教育崩壊
編集;産経新聞社会部
後半
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2023.11.5


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部活動の衰退


 教員の高齢化は、部活動にも影響を及ぼしました。兵庫県の場合、20歳代の教員はわずか7%、40歳代は40%といういびつな状況です。教員の平均年齢も、平成12年に38.3歳だったのに、わずか10年後には、42.5歳に急上昇しました。

 部活動はスポーツの振興とともに、精力善用、生徒の生活指導に一役買ってきていました。それが、教員の高齢化によって崩れつつあるのです。

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コメント
私も部活動(女子バレー部)には
長年
精力を注いできました。
優勝経験も30数回味わった反面、
家庭生活をそうとう犠牲にしました。


静かに振り返ってみるに
あれが正常な部活動だったか?
と問われると
率直に「はい」とは言えない私がいます。



校長になってから感じたことです。
心底
部活動指導に喜びを感じて
精力を注ぎ込むタイプと

立場上やむを得なかったり
教員が部活動にエネルギーを注ぐことに
疑問を感じつつも
足を運んだりするタイプと

そして
その中間に位置するタイプと。
さまざまでした。

内心私は(校長として)
いつも頭が下がる思いで
部活動指導を見守り応援していました。


さすがに年齢も
40歳代後半ともなると
体力的にも精神的にも
耐えられる限界(喫水線)が
目に見えて出てきています。

だから
年齢を取り上げて
責めてはいけません。

日本の課外活動(部活動)が
あまりに
教員の奉仕の精神に
支えられすぎているのです。









親の変容


 保護者の変容も見逃せません。以前は保護者の判断基準は、教育的かどうかでした。今は、適法か違法かです。体罰まかりならぬ。授業中トイレに行かせなかったら人権問題です。

 PTA役員のなり手もいなくなりました。面倒なことがいやだ、他人のために自分の時間を使いたくない、というのが背後にあります。

 授業参観では、幼児連れでやってきて賑やかをします。雑談や携帯電話も平気です。授業は観ても、その後の懇談会に出る人がめっきり減りました。

 その上、何かあればすぐにクレームです。担任を飛び越えて校長へ直訴。教育委員会へ直訴という具合です。

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コメント
上に述べた通りです。
わずか数人ではありますが
教員泣かせの保護者がおられました。

でも
その保護者の子が
全てひねくれているかというと
そうではないところで
とても救われました。











陰山英男氏に集中砲火


 平成12年、教職員組合全国研修会での出来事です。テーマは「学力づくり」でした。

 当時、(兵庫県)山口小学校の陰山英男教諭が、「勉強を教えるのが教師の本分だ」と、基礎学力重視(読み・書き・計算)の実践発表しました。ところが、参加者から集中砲火を浴びました。

 「勉強なら塾でも出来る。学校は、仲間づくりをするところだ。」、「子どもは自分で考え、自ら学ぶ姿勢を育てることが大切だ。」(ベテラン女教師)などと、真っ向から反論したのです。

 平成元年度から「新しい学力観」の名の下に、広く学校で行われるようになった考え方です。「教員は指導するのではなく、支援するべきだ。」、「教材ではなく、学習材と呼ぶべきだ。」など、孤立無援の雰囲気でした。

 これに対して、陰山氏は「子どもに好き勝手にさせれば、安易に流れる。」、「教師は指導すべきだ。」と、持論を展開しました。

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コメント
「新しい学力観」
この命名は
それまでの学校教育を
否定するものでした。

欧米から高く評価されてきていた
そして実際に
成果を上げてきていた
日本の学校教育は
「古い教育」「古い学力観」と
切って捨てられたのです。

先輩諸氏を含めて
私自身が心血を注いできた指導が
否定されたのです。

文部省自らが
自分を断罪したわけですから
何だか割り切れませんでした。

明らかに振り子の振れすぎです。

平成元年度
学習指導要領の改訂で
この「新しい学力観」に基づいた
学校教育がスタートしました。

実際に教科書が変わって
その理念がスタートしたのが
平成4年度でした。

タイミング悪く
その年度から
私は行政の立場(指導主事)。
自己否定をしながら
それから4年間
学校訪問をし続けました。




H「出雲教育事務所」









低学力は教師の責任だ!


