短歌の作品
.


短歌2023年に戻る



題材別
.



2021年の短歌


  2021.12 音もなく静かに時は過ぎゆきてもくもくもくと年暮れんとす

 コロナに明け暮れた2021年も、あと5日で幕を閉じます。折しも戸外はしんしんと雪が降り続いています。今年一年をふり返りつつ、第4句の言葉(今の心境)を模索して湧いてきた言葉が「もくもくもくと」でした。

.


  2021.12 透明の空に雪雲わき立ちて白き妖精舞ひ降りてくる



  2021.12 冬の陽をわずか載せたる山沿ひの空よりむわり雪の大軍

 車庫から我が家に向かうとき、琴引山の方向を眺めると……。心細いような夕日を浴びている山々の一角に、雪の大軍と思われる雲の一団が覆い被さっていきました。

.


  2021.12 今ここに確かにわれは生きてをり空一面の夕焼けの下
  2021.12 夕暮れる雲を仰ぎて浸かる湯にさざ波空を刻みて寄せる

 毎日の日課となっている温泉入浴(サウナ浴)ですが、ときどき平田の「ゆらり」に出向きます。ここの露天はゆったりと広く、心も体もくつろげます。……そんなとき、脳裏に浮かんできたフレーズを短歌にしてみました。

.


  2021.12 雪の上にぽたりと夜が落ちてきて白き妖精ほろほろ舞へる

 集金常会の帰路、降りしきる雪にてくてく歩いていると、ふと「雪の上にぽたりと夜が落ちてきて」というフレーズが浮かびました。下の句は月並みではありますが、とりあえず「白き妖精……舞へる」としてみました。どのように降るかの表現は「はらはら」「しとしと」など浮かびましたが、この夜の降り方は「ほろほろ」がいいと思いました。

.


  2021.12 中押しの勝ちを読み切り打つ一手石を置く指ピシリとしなる

 毎週2回の囲碁同好会「碁会」、これが私の囲碁を楽しむ貴重な機会です。初段から5段(全員参加すれば10人)が集い、相手を変えながら打ちます。碁を打っている最中は意識が碁盤に集中して、回りの音がかき消されます。勝ったり負けたり……、ここがやり甲斐があり、面白いところです。

.


  2021.12 冬の陽をあまた載せたる屋根沿いに木枯らし木の葉飛ばして過ぎる

  2021.11 ここに今われは確かに生きてをり露天に歪む夕日を浴びて

  2021.11 夕焼けに流るる雲を仰ぎつつ露天に歪む夕日を浴びる

  2021.11 あでやかにすそ野をまとい大山は雲を払ひてすっくと立てり


 大山の紅葉を観に出かけました。幸い(11/7は)見事な秋日和。ドライブの行く手に展開する紅葉は、さまざまな変化を見せて展開します。大山の風情と相まって、単純な感嘆詞を漏らす連続でした。ちなみに、紅葉とは関係ありませんが、「大山まきばミルクの里」で食べたソフトクリームは絶品! 草原で遊び戯れるたくさんの親子の光景と相まって、嬉しさ百倍でした。

.
                           

  2021.10 投票にとつりぽつりと人の来て日がないちにち時過ぎざりし

 10月30日は「衆議院選挙」でした。地区の投票所にて、早朝7時から延々と12時間、選挙管理者の任を負ってひたすら訪れる人待ち係。もともと選挙人の少ない投票所の上、事前投票が約4割。1人〜3人、まさに「とつりぽつり」と投票にやってこられました。時間がこんなにゆっくりと過ぎるものとは! 改めて実感した、日がな一日(朝から晩までずっと)ではありました。

.


  2021.10 雨脚が向かふの山を通り過ぎ烏ねぐらへゆうゆうと飛ぶ

 秋の雨は気まぐれです。さっきまで晴れ渡っていたのに、みるまにかき曇り、雨を降らしながらネズミ色の雨雲が通り過ぎていきます。雨が通り過ぎると、どこから現れ出でたのか、「烏の寝所へ行くとて 三つ四つ二つ三つなど飛び急ぐさへ あはれなり。」(枕草子)秋の風物の一つです。

.


