�@ 大坂夏の陣において、町中の人々は同じ川へ向かって一斉に殺到しました。この混乱の様子は、福岡藩黒田家に伝わり現在は重要文化財となっている「大坂夏の陣図屏風」に生々しく描かれています。屏風の右半分には武将たちの合戦が描かれている一方、左半分には荷物を抱えて逃げまどう人々や川を渡ろうとする民、そして彼らに鉄砲の銃口を向けたり、刀で斬りかかったりする様子が表現されています。逃げ惑う民衆の姿をリアルに描写したこの絵図は「戦国のゲルニカ」とも称されます。
※ ゲルニカ=戦争の悲惨さ・恐怖・絶望を描き上げた絵。
�A 大阪城が落ちた直後、陣を引き上げてくる兵たちは、女や子供を情け容赦なく連れ帰りました。その様子が屏風には生々しく描かれています。そして「三河物語」の記録には、捉えられた人々が人買い商人の手を通して各地へ売られていったことを記しています。こうした戦後処理の混乱に乗じ、戦場やその周辺で勝者側の兵士が金品を奪い、人を連れ去る行為は「乱取り」と呼ばれていました。
�B なぜこのような悲劇が起きたのでしょうか。当時の軍勢の多くを占めていたのは、貧しい農村からやってきた「雑兵」と呼ばれる下級兵士たちでした。彼らにとって戦場は数少ない貴重な稼ぎ場でした。日当(給料)が出ない代わりに、現場で奪ったものを自分の所有にできる仕組みであったため、彼らにとっては戦の勝敗以上に持ち帰る成果が重要だったのです。