短歌の作品
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題材別
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2022年の短歌


  2022.12  仰ぎたる空一面に粉雪の踊り来たりて年替はりゆく 

 2022年が幕を閉じようとしている頃、ここ赤来高原は積雪(計)30センチ〜50センチ。例年にないドカ雪に見舞われました。国内外、公私ともにあれこれあった今年一年でしたが、あたりが真っ白に染まるほどの降雪に包まれて、あっけなく年越しを迎えようとしています。

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  2022.12 帰省より怒濤の時間来たりなば孫は来てよし帰ってよしとや 

 12/25 に次男家族が帰省しました。孫は男の子二人(小一&4歳児)、血気盛んなことは筆舌に尽くし難し。雪遊び・室内サッカー・カードゲーム・読み聞かせ・勉強のアシスト・温泉へ繰り出しなどなど……、目まぐるしく振り回されて? いささかバテ気味の私です。一方、幼子は疲れを知りません。「孫は来てよし帰ってよし」とは、けだし名言だと再確認している今日この頃です。
  ちなみに、「とや」の意味は「……というのか」。相手に問い返したり確認したりする意を表すとき使われます。

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  2022.12 いつしかに吹雪く夕べとなりにけり凍れる池に静まれるコイ 

 今年は珍しく年内に、大雪警報が出るほどの猛烈な雪の大軍がやってきました。昼過ぎまでは日ざしもあったのに、夕暮れから一気に吹雪き始めました。ふと、亡父が遺したコイが気になって池をのぞき込みました。 ……いました、定位置にじっと動かずに静まりかえっています。

【前作】水底にぢっと身を置き静まれる父の形見の年老ひし鯉

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  2022.12 いつしかに吹雪く夕べとなりにけり吾が生かされて過ぐる年月 

 例年と比べて少し寒波が早すぎますが、今年も気が付けば冬将軍がやってくる季節を迎えました。この世に「生」を受けて、72回目の冬がやってきました、……。

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  2022.12 軽トラの荷台にどさりとイノシシの抜け殻ありてすれ違ゐたり 

 下の短歌を作って6日目、ランニングの途中に軽トラとすれ違いました。すれ違いざまに見えたのは、肉を抜き取られたイノシシの死骸! です。べろんべろんになったイノシシの亡骸が、無造作に置かれていました。その命が抜かれた毛皮が目に飛び込んできて、背筋が凍りました。たぶん、山の中に捨てに行くところだと思われます。先日のイノシシかどうかは分かりません。いずれにしても、山の中にエサで誘い込む罠(カゴ)が仕掛けられていたのです。
 もっとも、このイノシシは田畑に出没しては収穫直前のお宝を台無しにする、にっくき野生動物です。人間世界から見たら、致し方ない仕打ちです。……しかししかし、何だか割り切れない消化不良の私です。

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  2022.12 イノシシのぬたくりし跡ぼこぼこになりて偲ばむ天地万象 

 日課で、愛犬と山道を走っています。最近富みに目に付くのは、イノシシが土を掘り返した格闘痕です。ミミズでも探したのでしょうか? 幼虫でもいるのでしょうか? たくましい鼻で土を掘り返しながら格闘したであろう光景を思い浮かべて、ふと「天地万象」という四字熟語が浮かびました。
 天地万象=「天地」は、この世のこと。「万象」は形がある全てのもののこと。⇒この世に存在する全てのものや現象のこと。生きとし生けるものの宿命とは言え、イノシシの生への執着をしみじみと思いました。 ……かくて太平洋戦争時、決戦の島に取り残された日本兵が、ヘビやムシを捕って食べたとされる、残酷な情景も彷彿としました。

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  2022.11 2015年、母が脳出血。意識不明で生死を漂っているときに生まれた詠草です。