  2021.10 枯れ草を打ち始めたる雨音にくれないの葉をはらり落とせり

 駆け足で秋が深まっていきます。ふとした瞬間に季節の移ろいを感じるものですが、この短歌は「枯れ草に降りかかる雨音」「紅葉した枯れ葉をはらりと散らす雨筋」に焦点を当てました

.


  2021.10 朝焼けに叔母の訃報の知らせ来て空も空気もただにくすめり

 父方の叔母(95歳)が旅立ちました。ここ数年間は認知症を患い、最後の3年間は「グループホーム」にて過ごしていましたが、他界する数ヶ月前からは「雲南病院」での療養生活でした。父方の叔父3人、叔母3人のうち、叔父1人、叔母2人が他界しました。淋しい現実ではあります。下は、3月に見舞ったときの短歌です。

見舞ひたる叔母との会話弾めども数分前のこと消え去れり……

.


  2021.10 ひたひたと波打ち寄せる川岸をひたひた走るただひたすらに

 ただ一人、ひたすらに黙々と走る日課のランニング。この日は川土手を6Km走りました。ちょっと遊び心を出した平凡な短歌です、

.


  2021.09 雲ほどけゆく秋空にゆうゆうと烏の飛びて夕暮れていく

 第2句の中に初句の一部が食い込むような詩になりました。こんな作り方もあっていいのかな? と、あえてそのままにして作句しました。「枕草子」にも出てきます「秋は夕暮れ。 夕日の差して山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。」が、秋の夕暮れに烏はどことなく似合っていると思います。のんびりとした秋の夕暮れの一場面を短歌にしました。

.


  2021.09 音もなく還らぬ日々の浮かび来てロウソクの火をそっともみ消す

 仏壇を拝んでいると、ふと生前の祖母(幼児期、一緒に寝てくれた心優しい祖母)や父(働き者で誠実だった父)との在りし日の光景が浮かんできました。しばらくの間、思い出にひたっていましたが、ふと現実に返って今の自分を見つめた出来事です。

.


  2021.09 秋風が呼吸のやうに吹き過ぐる森を駆け抜け犬と戯る


  2021.08 悄然と命終へんか蝉の声ただ佇みて夏を見上げる
  2021.08 さわさわと風わたり吹く山道に命終へんと鳴くセミの声

 「夏を見上げる」とは、セミのあまりに短い(地中で6年間→地上で2週間)命について、その宿命を思ったという意味を込めました。また、夏らしくなかった今年の夏が終わろうとしているんだという気持ちを表現しました。さらには、今年の夏も「リフレッシュ旅行」にいけなかった悔しさも込めたつもりです

.


  2021.08 山脈を刻みて寄せる夕闇にふと足を止め夏を見上げる

 「秋の日はつるべ落とし」と言いますが、ここのところあっけなく日没を迎えるとともに、暮れが加速度的に早くなってきました。夕方、愛犬とのランニングの途中、ふと足を止め夕闇迫る山々を眺めていると、「夏」が過ぎ去ってしまったんだなと、嬉しいような寂しいような感情がわいてきました。

.


  2021.08 あな可笑し百人一首もじりたる安野光雅たんかの世界

 先日、津和野にある「安野光雅美術館」に出かけました。むろん、絵本の挿絵など独特の世界に魅せられました。が、一番足を止めてみたのは「百人一首」下の句を取り入れ、安野光雅の世界を詠み込んだ短歌でした。こういうのを「本歌取り」というのでしょうか? いやはや新鮮で愉快でした。

歌かなし終戦の夜は歩哨にてわがころもでは露にぬれつつ

小春日に乙女の色のひるがへりころもほすてふ天のかぐ山

旅の宿窓うつ氷雨行く秋のながながし夜をひとりかも寝む

伏流の神酒たてまつる大観の富士の高嶺に雪は降りつつ

村祭りはじめて紅をさす子らの声聞く時ぞ秋はかなしき

うた響くアルバイシンの家並みの白きをみれば夜ぞふけにける

シエナではワインの色に酔ひたまふ三笠の山にいでし月かも

わが庵は姥捨山の麓にて世をうじ山とひとはいふなり

黒髪の色あせぬ間と思ひしにわが身世にふるながめせしまに

たとふればイスタンブールの人混みは知るも知らぬも逢坂の関

.


