退職して間なしに、赤名短歌会(会長:中村二四三さん)の皆さんが3人、我が家にやってこられました。要件は、赤名短歌会への入会です。
私自身は国語の教員として、授業では毎年「詩歌」を扱ってきていました。短歌への興味関心はありました。百人一首を始め、和歌(短歌)の暗誦は二百首を越えていると思います。その奥の深さに魅せられ、自分でも駄作を何首か作ってもいました。
しかし、その短歌づくりを退職後の「趣味」にしようなどとは、全く思いもしなかったことです。才能もないと、自分なりの分析もありました。なぜどうして私のような者に、赤名短歌会への勧誘をされるのかな? という疑問もありました。
具体的なやり取りは忘れましたが、「自分に合わないと思ったら、いつ辞めてもいい。」とのこと。 ……「これはきっと神さまの思し召し」と考え、最終的には「承知しました、よろしくお願いします。」という流れになりました。

赤名短歌会のメンバーは、入会当時は12人(現在は9人)。中村会長が80歳代後半、全員が60歳以上という高齢者の集団でした。定例会は毎月、第3金曜日午後(13:30〜16:00頃)。その一週間前に自分の「詠草」(短歌の作品)を会長さんのもとへ届けます。
当日は、順番に一首ずつ取り上げながら井戸端会議のような「感想発表会」があります。最後に(木次の短歌会)岩佐恒子さんが指導者として、添削・講評をしてくださいます。
赤名短歌会の特色は、年度末に『ふじつる』という歌集を発行し続けていること。しかも、この歌集には赤来地域の学校(赤名小・来島小・赤来中・飯南高校)卒業生の作品も掲載されていることです。この趣旨が認められ、「赤い羽根共同募金」から補助金(5万円)をいただいています。制作費(約200冊)が概ね9万円ですから、とても大きな補助金です。
依然として「短歌の素養のない私」ではあります。が、次々と事件が起こりました。
中村会長の逝去
体調を壊し、養護老人ホームで(2年近く)過ごしておられた中村会長さんが、平成30年夏、永眠されました。赤名公民館館長時代に赤名短歌会を発足され、ずっと「会の維持」と「地域への短歌の灯」を担い続けてこられた中村さんの永眠は、会員に深い悲しみをもたらしました。
会長さんの辞世の句です。
夫婦して98歳迎へたり体保ちて生きて行くらん
会長さんが施設に入られて以降、副会長だった私が「会長代理」として、中村会長さんの任を担ってきました。以後はその流れで、私が会長を受けることとなりました。
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岩佐指導者の引退
長年、赤名短歌会の指導講師を担ってこられた「岩佐恒子さん」が、中村さん他界の翌年7月、娘さんに連れられて長野へ引っ越されました。
(尾道松江線が開通した平成27年からは)広島松江線の高速バスが赤名を通らなくなったため、ご高齢(当時86歳)でもあったので、郵送での始動が続いていました。が、一人暮らしを心配された娘さんが、長野へ引き取られました。
こうやって、赤名短歌会は2年連続して「大きな柱」を失うこととなりました。会員相談の上、以後は指導者を置かずに毎月の「例会」を行ってきています。
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朝日新聞「歌壇」選者に!
平成29年春の出来事です。唐突にN先生(島根県短歌会会長)が勤務先(赤名保育所)にやってこられました。N先生は愚弟の中学校時代の担任であるとともに、私自身にとっては初任校(大東中学校)国語科の先輩教員でもあります。
要件は、朝日新聞島根欄「短歌の選者」を受けてくれとのこと。とんでもない話です。荷が大きすぎます。短歌の選と寸評は国語教員でしたので、まぁ何とかなります。要は、毎月掲載される「選者吟」です。
それでなくとも、如何にも素人っぽい短歌を作り続けている私です。「こんな短歌を作る人が選者か?」と思われるに決まっています。必死で固持しました。
しかし、N先生も「あんたが受けてくれんなら、何回でも頼みにやってくる。」と一向に引かれません。N先生には何かと「恩」もあります。とうとう引き受けざるを得なくなってしまいました。
そして、今日に至っています。未だもって自信作が生み出せない、歌人になりきれない私がいます。毎月〆切前は必死です。 ……これも、神さまの思し召しなのでしょうか?
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雲南短歌会を背負う事態に!
またしても、N先生がらみです。今年5月下旬、唐突に分厚い手紙が届きました。概ね、次のような内容です。
雲南短歌会の会長さんが、高齢のために施設に入られた。雲南短歌会を長年担ってこられた(前:赤名短歌会講師)岩佐さんが県外へ引っ越して行かれた。そこで、「雲南短歌会の今後についてはあなた(N先生:島根県短歌会、前会長)が会長になって運営して欲しい」との伝言とともに、書類等一切が入った「箱」を、会長の奥さんが持ってこられた。しかし、自分も高齢(87歳)で持病が悪化している。ついては、あなた(烏田)が会長を受けて欲しい。
いやはや、これまた、とんでもない提言です。さっそくご自宅を訪問して、詳しい話を伺いました。
雲南短歌会一番の業務は、「短歌大会」の開催。15支部が輪番で会場を受けながら、おおむね隔年で短歌大会を開催してきている。
話を伺って、たとえN先生といえども、個人的な一存で「会長」を受けることは出来ない旨を伝えました。併せて、15短歌会の代表者会を開き、雲南短歌会の善後策について協議すべきと提案しました。
さっそく6/19(日)、代表者会が設定されました。が、突然(一週間前に)「この会は見送る」と、N先生からハガキが届きました。ご自宅に電話をすると、N先生が緊急入院ということが判明!
いきさつが冗長になりました。
N先生は日にちを置かず退院されましたが、以後は病状がすぐれず、すべてご家族(ご子息)との電話やりとりとなりました。結果、(書類の入った)「箱」は、私が引き取ることに……。
7/22 「箱」を受け取りに、ご自宅に伺いました。N先生の病状は悪化の一途、命は一週間持たないだろうと、ご子息の話。 ⇒⇒⇒そして翌日(7/23)、N先生は天に召されました。
今後、雲南短歌会をどうすべきか? ……赤名短歌会・頓原短歌会の皆様に諮りながら決めていくことになります。
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なお、短歌を巡っては昨年4月より、頓原短歌会の講師を務めることになり、今日に至っています。まさに待ったなし、精進あるのみの私です。