@ 1950年代に入ると、米ソを中心とする「東西冷戦時代」に突入しました。太平洋戦争後、沖縄県を日本から分離し「信託統治領」(アメリカの統治下)としていたアメリカは、沖縄を軍事拠点にすることを決定。米軍による沖縄の軍用地化が始まりました。「アメリカの信託統治後は、琉球国の復興を!」と望んでいた沖縄県民の期待は、裏切られることになったのです。
A この後、アメリカによる強制的な軍用地没収、度重なる米軍による犯罪などにより、米軍への反感が高まり、沖縄では急速に「日本への復帰」を望む声が高まっていきました。琉球民族の解放を願い、沖縄独立支持を表明していた日本共産党や日本社会党も、「琉球王国独立」から「日本への復帰」へと運動方針を変更。こうして独立運動は復帰運動へと移り変わっていったのです。
B ところが、1972年の沖縄返還が近づいてくると、再び沖縄独立運動が叫ばれるようになります。復帰の交渉過程において、日本が米軍の要求を丸飲みしたことへの日本不信と、復帰後も米軍の影響力が維持(米軍の軍事基地はそのまま)されることへの反発があったからです。なお、中国共産党の機関紙「人民日報」では、沖縄はかつて中国の支配国であったが、日本が武力で奪い取ったと主張。つまり、「沖縄は中国のもの」という考え方を展開しています。