@ 1855年2月7日(第二次世界大戦10年後)、日本とロシアとの間で「日ロ通好条約」が調印され択捉島とウルップ島の間に国境が確認されました。それ以降も、択捉島・国後島・色丹島。歯舞群島からなる北方四島は、日本固有の領土です。しかし、1945年に北方四島がソ連に占領されて以降、今日に至るまでソ連(ロシア)による不法占拠が続いています。
A 日本はロシアより早く北方四島の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡るとともに、徐々にこれらの島々での生活を確立しました。しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は「日ソ中立条約」に違反して対日参戦(日本に戦争を仕掛ける)し、日本が「ポツダム宣言」(1945年7月、日本の戦争終結条件を示したアメリカ・イギリス・中国3ヵ国首脳の宣言)を受け入れた(同年8月14日)後も、同年9月5日までの間に、北方四島のすべてを武力で占領しました。
B 当時、北方四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいました。ところが、ソ連は1948年までにすべての日本人を強制的に退去させました。それ以降今日まで、北方四島はソ連・ロシアによって法的根拠なく占拠されています。北方領土問題が存在するため、日本とロシアの間では、戦後77年が経っているもかかわらず、いまだ平和条約が結ばれていません。今も日本政府は、ロシア政府との間で粘り強く交渉を行っています。