  2021.08 素直さと愛をふりまくシロイルカ泡を出す度まばたき忘る

 津和野からの帰路、浜田のアクアスを訪れました。やはり何と言っても心引かれたのが「シロイルカショー」です。夏休みということもあって、客席は人で埋まりました。イルカは利口とは聞いていましたが、その仕種や数々の技に鳥肌が立ちました。しっかりと「人格」(いや、イルカ格?)を供えており、愛嬌を振りまきながら、指示に従って見事な技を次々と披露して見せました。

.


  2021.07 クマ鈴とイヌをお供に駆け抜ける森の木立にセミ時雨舞う


 飯南町に爪痕を残した集中豪雨が去ると、本格的な夏がやってきました。日課のランニングも夏真っ盛り。走りながら一句が出来ました。(蝉時雨」「蝉しぐれ」など)「セミ時雨」の文字をどうすべきか? 蝉時雨が「舞う」はおかしいか? あれこれ迷いましたが、とりあえず作り納めました。。

.


  2021.07 むんむんと重たき空気押し分けて走る木立に梅雨明け間近

 飯南町全域に、最高レベル「全員避難指示」が出た7月12日(月)、集中豪雨は町内各所に爪痕を残しました。その後、異常に蒸し暑い日々を過ごしていますが、梅雨前線も太平洋上で消え去り、いよいよ夏を迎えようとしています。そんな7月17日、恒例のランニングをしながら、ふと頭に浮かんだ短歌です。

.


  2021.07 立ち上る草焼き辺りの青煙景色乱して雲にまぎれり

 川土手を往復しながら走っていると、かなたに青々と煙が立ち上っていました。どうやら草刈の草を焼いておられるように見えました。山紫水明、田舎ののどかな景色を乱しながら、天の雲と連なっているように見えました。

.


  2021.07 土砂降りの遊ぶ場のなき雨水を集め下りて川のたうち回る
  2021.07 増水にのたうち回る斐伊川の上をかすめてシラサギ舞へり

 7月1日から続く断続的な「梅雨前線」による雨は、山陰地方を標的にしました。7日〜8日は、松江・出雲・安来・雲南など避難指示が出された地区があり、臨時休校を余儀なくされました。7日、斐伊川土手を車で走りました。横目に見る川は大きく幅を広げ、不気味に盛り上がりながら流れ下っていました。県内各地で、床上浸水・土砂崩れなどが起きたと報じられています。梅雨末期の風物詩? ではありますが、一日も早い梅雨明けがが待たれる今日この頃です。

.


  2021.07 ふるさとに輝き与えて二百号いよよ羽ばたけ「い〜なん」高く

 飯南町の広報「い〜なん」が今年8月号で記念すべき200号を迎えるとのこと。ついては(頓原短歌会)に8月掲載の作品は、「広報200号を祝う」作品を送って欲しいとの依頼を受けました。
 広報「い〜なん」は、かつて市町村広報で受賞するほど、温もりのある充実した内容を誇っています。地域の人々に光を当て、活性化にひと役買っていると評価されています。そういうことを念頭に歌を作りました。

.


  2021.06 愛犬と駆けりし後のサウナ浴汗したたれり毒もろともに
                  

 ほぼ毎日、ルーティン(日課)となっている「愛犬との山中ランニング 6Km」⇒「琴引温泉(サウナ浴 計30分)」も、8年が経過しました。滴る汗で、事前と事後とでは体重が2Kg変化します。サウナ浴中と入浴後は、水分補給が欠かせません。
 ランニングで流す汗と、サウナ浴で滴る汗とは、同じ汗でも別物に感じます。しかし、いずれも「リフレッシュ」(すっきり感)という点では全く同じ。どちらも辛い時間を耐える一面もあるので、達成感・征服感・成就感が湧きあがります。健康の維持・増進に併せ、心身の活力には欠かせない日課となっています。。

.