今はただ見守るだけの吾なれど母の寝息に病状探る

たらちねの母のかたはら寄り添へばふと過ぎり来るあの日あのとき

早朝の電話の鳴りて病状の急変伝ふる声震えたり

苦しげな母の寝息の傍らに我ただ居りぬただ見守れり

病床の母に寄り添ひぼんやりと琴引山の頂観たり

母病みてひたすら眠る病床に空青々と天に広がる

点滴のしたたる管にすがる母 命の燃ゆる寝息の聞こゆ

小さき蛾の机の上に羽ばたけり伏す母のそば羽ばたけるなり

血糖値・血圧・呼吸・体温の乱高下せり母の寝息に

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 2015年(5/7)、母は脳出血で倒れ、救急車で運ばれました。その後、一ヶ月余りこんこんと眠り続けました(医学的には眠っているのではないそうですが、……)。この間、「終末期医療」(死を目前にした患者の身体的・精神的苦痛を和らげ、生活の質 QOL(Quality Of Life)を向上させる医療)が施されました。ベッドに横たわっている母は、手厚い看護を受けながら、日々「死への旅路」を歩んでいるのかと、幾度となく悲しみに襲われました。この間に作った(行方不明だった)短歌が出てきました。

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  2022.11 山道に舞い飛ぶ枯葉け散らして走れ愛犬夕日が沈む!
       
山道に舞い飛ぶ枯葉け散らして走れ愛犬! 夕日が沈む

 秋の日はつるべ落とし と言います。日ざしが弱いので、太陽が沈むと一気に暗闇が迫ってきます。日課にしている愛犬とのランニング、時には夕日と争うように山道を駆け抜けていきます。

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  2022.10 カサコソと葉落とせどもイチジクの実は熟させて秋更けてゆく
       
カサコソと葉落とせどもイチジクの実は熟させて晩秋にたつ
       カサカサと葉を落としつつイチジクの実は熟させて秋空高し
       はらはらと葉落ちゆけどイチジクの実は熟させて秋空仰ぐ
       カサコソとイチジクの葉は落ちたれど実の熟せるを秋空に見る
       

 我が家の塀にもたれるように、一本の無名の木(要するに名前が不明)が順調に育っていました。いつか切らないといけないかな? などと疎ましく思っていました。それが、ここ2〜3年は3個〜5個の「実」を付けていました。特に関心もないので、いつの間にか記憶の彼方へ消えていました。
 ところが今年、異変が起きました。何と、鈴なりの実を付けて突然、存在感を示しているのです。何の実だろう?と、一つもいで割ってみますと、な・ななんと、正真正銘「イチジク」ではありませんか! 驚くやら喜ぶやら……! その後は、(鳥に突かれた? のを除けば)連日3個〜4個の収穫です。思いがけない恵みです。
 こうやって、かれこれ一ヶ月が経つでしょうか? 数日前から大きな葉っぱがカサカサ枯れ始め、触るとはらりと落ちるほどに年を取りました。ところが、まだまだ実を30個以上付けており、依然として連日のごとく熟したイチジクを恵み続けているのです。まさに絵本『はっぱのフレディ』。我が身は老体、次々と葉っぱが地に落ちていっているのに、子孫を残さんと頑張っているのです。その姿に我が身を重ねつつ、感動している今日この頃です。

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  2022.10 たをやかに吊されし柿よ縁側に光り浴びつつ秋うらら 

 道の駅で渋柿を16個、買いました。この年になって初体験、つるし柿を作りました。もっとも、そんな大げさな作業ではありません。皮を剥いでぶら下げれば、ハイおわりです。でも、自分の歴史の中では記念すべき出来事です。ほっこりとした丸裸の柿たちは縁側に吊されて、の〜〜んびりと日向ぼっこをしているように見えました。ちなみに、久しぶりの「字足らず」の詩となりました。

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  2022.10 苛立ちも澄み広がれる秋空の風無き(あおに吸ひ込まれゆく
                         溶け込んでゆく
                         消え去りゆきぬ
 

 気温も湿度も空気さえも意識から消え去るような、抜けるような秋の好天に包まれた昼下がり。天の底まで見透かされるような青空を眺めていると、心の汚れが洗い清められていくようでした。

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  2022.10  窓を打つ風の音にも(がすよに一ひら一ひら秋の深まり 

 今年は残暑が厳しい9月でしたが、10月に入ると乱高下を繰り返しながらも、ふと気が付くと薄皮を剥がすように、ひとあしひとあし秋の深まりを感じます。きょう(10/10)は曇天、時折窓を鳴らす風の音に「秋深し」という言葉が浮かびました。

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  2022.10 大空をキャンバスにして描きたる秋の雲(で行く末見つむ 

