沖縄は中国の領土か?
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2019.12.15(日)


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沖縄は中国の領土?


 中国共産党機関紙の人民日報が「琉球王国は独立国家で中国の属国」だったとして、日本の「強奪」を批判する論文を掲載。「琉球の帰属は歴史的に未解決」と主張し、沖縄の位置付けも議論すべきだと主張しました。

 新聞記事でこのことを知り、どきっとしました。沖縄は歴史的には薩摩藩が武力で支配下に置き、明治政府の廃藩置県政策で「琉球処分」(琉球王国の強制廃止)を経て、今日あるからです。尖閣問題で揺れる昨今だけに、これは中国も痛いところをついてきたぞ! という率直な感想です。

 むろん、沖縄は中国の領土ではあり得ませんが、果たして堂々と胸を張って「日本の領土」と言えるかどうか? 不安が残る私です。

 さっそく、これに関して沖縄県の地元紙は、どのように扱っているかインターネットで調べてみました。

              


沖縄タイムス社説

抜粋要約

 中国系香港紙・文匯報も10日の社説で「琉球は古くから中国の領土であり、日本が武力と米国の庇護を頼りに琉球と釣魚島を盗み取った」との主張を展開した。

 明、清の時代に沖縄が中国と冊封・朝貢関係にあったことは歴史的事実である。文化の面で中国の影響を強く受けてきたのも確かだ。だが、そういう事実と、「沖縄は中国のもの」だと主張することの間には、千里の隔たりがある。

 沖縄は戦後も、冷戦の下で米国の軍事支配に翻弄された。そして今、尖閣をめぐる日中対立や、米中の覇権争いの最前線に立たされている。

 領土問題や歴史認識で主張が対立し、日中両国に偏狭なナショナリズムが広がっている。他者の立場を理解しようとせず、品位を欠いた言葉を投げ合うのは、問題解決を妨げるだけだ。

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琉球新報社説

抜粋要約

 琉球が中国の冊封体制下(属国支配)にあったのは歴史的事実だが、外交儀礼的な朝貢関係であり、属国ではない。この理屈が通用すれば、ベトナムや朝鮮半島も中国領になってしまう。

 結果的に日中間の無用な対立をあおり、自国民の反日感情をエスカレートさせていることは、極めて非生産的な行為だと認識すべきだ。

 日本側にも冷静な対応を求めたい。中国の主張が筋違いであることは疑いないが、日本政府や大手メディアが過剰反応することは、相手の思うつぼだ。

 一方、論文が指摘するように、沖縄の歴史的な歩みは複雑だ。薩摩侵攻や「琉球処分」を源流とするような、苦難を強いられる状況は今なお続いている。

 日本政府が民主国家のらち外に沖縄を置き続けている現状が、中国側の要らぬ挑発を招いている面があることも忘れてはならない。

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 2紙の社説ともに、もっともと納得できる良識ある内容と、私は受け止めました。

 そして思うのは、太平洋戦争終末において沖縄が戦場となり、多くの民間人が痛ましい被害を被ったこと。太平洋戦争終結以降長い間、アメリカの統治下に置かれていたこと。今なお米軍基地の大半が沖縄にあり、さまざまな問題が噴出していることです。まさに汗顔の至りです。

 日本に組み入れられて、沖縄の皆さんは幸せだったのかどうか? 小国ながら「琉球」として独立国のままの方がよかったのではないか? という疑念がわいてきます。上記の社説からも、行間にそういうニュアンスが読みとれます。

 ところで飯南町では、赤来中・頓原中合同修学旅行として、今年も12月初旬、2年生が「沖縄」に出かけました。そういう意味合いもあって先月、赤来中2年生の要約学習において沖縄に関する教材を4本持ち出しました。

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【備考】
琉球新報 2011年調査
〜沖縄県民アンケート結果〜

沖縄はどうあるべきか?
61.8% 今のままでいい。
15.3% 特別区にすべきだ。
 4.7% 独立すべきだ。





 


