退職後
(その3)

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2022.8.13


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退職その後(その1)
退職その後(その2)
     
      
=退職直後
=退職一年目・母のこと




短歌


 退職して間なしに、赤名短歌会(会長:中村二四三(みよじさん)の皆さんが3人、我が家にやってこられました。要件は、赤名短歌会への入会です。

 私自身は国語の教員として、授業では毎年「詩歌」を扱ってきていました。短歌への興味関心はありました。百人一首を始め、和歌(短歌)の暗誦は二百首を越えていると思います。その奥の深さに魅せられ、自分でも駄作を何首か作ってもいました。

 しかし、その短歌づくりを退職後の「趣味」にしようなどとは、全く思いもしなかったことです。才能もないと、自分なりの分析もありました。なぜどうして私のような者に、赤名短歌会への勧誘をされるのかな? という疑問もありました。

 具体的なやり取りは忘れましたが、「自分に合わないと思ったら、いつ辞めてもいい。」とのこと。 ……「これはきっと神さまの思し召し」と考え、最終的には「承知しました、よろしくお願いします。」という流れになりました。

  

 赤名短歌会のメンバーは、入会当時は12人(現在は9人)。中村会長が80歳代後半、全員が60歳以上という高齢者の集団でした。定例会は毎月、第3金曜日午後(13:30〜16:00頃)。その一週間前に自分の「詠草」(短歌の作品)を会長さんのもとへ届けます。

 当日は、順番に一首ずつ取り上げながら井戸端会議のような「感想発表会」があります。最後に(木次の短歌会)岩佐恒子さんが指導者として、添削・講評をしてくださいます。

 赤名短歌会の特色は、年度末に『ふじつる』という歌集を発行し続けていること。しかも、この歌集には赤来地域の学校(赤名小・来島小・赤来中・飯南高校)卒業生の作品も掲載されていることです。この趣旨が認められ、「赤い羽根共同募金」から補助金(5万円)をいただいています。制作費(約200冊)が概ね9万円ですから、とても大きな補助金です。

 依然として「短歌の素養のない私」ではあります。が、次々と事件が起こりました。


中村会長の逝去

 体調を壊し、養護老人ホームで(2年近く)過ごしておられた中村会長さんが、平成30年夏、永眠されました。赤名公民館館長時代に赤名短歌会を発足され、ずっと「会の維持」と「地域への短歌の灯」を担い続けてこられた中村さんの永眠は、会員に深い悲しみをもたらしました。

会長さんの辞世の句です。

夫婦して98歳迎へたり体保ちて生きて行くらん

 会長さんが施設に入られて以降、副会長だった私が「会長代理」として、中村会長さんの任を担ってきました。以後はその流れで、私が会長を受けることとなりました。

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岩佐指導者の引退

 長年、赤名短歌会の指導講師を担ってこられた「岩佐恒子さん」が、中村さん他界の翌年7月、娘さんに連れられて長野へ引っ越されました。

 (尾道松江線が開通した平成27年からは)広島松江線の高速バスが赤名を通らなくなったため、ご高齢(当時86歳)でもあったので、郵送での始動が続いていました。が、一人暮らしを心配された娘さんが、長野へ引き取られました。

 こうやって、赤名短歌会は2年連続して「大きな柱」を失うこととなりました。会員相談の上、以後は指導者を置かずに毎月の「例会」を行ってきています。

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朝日新聞「歌壇」選者に!

 平成29年春の出来事です。唐突にN先生(島根県短歌会会長)が勤務先(赤名保育所)にやってこられました。N先生は愚弟の中学校時代の担任であるとともに、私自身にとっては初任校(大東中学校)国語科の先輩教員でもあります。

 要件は、朝日新聞島根欄「短歌の選者」を受けてくれとのこと。とんでもない話です。荷が大きすぎます。短歌の選と寸評は国語教員でしたので、まぁ何とかなります。要は、毎月掲載される「選者吟」です。

 それでなくとも、如何にも素人っぽい短歌を作り続けている私です。「こんな短歌を作る人が選者か?」と思われるに決まっています。必死で固持しました。

 しかし、N先生も「あんたが受けてくれんなら、何回でも頼みにやってくる。」と一向に引かれません。N先生には何かと「恩」もあります。とうとう引き受けざるを得なくなってしまいました。

 そして、今日に至っています。未だもって自信作が生み出せない、歌人になりきれない私がいます。毎月〆切前は必死です。 ……これも、神さまの思し召しなのでしょうか?

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雲南短歌会を背負う事態に!

 またしても、N先生がらみです。今年5月下旬、唐突に分厚い手紙が届きました。概ね、次のような内容です。

 雲南短歌会の会長さんが、高齢のために施設に入られた。雲南短歌会を長年担ってこられた(前:赤名短歌会講師)岩佐さんが県外へ引っ越して行かれた。そこで、「雲南短歌会の今後についてはあなた(N先生:島根県短歌会、前会長)が会長になって運営して欲しい」との伝言とともに、書類等一切が入った「箱」を、会長の奥さんが持ってこられた。しかし、自分も高齢(87歳)で持病が悪化している。ついては、あなた(烏田)が会長を受けて欲しい。

 いやはや、これまた、とんでもない提言です。さっそくご自宅を訪問して、詳しい話を伺いました。

 雲南短歌会一番の業務は、「短歌大会」の開催。15支部が輪番で会場を受けながら、おおむね隔年で短歌大会を開催してきている。

 話を伺って、たとえN先生といえども、個人的な一存で「会長」を受けることは出来ない旨を伝えました。併せて、15短歌会の代表者会を開き、雲南短歌会の善後策について協議すべきと提案しました。

 さっそく6/19(日)、代表者会が設定されました。が、突然(一週間前に)「この会は見送る」と、N先生からハガキが届きました。ご自宅に電話をすると、N先生が緊急入院ということが判明!