 10月2日(日曜日)は、絵に描いたような典型的な秋日和でした。奥行きの深い水色(いや、青空色)を背景に、さまざまな形のすじ雲・ひつじ雲・うろこ雲がダイナミックな模様を描き出しています。ふと、こんな短歌が生まれました。ちなみに、古語「見つむ」は「視線をはなさずに、その物を見る。 じっと見つづける。 凝視する。」ことです。

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  2022.10 秋空を(でる余裕の昼下がりダイナミックな雲の芸術 

 上と同じ時に、誕生しました。上の句は、要約学習で多忙を極める毎日にあって、コーヒーを飲みながら秋空をぼんやりと眺める自分を自覚したとき、ふと口をついて出てきたフレーズです。

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  2022.09 秋の陽をあまた載せたる雲流れお花畑の孫娘去る 

 2泊3日、広島に住む娘親子が里帰りしました。孫娘は4歳6ヶ月、幼い女の子は賑やかです。よくしゃべり、るんるん跳びはね、笑顔を振りまきます。始終付きまとい、絵本も30冊以上読まされ(読み)ました。 ⇒ そして 9/25、夕日が力無く雲にかかる中、顔中笑顔であっけなく去っていきました。残された「じい」は、力無い夕日を載せた雲を眺めながら、しばし佇んでいました。

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  2022.09 秋の陽をあまた載せたる雲流れつるべ落としとなりて暮れゆく
  2022.09 秋の陽をあまた載せたる茜雲(あかねぐも
 夏の想い出抱きて暮れる

  2022.09 秋の陽をあまた載せたる雲流れ実りの香り漂いてをり

 上の句の響きが気に入って、もう三首、詩を詠んでみました。先日まで、あんなに力強かった夕日が、すっかり弱々しく照る頃となりました。「秋の日はつるべ落とし」とは、よく言ったものです。夕日が山の端に落ちると、一気に暗闇が迫ってきます。

 その様子を眺めていると、夏の出来事がふと浮かんでは消えます。一期一会。今年の夏は、もう二度と戻ってはきません。いったい、あと何回、この季節の変わり目に出合うのでしょうか?

 暮れゆく下界では稲穂が黄金色に実り、森林の景色と相まって、どこか郷愁をそそられる香りが漂っているように感じました。

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  2022.09 窓外を打ち始めたる雨音に秋の訪れふと忍び寄る

 9月も下旬になると、雨の降り方、雨音さえも秋の色を濃くしていきます。季節の変わり目、何とはなしに物寂しさを感じる今日のこの頃です。

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  2022.08 唱和せし読経の声の(とどろける寺院の屋根に秋の雲垂る

 赤名短歌会の発足当時から会員として、格調高い作品を生み出し続けてこられた「西蔵寺坊守だった:源光子さん」(98歳)が天に召されました。葬儀は8月28日午後2時から。コロナ禍で「流れ焼香」が一般的になる中にあって、この葬儀には約20人の一般参列者が、最後まで読経を聞きながらお見送りをしました。折から秋めいてきた空には、すじ雲が空高く靡いていました。結句に、私の心情を盛り込みました。以下は、源光子さんが詠まれた詠草の一端です。

夜半響(とよ)む隠岐の潮鳴り遠つ世の遠流の嘆き伝ふるごとく
連(きざなみ)に生まれる翳(かげ)も春めきて蜆(しじみ)掻(か)く舟沖に動かず
峯凍る琴引山の憮林(ぶなりん)にあおぞら戻る光の晨(あした)
風を聞け光りを見よと聞かされて介護の妻の深くうなづく
初夏(はつなつ)の森より出でて鼓笛隊シンバル鳴らし土手を降りくる
乱起こるごとき雲わく篝山(かがりやま)毛利尼子の合戦のあと
険しかりし生きこし道をふりむかず老いたる顔を鏡に見つむ
潮騒の輪唱きくや夜もすがら人麻呂の海何をか告げむ

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  2022.08 恥ぢらひてうつむきたるか向日葵(ひまわり(かぶさるやうに秋ゼミの鳴く

 6月、畑の一角に植えた向日葵の苗が、すくすくと育ちました。ここは海抜450mの高原ですから、8月20日を過ぎて、やっと黄色い笑顔で5輪花開きました。が、うち2輪は、なぜか下向きに恥じらうように咲いています。折から山々の秋ゼミが、夏を惜しむかのように鳴き広がっています。

