などなど、ビックリする内容です。

 むろん、上の下線部を期待しているのではありません。学力調査の結果(経年変化)を集団で見ると、「小学校低学年の学力が、ずっと中学校以降まで大きな影響を及ぼしている」ことは明白です。

 具体的には、小学校入学時に「ひらがな」を習得している児童は、心身ともに余裕を持って小学校生活がスタート出来ます。その後の学力が順調に伸びていっています。

 逆に、小学校入学時に「ひらがな習得」で難渋した子は、心の奥底に劣等感を抱き続けるとともに、成績面で苦難の道を歩んでいます。

 ちなみに、言語力(読解力)という側面から見ると、(古典の)暗誦が大きな成果を得ることも、私の体験・研究から明らかになっています。これは年末・年始に「百人一首」カルタ大会導入でお茶を濁した? 程度で終わりました。

 

 しかしながら「保育所」は「学校」の下請けではありません。保育所は基本的に「遊びの中で総合的に心身の発達を促す」ことに存在意義があります。

 しばらく様子を見て、次の2点に私のアクション(関わり)を絞って、保育主任・年長児担任にお願いをしました。

@ 年長児でひらがなが読めない子は、個人的に「昼休み」(1時15分頃〜1時50分の間の適切の時間)に個別指導をする。入学時までには最低、ひらがなが読めるようにしておく。

A 年長児は毎日、「要約学習」の導入的な学習をする。具体的には「私の簡単な話「例=アメンボはなぜ水に浮かぶか?」を聞いて理解し、みんなの前に立って再現(スピーチ)する」学習です。時間帯は「午睡前」「終礼後」など、担任の意向で揺れました。


 @は、当初は目当ての2人〜3人でしたが、「ぼくも」「わたしも」とやってきて、人数が増えました。やむなくというか、待ってましたというか、希望者にはその子用の小プリントを作ってやって、進める子はどんどん進化を促しました。

 これは自由遊びの一角に「勉強コーナー」を設け、年長児(5歳児)に限り出入り自由の空間としていました。年長児(5歳児)にプレゼンのテーマとして「漢字」を取り上げました。取り上げたのは(簡単な象形文字)30字です。

 このときをきっかけに、漢字一大ブームがわき起こりました。昼休み時間「自由学習の時間」を店開きしていましたが、ひらがな・カタカナをマスターした子が、問題プリントに「漢字」を加えて欲しいと申し出てきました。

 迷った末に、せっかくやる気満々の時期を逃す手はないと考え、上記30文字(漢字)の「読み方をひらがなで書く」プリントを作りました。

 幼児は友達と競うことが大好きです。というより、幼児は競い合う存在です。チャレンジする子が続出! 14名のうち、5名〜7名がこのプリントに幾度となく取り組み続けました。

 たいした実践とは言えませんが、「漢字大好き」にして小学校へ送り出したという実感(充実感)は残っています。

 ……が、残念。この@は、保育士の申し入れもあって、3年目中途で店じまいしました。


 Aは子ども達も、この時間を朝から心待ちにするほど楽しみにしてくれました。時間が一日15分以内なので、年長児が多い年度は「4人〜5人」ずつ交替で実施しました。この時間帯に、「絵を見せない読み聞かせ」(=自力読書を促す実践)「手品」(私の特技:タネに関して知恵を学ぶ機会)も導入しました。

 振り返って、保育士にとっては違和感のある実践だったと思います。何とか私の熱意を汲んで(熱意に負けて?)ワガママを容認してくれていたと思います。

 私の本心としてはもの足らない思いが残っていますが、よくぞ受け入れ続けてくださったと、感謝の思いでいっぱいです。

 残念ながら私の退職後にも生き続けるという「夢」は断たれましたが、保育所に導入する手がかり、手応えを得ることだけは確認が出来ました。 
……天国で生かせるチャンスでもあれば、張り切ってがんばります。

 さて、その成果ですが、「小学校入学後、きっと何かの役に立つはず」という薄ぼんやりとした自己満足かな? ただ、子ども達がこの時間を朝からとても楽しみにしてくれていました。このことは、私の充実感(確かな手応え)として残っています。

.

.


学校における教育活動は
労力を惜しんで
あること(例えば便りの発行・新規事業の実践)を
たとえ行っても
たとえ何もしなくても
給料は変わりません。

かえって
何もしないことの方が
軋轢を生まないこともあるのが
人の世の常です。

それを承知で実践する……
そこには[教育愛][生徒愛]あるのみです。
この尊い実践の根幹を学ばせてもらったのは
初任校「大東中学校」
先輩のT先生でした。
以後の教育実践において
常に私の指針となり続けました。



 
退職時にプレゼントしてもらった
子ども達との連写(下部:一部)



6つの内容が書かれています。
保育士が所長と所児との関わりを好意的にとらえて
良さとして書き出してくれました。

.









蛇足
〜要約学習などとの関係〜


 ひとことで言うと、保育士の皆さんにたいへんご迷惑をおかけしました。振り返って、お詫びの言葉しか浮かびません。

 毎週4日勤務が原則ですが、お言葉に甘えて「半日ずつ休日を取得する」方法を採りながら凌いできました。

 午前中は職員室が空になります。来訪者・電話対応で、勤務を開けるわけにはいきません。小中学校で設定する「要約学習の時間帯」は、すべて午後に計画してもらいました。

 出雲市の小学校が大半でしたが、出かける日は給食を食べるか食べないかの時刻で、保育所を後にしました。5時間目に何とかギリギリ間に合いました。(浜田市に出かけるときは、やむなく朝から一日不在)

 また、町内に出かけるときには、教育長の言葉(保小中高一貫教育だから、勤務内と見なす)もありましたが、自分の中では「一日6時間勤務の契約の所、一日7時間勤務しているので、多少は許される」と、「勤務時間内でカウント」という勝手解釈で出かけました。

 大雨が降って保育所前の赤名川が、午後になって増水した日がありました。が、2ヶ月前から設定していた関係上、急な予定変更はさすがにしにくくて、予定どおり(昼過ぎに)出雲市の小学校へ出かけたこともありました。

 週1日分の休日振り分けでは足りなくて、「有給休暇」で出かけるときもありました。振り返って、学校によってはやむなくお断りしたり、出かける学級数を減らしたりせざるを得ませんでした。

 総じて「苦しかった」「迷惑をかけた」「勝手だった」という思いが残っています。退職したときには「こういう肩身の狭い思い」から解放されたことが、何と言っても  いちばん嬉しかったことを覚えています。

.




所児の皆さん
保育士の皆さん
4年間
ほんとうに
ありがとうございました。
衷心から厚く感謝申し上げます。