@ 1941年(昭和16年)12月8日、日本軍の真珠湾攻撃を皮切りに「太平洋戦争」が始まりました。当初は戦果を挙げていた日本軍も、1944年(終戦の前年)6月、マリアナ沖海戦で400機に及ぶ戦闘機と優秀な搭乗員(パイロット)を失い、大敗北を喫しました。これを機に戦闘機の激減、ベテランパイロット戦死による戦闘機の操縦技術低下が大問題になりました。そこで、大きな戦果をあげるためには「体当たり攻撃」(特攻)しかないという声が、指令部の中で上がり始めていました。
A 戦況悪化の中で、起死回生を狙って正式な戦術として「特攻」(特別攻撃隊)が始まったのは 昭和19年10月、フィリピン・レイテ沖海戦です。海軍航空艦隊の志願者24人が「神風特別攻撃隊」に編成され、爆弾を抱いて敵艦へ体当たり攻撃を仕掛けました。これを皮切りに特攻作戦が常態化(当たり前に行われる)し、終戦までに6,418人が戦死したとされています。
B 特攻には、優秀な20歳前後の若者たちが十分な訓練を受けないまま出撃し、標的や目的地に到達する前にその多くが命を落としました。一方で、沖縄戦における米軍側の艦船での戦死者は5,000人近くにのぼりますが、そのほとんどが戦闘機による特攻によるものでした。「特攻」は、生き残った搭乗員、特攻兵器の製造に携わった人々にまで、深い心の傷を残しました。