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  2022.08 ゆく水の整う音の静かなり耳傾けてゐる黄金(こがねの稲穂

 8月も終盤を迎えました。赤来高原の稲穂も黄色く色づき、刈り取り時期間近を告げています。今年は幸い洪水もなく、実りの時期を迎えようとしています。水路を流れゆく水も、それを祝うかのようにゆったりと流れています。

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  2022.08 いつしかにおぼろ月夜となりにけり天に広がる猛暑の名残

 ここ数日、記録的な猛暑が続いています。昨日など、出雲市では38度を記録しました。「おぼろ月夜」は俳句では春の季節ですが、猛暑の夜に見上げる月は、どんよりと霞んでいました。

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  2022.08 とろとろと眠りおぼろにまた眠る午睡の耳に夏漂へり

 寝苦しい夜が続きます。眠りが浅い上に、早々と目覚めて眠れない朝が増えた今日この頃です。こんな日は、午後になると猛烈に睡魔に襲われます。また、この昼寝の心地よいこと!

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  2022.07 青空を二つに断ちて伸びゆける雲の彼方に機影輝く

 眩しい青空をまっぷたつにしながら、飛行機雲がまっすぐに伸びていきました。その彼方、雲の先頭に、銀色に輝く飛行機が豆粒ほどに確認出来ました。

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  2022.07 歩むごと水音立てて我先にどぼどぼどぼと飛び込むカエル

 田の畦を歩いていると、どこから現れたかと驚くほどに、次から次にカエルがひょいひょい田んぼに飛び込みます。気の毒に思う一方、自分の影響力の大きさを実感する出来事でした。

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  2022.07 雷鳴に耳の開きて目覚むれば遠く近くにのたうち鳴れり
  2022.07 雷鳴はまだ明けやらぬ天を駆け近く遠くにのたうち鳴れり

 夢の彼方から、一気に現実に引き戻される大音響でした。まだ明けやらぬ天を駆け、おどろおどろしい雷鳴はしばらくの間鳴り響いていました。

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  2022.06 水底にぢっと身を置き静まれる父の形見の年老ひし鯉
  2022.06 餌をやれば身をひるがえしゆるゆると近づき来たる亡父の鯉よ
  2022.06 餌を持てばそれと察して近寄りて目を合わせたる亡き父の鯉
  2022.06 縁側に立てば目合わせひるがえり近寄りてくる亡き父の鯉

 父が他界したのは平成15年4月、桜花爛漫のまっただ中でした。折しも(亡父が希ってきていた)母屋新築のため、旧家屋が全て撤去された、まさにその日でした。大事に飼っていた大きな鯉が3匹残されました。今も小庭の池でゆっくりと余生を送っています……。

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  2022.06  唐突に訃報届きて沙羅双樹白き花散るごとく消えゆく 

 平家物語の冒頭は、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」とあります。栄華を極めた者も、いつかは必ずその勢いを弱める。……朝咲いて夕方には散りゆく、せつなくも美しい沙羅の花に人生の無常観が例えられたとされています。
 この花の特徴は「散り方」です。花びら1枚1枚が日数をかけて落ちてゆくのではなく、花ごとボタッと一瞬にして落ちるので、はかなくもその散り方は潔いとされています。「滅びの美学」として愛され、死に様に潔さを求められる武士たちにとりわけ好まれたとのことです。
 6月に入り、親しくさせていただいた方が、立て続けに3人亡くなりました……。

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  2022.06 むらむらと盛り上がりたる川土手に夕日くだけてきらめき流る

 気温もぐんと上がり、ひと雨ごとに雑草がむくむくと盛り上がってきています。一方、太陽光線もぐんぐん力強さを増しています。そういう光景を詩にしてみました。

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  2022.06 重ねたるおのが(よわいに驚きぬ散る花の下ぢっと手を見る

 咲く花もあれば、命を終えていく花もあります。生きとし生けるものの宿命です。とはいえ、ふと自分の手の甲を眺めると、見事に「お爺さん」の相をしています。振り返ってみれば、長らくも生かしてもらっています。残された年月は、はたしてどのぐらいあるのでしょうか? ……折しも先日、父方の叔父が他界しました。一方、娘のお腹に命が宿りました。