  琉球王国
  沖縄の歴史(戦後)
  沖縄戦
  普天間基地問題

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他に赤来中2年生「要約学習」に準備した教材の一つ。


@ 沖縄はもともと独立した国で、日本とのつながりはほとんどありませんでした。「沖縄」(語源は沖魚場)という名称は、本島の住民が周辺の島々に対して本島を指したものです。一方、「琉球」と云う呼び名は、14世紀以降、明国との貿易によって中国が名付けたものです。

A 長い間、戦乱が続いていた沖縄でしたが、1429年、首里城を本拠地とした「琉球王国」が成立し、統一国家として歩み始めました。琉球王国は、総人口17万に満たない小さな王国に過ぎませんでした。が、東シナ海の地の利を生かした「中継貿易」で大きな役割を果たしていました。

B しかし、1609年に薩摩藩の武力侵攻を受けた琉球王国は以後、薩摩藩の支配下に置かれることになります。ただし、対外的には独立した王国として存在し、独自の文化を築き上げました。

C 1879年、明治政府の政策により琉球王国は廃止。「沖縄県」として新たなスタートを切るとともに、日本語教育に力を入れました。しかし、琉球を「沖縄県」としたものの、制度上は王国時代の税制や行政システムを残しました。理由は、当時の明治政府には、沖縄を一気に内地化するだけの財力も軍事力もなかったからです。旧王国時代の有力者の理解をとりつけ、彼らに間接統治をさせるという手法をとりました。

D その沖縄は、1945年、太平洋戦争で激しい地上戦の舞台となり、多くの犠牲者を出しました。特に、「ひめゆり学徒隊」の悲劇は、いまも語り継がれています。このときの日本側の死者・行方不明者は、約19万人。そのうち、沖縄出身者が約12万人にものぼりました。

E 1945年に日本がポツダム宣言を受け入れて降伏すると、沖縄はアメリカの直接統治を受け、広大な基地が次々と建設されました。日本への復帰を果たしたのは、敗戦から27年が経った1972年。現在も、米軍専用施設に限れば、その74%は沖縄県に集中しており、さまざまな問題が生じています。

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【蛇足】
赤来中2年生「要約学習」に準備した教材の一つ。


沖縄の家



@ 沖縄というとまるで常夏のように感じますが、もちろんそうではありません。特に夏から秋にかけては台風の通り道で、強風対策が重要です。そのため家の造りは木造の平屋で、風よけのため屋根が低く、家のまわりに暴風林を植えたり、石垣を作ったりしています。屋根は赤瓦です。これも風対策がほどこされており、瓦が飛ばないように漆喰で塗り固められています。

A ただ、もともと「赤がわらの木造家屋」というのが沖縄らしい風景でしたが、今では、ほとんどがコンクリートの建物になっています。決定的となったのは、1959年の大型台風です。このとき多くの民家が壊れ、死者も出ました。しかし、米軍の基地内の鉄筋コンクリート製の家は、被害が出なかったのです。そのため、以後は鉄筋コンクリートの家が数多く建つようになりました。

B もう一つ、コンクリート住宅になった理由があります。原因はシロアリです。沖縄には、木造住宅に大きな被害を及ぼす「イエシロアリ」がたくさん生息しています。シロアリで多くの被害を受けてきた住人が、コンクリート住宅はシロアリに強いことを知り、建てかえるときに木造からコンクリート住宅へと向かっていったのです。

C 屋上に乗っているタンクは、水が入っています。沖縄は、慢性的な水不足に悩んでいます。被害が怖い台風は、ある意味では水の恵みとなっているのです。なお、屋根の上のシーサーは、魔除けです。見張り番として置かれています。シーサーは、その家を守る重鎮なのです。

D 家の中に入ると、畳張りがや板張りの部屋が作られています。戸口は広くして風通しをよくし、暑い夏でも涼しく過ごせるようになっています。また、部屋を隔てるふすまを外すと大きな空間となり、すぐに宴会が開けます。沖縄の家は、みんなが集まって楽しめる造りになっているのです。目出度いことなどがあるとごちそうが出され、三線が鳴らされ、酒盛りが始まります。

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