A 長い間、戦乱が続いていた沖縄でしたが、1429年、首里城を本拠地とした「琉球王国」が成立し、統一国家として歩み始めました。琉球王国は、総人口17万に満たない小さな王国に過ぎませんでした。が、東シナ海の地の利を生かした「中継貿易」で大きな役割を果たしていました。
B しかし、1609年に薩摩藩の武力侵攻を受けた琉球王国は以後、薩摩藩の支配下に置かれることになります。ただし、対外的には独立した王国として存在し、独自の文化を築き上げました。
C 1879年、明治政府の政策により琉球王国は廃止。「沖縄県」として新たなスタートを切るとともに、日本語教育に力を入れました。しかし、琉球を「沖縄県」としたものの、制度上は王国時代の税制や行政システムを残しました。理由は、当時の明治政府には、沖縄を一気に内地化するだけの財力も軍事力もなかったからです。旧王国時代の有力者の理解をとりつけ、彼らに間接統治をさせるという手法をとりました。
D その沖縄は、1945年、太平洋戦争で激しい地上戦の舞台となり、多くの犠牲者を出しました。特に、「ひめゆり学徒隊」の悲劇は、いまも語り継がれています。このときの日本側の死者・行方不明者は、約19万人。そのうち、沖縄出身者が約12万人にものぼりました。
E 1945年に日本がポツダム宣言を受け入れて降伏すると、沖縄はアメリカの直接統治を受け、広大な基地が次々と建設されました。日本への復帰を果たしたのは、敗戦から27年が経った1972年。現在も、米軍専用施設に限れば、その74%は沖縄県に集中しており、さまざまな問題が生じています。
A ただ、もともと「赤がわらの木造家屋」というのが沖縄らしい風景でしたが、今では、ほとんどがコンクリートの建物になっています。決定的となったのは、1959年の大型台風です。このとき多くの民家が壊れ、死者も出ました。しかし、米軍の基地内の鉄筋コンクリート製の家は、被害が出なかったのです。そのため、以後は鉄筋コンクリートの家が数多く建つようになりました。
B もう一つ、コンクリート住宅になった理由があります。原因はシロアリです。沖縄には、木造住宅に大きな被害を及ぼす「イエシロアリ」がたくさん生息しています。シロアリで多くの被害を受けてきた住人が、コンクリート住宅はシロアリに強いことを知り、建てかえるときに木造からコンクリート住宅へと向かっていったのです。
C 屋上に乗っているタンクは、水が入っています。沖縄は、慢性的な水不足に悩んでいます。被害が怖い台風は、ある意味では水の恵みとなっているのです。なお、屋根の上のシーサーは、魔除けです。見張り番として置かれています。シーサーは、その家を守る重鎮なのです。
D 家の中に入ると、畳張りがや板張りの部屋が作られています。戸口は広くして風通しをよくし、暑い夏でも涼しく過ごせるようになっています。また、部屋を隔てるふすまを外すと大きな空間となり、すぐに宴会が開けます。沖縄の家は、みんなが集まって楽しめる造りになっているのです。目出度いことなどがあるとごちそうが出され、三線が鳴らされ、酒盛りが始まります。