要約力
第4章

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2014.9.9(火)


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全体像











一部熟読法

                                     


 読書には、@目的型読書とA趣味型読書があります。Aには要約は不要ですが、@には要約が必要です。また、「一部熟読法」も必須です。

 一部熟読法として、新聞の場合は、取捨選択力が問われます。多くの記事の中から、自分が求めている記事をすくい取り、さらにスクラップとして保存する記事は熟読します。

 週刊誌の場合は、不特定多数が読者です。自分にとって「既知」のことがだらだらと記述されているか所は、とばし読み、斜め読みです。核心に触れた部分はじっくりと熟読します。

 月刊誌は、要約練習にもってこいです。筆者は一冊の本の 1/10 の分量で、一冊の本に匹敵する内容を盛り込もうとして書いています。構想力、文章力を総動員して書いています。それだけに文章が洗練されています。

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コメント
趣味型読書に要約は不要
とありましたが
文学作品を楽しむ場合も
読み終えた部分の内容について
脳裏では要約が出来ていないと
脈絡がなくなって
今の場面が生き生きと楽しめません。

この部分は
気になったにしても
初めて目にした
一部熟読法。

きっと
私を含めて誰もが
日頃はそうしていると思います。
限られた時間で
より多く情報を得たいときは
濃淡を付けて読まざるをえません。










要約カプセルへ収納


 こうやって「自分にとって必要な部分」を絞り込んで熟読します。併せて、関連する他の文献も当たります。手に入れた内容は、「要約カプセル」へと収納です。

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コメント
この要約カプセルですが
私は付箋を活用しています。

それにしても
ときどきその付箋を出してきて
眺めることがありますが
自分の記憶力のナサを嘆くことが
少なくありません。

ひどいときには
すでに読んだ本を書店で見かけて
気づかずに
また同じ本を
買って帰ったことが
少なくとも3度あります。
先日がそうでした。
我ながら情けなかったり悔しがったり、……。












要約頭脳を育てる


 一部熟読法の後は、「要約レポート」の作成です。必要な内容を箇条書きし、文脈が分かるように並べ替えます。最後に一口コメントを書き加えます。 ……これが「要約カプセル」となります。

 ちなみに、この要約レポートの作成は、要約頭脳を作ります。

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コメント
一口コメントを除けば
上に掲載した
付箋による
必要事項の要約(小図式)は
まさに
和田秀樹氏の提唱されている
要約カプセルかと思います。

それにしても
すぐに引き出せない
せっかくメモにした情報が
忘却の彼方に消える現象は
何とも
悲しい現実ではあります。










要注意=TV情報


 「文字メディア」の場合は、待っていては何も与えてはくれません。自分が能動的に働きかけないと情報は得られません。

 その点、TV情報は一方的に情報を送ってきます。しかも音声付きの映像です。受け身になり勝ちです。脳はずいぶん楽をする分、思考力を奪われ勝ちです。それだけに、TV視聴によって情報を得る場合は、「批判的精神」をしっかり発揮すべきです。

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コメント
文字メディアの場合は
待っていては何も与えてはくれません。

というフレーズが
強く心に残りました。

そこが映像メディアとの
決定的な違いです。

映像(特に動画)は
理解を助けます。

ピラミッドを知らない人に
その威容を説明する場合
文字だけだと
そうとう労苦を伴います。
読んだ相手は
違った映像を浮かべている可能性もあります。

その点
百聞は一見にしかず
写真を見せれば
一目瞭然です。

さらに動画となれば
立体的に了解することが出来ます。

では
映像メディアがいいか?

いえいえ
子ども達に言語力を培ってもらうために
あえて
映像を排除した
文字メディアに挑戦してほしいのです。

言語で発し
言語で理解する。
そこが教育の原点です。

要約学習は
ここに拘っています。

音声や文字から情報を得て
映像にしたり
図式にしたりします。
それを頼りに
プレゼンをします。

こういう原点を学び
身に付けた
その向こうに
さまざまな教育機器の活用が待っている。
古くさいようですが
これが要約学習の基本原則です。

パワーポイントなど
便利な教育機器に
初めから走ったら
土台に当たる部分が貧弱なまま
学校を卒業することになります。

最近
タブレットが教室に
入りつつあります。
子ども達にとって
興味関心を引くこと請け合いです。
ただ
私は危ういものを感じています。

最初にタブレットありきでは
教育の本質を失いかねません。