図式化
歴史の教科書
〜武士の成長(2)〜

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2014.6.8(日)


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 引き続き、中学校「歴史」の教科書(東京書籍)を図式化します。

 社会科の教科書を久しぶりに拝見して、写真やさし絵などの資料の多さに驚いたのですが、それ以上にビックリしたことがあります。それは、歴史の流れの記述がまさに新幹線、いや、リニアモーターカー。内容に血が通っていなくて、ほとんど要約の世界です。味も素っ気もありません。

 社会科の先生は、おそらく他に自作資料などを準備して、事件の背景や醍醐味を伝えておられるんだと思います。今回取り上げた「荘園」ひとつとっても、「口分田」(班田収授法)⇒「三世一身法」⇒「墾田永年私財法」⇒「荘園」という大きなうねりのなかで、武士が力を伸ばしていったいきさつは、実に興味深いスポットの一つです。

 ちなみに、池上 彰 氏は皮肉気味に、著書『伝える力2』のなか(P90)で、次のように書いておられます。

 
歴史の教科書は、先生が『ここに書いてあることは、こういう意味なんだよ』と説明して、生徒が初めて理解できる。それがよい教科書の条件になっているのです。

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荘園と武士


 有力な豪族(武士)は、開墾した土地にお墨付きを与えてもらうために、その「領地」を有力な貴族・寺社に寄進しました。特に、上皇は大くの利権を与える見返りに、数多くの領地の寄進を受けました。なお、寄進した領地は(むろん)自らが治め、「荘官」として勢力を伸ばしていきました。

 一方、地方の国司は、「荘園」以外の領地を「公領」と称して自らが治めました。これを守るために武士を置いたので、ここでも武士は勢力を伸ばしていきました。

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源平の争乱


 武士のなかでも「平清盛」は、多くの荘園をかき集め、高い官職を平家が独占するとともに、自らは(武士としては初めて)「太政大臣」に就任しました。平家はまさに栄華を謳歌する時代を迎えたのです。

 一方、神戸に港を建設するとともに、航路を整え、中国との貿易を開始。財を蓄えていきました。

 これに反感を覚えたのが、自らも荘園を抱える貴族や寺社です。諸国で兵を挙げ、乱を起こしました。なかでも、鎌倉に本拠地を構える「源頼朝」は、弟の義経を都に派遣し、平家追討に当たらせました。そして、ついに「壇ノ浦」に平家を滅ぼしたのです。

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