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  2022.05 夕映えが空赤らかに染めぬきて身震いしたる山々の樹

 弱々しかった陽ざしが、今月に入って一気に力を増してきました。連日のように力強い夕日が辺りを赤く染めます。山々の木々も、(あまりに見事な夕日に)身震いをしているように見えました。「木木」とせず「樹樹」としたのは、夕日に負けない樹木を表そうとしました。また、「樹々」とせず「樹樹」としたのは、うっそうと生い茂った様を表現したかったからです

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  2022.04 むらむらと盛り上がりたる山腹にぽつんと白き山桜花

 今年も、あっけなく桜の季節が終わりました。桜の花が終わりを告げるのは「山桜」と「八重桜」です。ここで、桜の種類と開花時期について調べてみました。
関東の暖かい地方を基準にすると

日本で最初に咲くのは「
10月桜」。3月下旬くらいまで咲き続けます。
1月下旬くらいから咲きだすのは「
寒被桜」。
2月中旬には「
冬桜」「川津桜」が咲き出し
3月の彼岸ごろには「
彼岸桜」「しだれ桜」が咲き出し
つついて「
大島桜」「ソメイヨシノ」が咲きだします。
その後、「
山桜」の季節になり、「八重桜」が続きます。

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  2022.04 世の中にぬくもり入れて詩詠める 正敏翁よ! 天に召されたるなり…

 頓原短歌会のメンバー、正敏さん(84歳)が急逝されました。頓原中学校へ転勤となった、その立役者? バレー部保護者会長もされた方です。娘さん2人を担任するとともに、バレー部でも濃い関わりがありました。在りし日を思い浮かべると、ふと涙目になります。ただただご冥福をお祈り致します。以下は、正敏さんが詠まれた詠草の一端です。

雨降って一夜に伸びるきゅうりづる吾の気持ちが分かるがごとく
初詣 雪踏みのぼる石段に良き年願う行灯の列
金木犀朝顔の蔓に絡まれて花咲きかわる庭のおもむき
秋祭り御神輿囃子の賑やかに町並み映える老若男女
豊作の風景浮かぶ休耕田我が物顔のかぼちゃのツルよ
高校のバレーの応援妻と行く孫の成長心晴れ晴れ
鈴の音の春風に乗り響きくるランドセルの子の安全願う
金婚と喜寿が一緒に来て思う二人の絆は皆のおかげ
春彼岸暖かき風感じつつ妻との墓参に父母を語れり(辞世の句)

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  2022.04 きらきらとただきらきらと波打てる露天の水面を春の雲ゆく

 露天がゆったりとしている「ゆらり」(平田)に出かけました。ウクライナでは悲惨な戦争が続いています。 ……別天地のようにのどかで平和な露天湯に手足を伸ばしながら、水面に揺らぐ雲をぼんやりと眺めていました。

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  2022.04 散る花のうへにまた散る桜花けぶれるほどにふぶく花びら

 「花の命は短くて……」(林芙美子)という有名な言葉がありますが、せっかく艶やかに見事に咲き誇ったのに、あっけなく、惜しげもなく、さばさばとしたように散っていった桜の花。今年の「花見シーズン」もあっけなく過去の出来事になりました……。

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  2022.04 陽を浴びて色あたたかにフキノトウ土手のあたりにほつほつ群れる

 高原のフキノトウは、ひとあし遅れてやってきます。フキノトウ味噌のあの苦味を思い浮かべ、厳しい冬を乗り越えて生えてきた春の喜びを感じます。

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  2022.04 見上げたる空に花びららるらと風吹くときに幹あざやけし
  2022.03 うらうらと桜花さく川土手にくるめくばかり春の光よ
  2022.03 見て見てと花みな笑顔ふりまきて人その下に夢育まん

 不思議なものですね、同じ場所の桜は示し合わせたように一斉に「開花」します。今年もめくるめく様な春の光りに包まれて、松江・出雲・三刀屋などの桜名所が華やかになりました。

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  2022.03 うららかに春立ち上る陽ざし受け笑顔残して孫ら去りゆく

 同居していた愚息家族が、長野へと旅立っていきました。殊の外うららかな春の日が降り注ぐ朝の出立。のどかな天気だけに、裏腹にしばらくは心にぽっかりと穴が開いたように佇んでいました。
 うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば (大伴家持)