  2021.06 活用の広き「図式」を伝へんと授業進めん怒濤のごとく

 退職後も「要約学習」の授業をし続けて、思いがけず11年目を迎えています。地元の赤来中学校へは、各学年7時間出かけています。その他、町内外の小(1年生〜)・中・高校(飯南高校1年生のみ)へ、ほとんど年間通して出かけています。いったい、あと何年、こういう授業や研修会が出来るのか? また、学校などから依頼が来るのか? ……私の中では見通せているわけではありません。
 しかし、「図式」を手に入れると日常が変わります。児童生徒にとっては、メキメキと読解力が伸びます。先生方にとっては、子ども達に向かって話す「話力」が向上します。スピーチ力が伸びるということは、とりもなおさず「授業力」が上がるということです。
 確信を持って、授業に臨んでいます。一人でも多くの子ども達、先生方に、この「図式」を伝えたいと強く願っています。そういう願いを込めて、全身全霊で授業を行っている私です。

.


  2021.06 マスク顔の一つとばしの保護者席アタック決まれば熱気沸き立つ

 3日と4日、雲南・飯南中学校総体がありました。スポ小バレーで関わった、最後の子ども達が中学2年生です。2年生3人、3年生3人のチームです。教え子たちの見納めのような気持ちで応援に出かけました。優勝を目指していましたが残念、木次中と海潮中に破れて3位。しかし、県大会出場の資格を得ることは出来ました。
 一つ飛ばしの保護者席は満席。声を出しての応援は禁止です。マスク姿で拍手のみの応援でしたが、好プレーが出れば、応援席から熱気あふれる喜びが拍手となってわき起こります。コロナ禍の中、一種異様な雰囲気ではありましたが、応援を入れての大会が開催され、選手も保護者も嬉しかったことと思います。
 ちなみに今日(8日)、邑智郡大会が行われました。指導に出かけている邑智中学校が見事優勝。これまた、県大会の切符を手に入れました。。

.


  2021.06 木漏れ日の中を駆けたる愛犬のしっぽの先に葉ずれさやけし

 愛犬(黒:ラブラドールレトリバー:メス)も9歳を超えました。ネットで調べると、寿命は10歳〜12歳とされています。動きを見るかぎり、まだまだ若々しいのですが、いずれ飼い主より早く命を召される運命にあると考えています。
 その愛犬との日課は起伏の激しい山中(林道)ランニング、往復6Kmです。山に入ると「リード」(綱)は外しますが、ちゃんと主人の側を寄り添って走ります。このコースは大半が木陰となっており、真夏の昼間でも大丈夫です。その至福の時間を短歌にしてみました。

.


  2021.05 胴巻きと腹部を病める母なれば意識の底で伝えたらむか
  2021.05 悔やまんか脳出血に倒れたる母に胃ろうの決意したるを


 コロナ禍のため、再び面会謝絶が続いていた4月29日、特別養護老人ホームから連絡がありました。入所している母(要介護5)が、4月下旬から帯状疱疹(胴回り)と便秘の症状があるとのこと。その後、処置を施すも5月に入っても便が出ないため、とうとう飯南病院に入院、検査と治療となりました。
 ……幸い5月12日に、やっと便通があり、ほっとひと息という今日この頃です。
 そして、今の心境をしたためた短歌を2首作りました。母の年齢も92歳、目は開けても意識はない中にあって、どんなことを思い、何を訴えようとしているのか? 自問自答と自責の念とが去来するきょうこの頃です……。

.


  2021.05 ぼたん香の咲き広がれる由志園にマスク群れたりコロナ禍にして

 5月4日(火)、由志園(ぼたん祭り)に出かけました。コロナ禍ではありましたが、ものすごい賑わいでした。ボタンの香りが漂う中、例によって魅力的な庭園を満喫しました。個人的にはコロナ禍であっても「感染対策」(マスク・消毒など)をしながら、それなりに人々がぼたん祭りを楽しんでおられたことが嬉しく思いました。その気持ちを短歌に盛り込みたかったのですが、いまひとつ表現力が足りないようです。

.