 いきさつが冗長になりました。

 N先生は日にちを置かず退院されましたが、以後は病状がすぐれず、すべてご家族(ご子息)との電話やりとりとなりました。結果、(書類の入った)「箱」は、私が引き取ることに……。

 7/22 「箱」を受け取りに、ご自宅に伺いました。N先生の病状は悪化の一途、命は一週間持たないだろうと、ご子息の話。 ⇒⇒⇒そして翌日(7/23)、N先生は天に召されました。

 今後、雲南短歌会をどうすべきか? ……赤名短歌会・頓原短歌会の皆様に諮りながら決めていくことになります。

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 なお、短歌を巡っては昨年4月より、頓原短歌会の講師を務めることになり、今日に至っています。まさに待ったなし、精進あるのみの私です。

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しまね歌壇
2022.7.30 掲載



@ ウクライナの戦禍の空に瞬ける星の涙や草花の露      (飯南)石○○○

 映像で見るウクライナの惨状は、まさに目を覆うばかりです。そのウクライナへの切ない思いを「く星の涙」「草花の露」と詠い込まれた表現力は見事です。これぞ詩歌の世界です。満天に(またたく星、草生(くさふに咲いている小さな草花の露でさえ、この地球の惨状に悲しみを表出しているのでしょうか。


A 山峡の新樹の覆う祖母の家軒に緑雨のカーテン下がる      (松江)新○○○

 緑雨とは、新緑の季節に降る雨のことです。その緑雨が、さながら「軒にカーテン下がる」が如く降り注いでいる情景が美しく目に浮かびます。ところが、その家は「山峡」(狭い谷間)の樹木に覆われている、かつては祖母が住んでいた家。心情が込められている下の句がずしりと堪えます。


B 何となくブルーな朝は食卓のキリコグラスに一枝のミニばら   (松江)大○○○

C ハルキウにキーフオデーサマリウポリ戦禍の国の(しき名哀し  (松江)村○○○

D 大方は共稼ぎらし造成地建つ家並みの昼の静けさ        (出雲)行○○○



[選者吟]水底にぢっと身を置き静まれる父の形見の年老ひし鯉

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しまね歌壇
2022年「選者吟」


1月 中押しの勝ちを読み切り打つ一手石を置く指ピシリとしなる

2月 ただにただぢっと虚空を見つめをる母を見舞ひて年改まる

3月 琴引の高くそびえて明らけし雲ゆうゆうとその上をゆく

4月 かなしみは明るさゆえに極まりてその現実を両手でかしずく

5月 散る花のうへにまた散る桜花けぶれるほどにふぶく花びら

6月 夕映えが空赤らかに染めぬきて身震いしたる山々の樹樹

7月 水底にぢっと身を置き静まれる父の形見の年老ひし鯉

8月 雷鳴に耳の開きて目覚むれば遠く近くにのたうち鳴れり

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赤名短歌会歌集
『ふじつる』
序文


 『ふじつる』第十六集をお届け致します。今年も多くの皆様の深いご理解と温かいご支援に支えられて発刊できたことを、心より感謝申し上げます。

 短歌は季節の移ろい、さまざまな出来事を捉えて、五・七・五・七・七という「‰C(?¢?n)韻」を踏みながら作る、日本独特の文学の世界です。短歌の魅力の一つは、リズムの心地よさが挙げられます。このリズムは古来、日本人に広く愛されてきました。

 赤名短歌会の会員は現在九名。毎月一回「定例会」を開催、詠草(短歌作品)を持ち寄り、井戸端会議風の語り合いを開いています。一方、年度末には歌集『ふじつる』を発行しています。この歌集の特色は、赤来地域の小・中・高校の卒業学年の皆様の作品を掲載していることです。赤来地域の児童生徒の皆さんには、飯南高校を卒業されるまでに、合計三回(三首)を掲載して巣立って行かれることになります。

 赤名短歌会は、これからも赤来地域に「短歌という伝統文化」の(ともしびを点し続けていきたいと強く願って活動を続けてまいります。

 終わりになりましたが、飯南町教育長 大谷哲也様には「短歌づくりは、ふと立ち止まって自らをふりかえったり、心の豊かさを育んだりする機会になっている」というありがたい祝辞を賜りました。また、学校を代表して飯南高等学校校長 青山顕紹様には、隠岐に流罪となった後鳥羽上皇がまとめられた『新古今和歌集』を念頭に、私たちの心を打ち続ける和歌(短歌)の存在意義に触れる祝辞を賜りました。ご多忙の中から感銘深いご寄稿をいただき、ほんとうにありがとうございました。

 なお、この歌集制作に当たっては、発刊の趣旨をくんでいただき、「赤い羽根共同募金」から温かい助成をいただいております。この場を借りまして厚くお礼申し上げます。
                            赤名短歌会会長 烏田勝信

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