 その陰山教諭は、「低学力は教師の責務だ。」、「教師は、学習成果という結果で、責任を問われるべきだ。」と力説しました。その背景には、山口小学校における、陰山氏が実践した大きな成果がありました。

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コメント
基本的に
私は「陰山英男」派です。
「古い学力観」と言われれば
仕方ありません。

むろん
平成元年に打ち出された
「新しい学力観」が
間違っているとは言いません。

それまでの学校教育を
全否定する形で登場したから
だから反発せざるをえません。

成果を上げてきた「良さ」を認め
残しながらも
「新しい学力観」を
導入する方法があったはずです。

実際
平成14年1月
文科省は「学びの手引き」を発表しました。
振り子が少し揺り戻されたのです。
陰山英男氏の教育実践も
一気に注目されました。
















誤った児童中心主義


 平成12年、鹿児島県の高校入試において、「1000ー198」(計算)の誤答率が、実に 7.9%。県教委は、大きなショックを受けました

 これは、従前の「教え込み」を排除、子ども重視の名の下に、子どもと同じ目線に立つべしとした学校教育の結果だと分析しました。体験重視、反復学習の軽視、教科書に沿った授業や自作プリントを使った授業も軽視されていました。

 樋田大二郎教授(聖心女子大)は、「誤った児童主義、ゆがんだ教育だ。」と、強く批判しました。

 これと同じ風景は、アメリカの過去(1960年代〜1970年代)にありました。まさにゆがんだ学校教育(人間化)によって、学校の荒廃を招いたのです。

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コメント
「誤った児童主義、ゆがんだ教育」
よくぞ言ってくださいました。

本来、子ども達は
学力を高めたいと思っています。
大半の児童生徒は
それを求めて学校にやってきているのです。
伸び盛りでもあります。
友達と競争するから伸びるというのも
子どもの実態です。

いや
人類は誕生以来
競い合うことで
伸びてきた面があります。

スポーツの世界もそうです。
スポーツがよくて
どうして
学業は競ってはいけないのか?

競い合って伸びる
その芽を摘んではいけません。

序列が出来るのは
それは学業だけではありません。
スポーツの世界しかり
社会生活においてもしかり。

いずれ子ども達は
競争社会に投げ出されるのです。

学校は勉強だけが全てではありません。
掃除・あいさつ・思いやり・人間味・……
自分を輝かせる
いろんな場面があります。

教員は
そういうさまざまな面にも
目配りをしています。

前向きな姿
頑張っている姿にも
ちゃんと温かい視線を送っています。









鹿児島県教委の改革


 鹿児島県の高校の現状は、最近10年間で基礎学力低下(高校教員の9割の回答)に基づき、鹿児島県教委は、平成13年度から改革に取り組みました。ドリル、TT授業、習熟度授業、補習、宿題、家庭学習、学力検査、……。まさに、基礎学力重視の学校教育を取り戻そうとしたのです。

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コメント
基礎学力の低下は
高校の先生は
とてもよく分かると思います。

実際
分数の計算からやり直していると
高校の先生から
聞いたことがあります。







学ぶ喜びを!


 基礎基本をきちんと押さえ、子どもの意欲を引き出す授業をしよう! 子どもに学ぶ喜びを取り戻そう! そういう大きな流れを作ろうと、鹿児島県は動き始めました。

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コメント
話術で子どもを楽しませる授業が
あっていいと思います。
明石家さんまが授業をすると
きっと
おもしろおかしく
授業も受けられるかも知れません。


しかし
学校は
知的喜びを味わう場です。
わかった!
出来た!
こういう感動を味わう場です。

学ぶ喜び
これこそ
寺子屋・藩校時代から
連綿と続いてきている
学校教育本来あるべき姿です。