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  2022.03 高原の春たちまちにあわただし草木萌え立ち山盛り上がる

 今年の冬は、形ばかりの節分荒れでひと安心していたところへ、その後は(2月末まで)牛のヨダレのように断続的に雪が降り続きました。その反動か、3月に入ると「春たちまちに」やってきて、春分の日を過ぎる頃から「あわただしく草木が萌え立ち」始め、色の無かったあたりの山々が一気に春色に変わり始めています。

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  2022.03 春雨やガラスに沿ひて(しずく(れあはれ涙の止めどなく見ゆ
  2022.03 かなしみは明るさゆえに極まりてその現実を両手でかしずく
  2022.03 今年もや別れの季節巡り来て春来る空に霞かからむ

 37年間、教員として学校に勤務してきました。そのためでしょうか、3月になると本能的に「別れのシーズン」が脳裏に到来します。今年は個人的に「別離」の年となりました。ふと浮かんできたフレーズで、その別れのむなしさ、寂しさを詠ってみました。

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  2022.03 大いなる光あまねく広がりて残雪あはれ春に溶けゆく

  2022.03 山々の春たちまちに慌ただしまだらに白き山肌の雪

 3月7日、季節が一気に動いています。今年の降雪・積雪は、2月中旬からだらだらと続きました。日課ランニングの山道の積雪は、2月末には10センチ〜40センチでした。が、3月4日の強風(春の嵐?)でたちまちのうちに消えていきます。昨日(3/6)の山道の残雪は0センチ〜20センチ、気温も急上昇、一気に春の到来です。

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  2021.02 仰ぎたる空一面に粉雪の踊り来たりて冬舞い戻る


 節分荒れとはよく言ったもので、今年も例外なく積雪に見舞われました。もうこれで春を迎えるばかりかな? と喜んでおりましたが、残念、中旬を迎えて断続的に(除雪車が出動するような)積雪が続いています。山中(山道)ランニングを日課としている私にとって、その都度ラッセル車のようなランニングを強いられています

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  2021.02 琴引の高くそびえて明らけし雲ゆうゆうとその上をゆく


 やっと雪が止んでひと息です。ふと琴引山を眺めると、雪をいただいた形の整った琴引山が、青空を背景に悠然と佇んでいました。その青空の一角を一塊りの雲が悠然とたなびきながら流れていました

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  2021.02 夕焼けに砕け漂ふ露天湯のゆらぎなつかし吾これにあり

 平田の温泉「ゆらり」に時々、ふらりと出かけます。ここの魅力はサウナが広い(定員25人ぐらい)こと、そして露天風呂がゆったりと広いことです。この日は、夕日が傾く頃に露天風呂に浸かりました。なんとなく懐かしい雰囲気を感じながら、幸せを感じたひとときでした

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  2022.01 今ここに確かに吾は生きてをり夜のとばりが降り立ちて冬
  2022.01 今ここに確かに吾は生きてをり静かに今日の消ゑゆきて冬

 年末から年始にかけて、膝上まで積もる積雪があました。が、その後はドカ雪もなく、たんたんと新しい歳も日数を重ねています。折しも「オミクロン株」とやら、過去最多を日々更新し続けています。人生のゴールがどこにあるのか神のみぞ知る世界ですが、まさかのコロナ騒動です。生活に「縛り」がある今日この頃、ふと自分がこの世に存在していることを自覚した夜でした。

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  2022.01 ただにただぢっと虚空を見つめをる母を見舞ひて年改まる

 平成27年5月初め、母(当時86歳)は脳出血で倒れ、救急車で飯南病院へ搬送。一ヶ月間意識不明後、奇跡的に(=医師の話)意識を取り戻すも、意思の疎通は綱渡りのよう……。これを機に、中心静脈による栄養補給から胃ろう(直接チューブで胃に栄養や水分を補給)に変更しました。
 翌年4月から 特別養護老人ホーム「愛寿園」(頓原)に入所。愛寿園の皆様の手厚い看護のもと、4人部屋で静かに余生を過ごしています。ただ、コロナ禍をきっかけに、呼び掛けに反応がなくなりました。見舞ったとき話しかけても、焦点が定まらないうつろな目でじっと虚空を見つめたままです。何とも言えないつらさと虚無感に包まれました。

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