  2021.05 網掛けと水玉模様に包まれし草間の世界にうつつ彷徨(さまよ

 同じ日、米子市立美術館に出かけました。目指すは「特別展」です。ウィキペディアによると、「幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらの幻覚・幻聴を絵にし始めた。1957年に渡米すると絵画や立体作品の制作だけではなくハプニングと称される過激なパフォーマンスを実行し、1960年代には「前衛の女王」の異名をとった。」とあります。ここまで網掛けと水玉模様にこだわって描き続けておられる、草間彌生の世界にただただ魅了されました。

.


  2021.04 武者姿あまた集ひて瀬戸山の城址に立てり時空が歪む
                

 赤来高原「道の駅」と松江武者行列との共催で、赤穴城(瀬戸山城)に登城するというイベントがありました。武者姿は12名、わざわざ遠路駆けつけてくださいました。中には甲冑の重さが20Kgという方もありましたが、汗をかきながら登城にこぎ着け、写真は城下を背景に記念撮影です。思いがけずタイムスリップを体験しました。

.


  2021.04 野球部の声を載せたる風受けて桜散り敷く川土手走る

 毎日の日課にしているランニング、日ごろは愛犬と山道を走りますが、この日(土曜日)は一人で川土手を走りました。中学生の元気な声が、春の陽気を突き抜けるように聞こえてきています。折しも春を彩る「桜花爛漫」も葉桜に近く、走る道々に花びらが散乱しています。今年も春たけなわです。爽やかな気持ちでるんるん川土手を走りました。

.


  2021.04 見舞ひたる叔母との会話弾めども数分前のこと消え去れり……

 雲南病院に、94歳になる叔母を見舞いました。数年前から認知症を患っており、物忘れが年々ひどくなっていると聞いてはいました。しかし、私のことも直ぐに認識出来るし、普通に会話も出来るし、笑顔で楽しいひとときを過ごしました。ただ、事前に従姉妹(叔母の子)から「たった5分前のことも記憶に残らないんです。」と聞いていました……。悲しいようで、いや、かえってその方がいいのかも? 複雑な気持ちで病室を後にしました。

.


  2021.04 白鷺の今耕せる田に降りて虫探せるかひょこひょこ歩む

 ランニング(1Kmコースを4往復)をしている間、田んぼの光景です。トラクターが田起こし(土を耕して乾かすと、土が空気をたくさん含むので、稲を植えたときに根の成長が促進される。)の真っ最中、3羽の白鷺がトラクターの周りに舞い降りては、長い首をひょこひょこさせながら歩き回っていました。何とものどかで現実的な春の光景だと思いました。

.


  2021.04 群スズメ葉桜の樹に隠れ居て羽音とともに霧散し去れり

 これもランニング中の出来事です。葉桜になった横を通り過ぎるとき、すさまじい音とともに無数の雀が木陰から舞い立ちました。どこに隠れていたんだろうと驚くほどの数に、圧倒されました。別に脅かしながら走っていたわけではありませんが、何となく気の毒なことをしたなぁという気持ちが湧いた出来事です。

.


  2021.04 五年ぶりバレーの部活指導せり筋肉びんびん汗ほとばしる

 スポ小バレーを退いてから4年、赤来中学校の部活動指導代理(2ヶ月間)から5年が経過。まさかまさか70歳になって、バレー指導の依頼があるとは全くの想定外でした。むろんお断りしたのですが、再度「週一日でいいから」との依頼には、さすがに断れませんでした。しかし「昔取った杵柄」とはよく言ったもの、打ち出すボールがほぼ的を外さず飛んでくれます。日ごろのランニングが功を奏したか、ひどく汗は出ますが息が上がりません。思いがけず、若さを保っている? 自分の体に感謝です。20kmの距離を出かけるのは億劫ではありますが、貢献出来る場があるということは幸せです。

.


  2021.04  花桃の咲き広がれる丘に立ち来し方臨む天空(あお

 4月1日、今年で3年連続となる「天国にいちばん近い村:花桃の里:川角地区」に出かけました。過去2年は、いずれも満開時期と外れており、今年こそは! と、満を持して出かけました。実に見事な、絵本の中にいるかのような景色が展開していました。しばらく絶景スポットで時間を過ごしました。上の句はすぐに浮かびましたが、下の句が難産でした。退職してちょうど十年が経過。その来し方を展望する内容としました。

.


  2021.04 賀田城の早朝登山イベントに先祖の決意思ひ涙す

 4月6日(火)、早朝4時半集合。「天空の朝ご飯」と題して、かつて城主だったとされる「烏田権兵衛」の居城(賀田城)跡に登山をしました。雨天のため順延、10名の欠席が出たとはいえ、暗い中を30人近い人数が城跡を目指しました。残念ながら朝日は望めませんでしたが、約270度見渡せる山頂(城跡)に佇んで、在りし日の権兵衛の苦渋の決断に思いを馳せました。涙までは出ませんでしたが、苦難の決断を思い、「涙す」としました。

.


  2021.02 山道にしぶとく残る固雪を蹴散らし走れば犬も弾めり

 日ごろは山の中(ジュンテンドーから飯南高校へ抜ける道)を走っています。山の中では、イヌのリードを外して、お互いに束縛されないで走っています。でも、冬期間(積雪のあるとき)は、民家があるところを走るため、リードは繋いだままです。私のペースに合わせて走ってくれはしますが、やっぱりリードを外して走った方がイヌも私もストレスがありません。

.

  2021.02 冬去りぬ 春風のごと寄り添へる愛犬 山の残雪を蹴る

 愛犬(黒:ラブラドールレトリバー、9歳)とのランニングは日課となっています。リードを離して走るので、コースは山道です。今年は積雪が深かったため、一ヶ月近くは民家のあるコースを余儀なくされました。久しぶりに山道を(自由奔放に)走り回る愛犬は、残雪を蹴飛ばし、ほんとうに嬉しそうでした。

.


  2021.03 花の色は移りにけれど今しとき春らんまんに散りゆくを見よ

 小野小町「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」を意識して作りました。年を重ねるということは、何とも悲しいことでもあります。若いときのような勢い、気力、回復力など、年毎に衰えていきます。桜も勢いがある満開が見頃なのは言うまでもありません。でも、桜花爛漫にあって惜し気もなく、てらいもなく、潔く散っていく姿も見事です。自分の今を重ねながら短歌にしました。

.


  2021.03 大空に春の来たれど人の世はマスクの顔で挨拶交わす

 去年の今頃は新型コロナで、全国各地の学校の大半が臨時休校となりました。子ども達にとっては卒業式を中心として「お別れの季節」が吹っ飛びました。併せて、マスク姿が当たり前になり始めました。そして、一年が経過しました。
 せっかく希望にあふれる「春」がやってきたというのに、人間社会はどこを見てもマスクマスク……。挨拶を交わすのも表情が見えにくいマスク姿です。どうしてこんな世の中になってしまったんだろうと、悲しく悔しくなります。そんな思いを短歌にしました。(日本にとって新型コロナはけっして「死の病」ではないので、一日も早く人々が苦しまない、人と人とを隔てない日常がやってきてほしいものです。)

.


  2021.03 春色に野山も空も色づきて露天に(かり鳥の声聴く


  2021.03 ゆらゆらと景色を刻む露天の湯ゆらぐ水面(みなもに春の雲行く


  2021.03 ぽっぽっと冬を堪えたる枝に沿ひ春が来たよと桜花咲く


  2021.01 この一手(るか(るかの剣が峰決断促す湯沸かしの音

 毎月、第2・第4水曜日の午後は「囲碁同好会」の対局があります。一局打ち進む中で、幾度か「ここぞ!」という局面を迎えます。ここは辛抱して控えるべきか、いやいや一気に畳みかけていくべきか? ……静かな対局場に、湯沸かしポットの音が決断を促しています。こういうことは囲碁対局のみならず、実生活の場面でもよく出てきます。ダブらせながら作句しました。

.


  2021.01 あらたまの年の初めに降る雪よ真白に染めんコロナ禍の世を

 コロナ騒動の前は、こんな日本の世の中ではなかった。人々は怯え、人を責め、零細経営の店がバタバタと休業・閉店、失業者、……。雪よ、今の悲しい日本の世の中を純白にリセ ットしてくれ! という願いを込めて作りました。
  「真白に染めん」の「ん」は、2人称で使うときには「してくれ!」「するがよい」「したらどうだ」という意味になります。古語辞典で調べました。

.