奇跡の国語
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2022.4.7


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今回は
「考える読書」について
これまでに読んだ本の中から
一部を抜粋する形で紹介します。



国語が強くなる上で心がけること


 「考える読書」は、何も本を読まなくても別の方法で可能ではないのか? ……こういう疑問が浮かんできた人もいるかも知れません。

 その通りです。テレビドラマや映画を観て感激の涙を流したり、あれこれと考えをめぐらしたりということは、確かにあります。マンガ、演劇など、その他にもあります。実生活でもあります。

 日々出会う、さまざまな体験を通して「考える力」「考える姿勢」を育てる機会はいくらでもあります。こういう機会を捉えて、


人間を取り巻くあらゆる事柄(テーマ)に興味・関心を抱き、自分なりに考えをめぐらし深めていくことが、読解力を培う上からも重要なことです。

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 「漢字はマスター出来ているのに、国語が苦手な人」は、特にこういう姿勢を心がける必要があります。


 「入江 伸」氏は、『奇跡の国語』という本の中で、次のように書いておられます。


 文章を十分に読みとる力というのは、「誠実に日々を生き抜いていく姿勢の中で、初めて身に付くものだ。」と、私は気づきました。
 すなわち、「国語に強くなる努力」というのは、「生活をより豊かに、味わいのあるものにする努力と、全く一致するのだと言えるのです。

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マンガと読書との違い


 さて、では「マンガと読書とは、どこがどう違うのか?」という疑問について考えてみましょう。

 松尾弥太郎氏は、「読書はしないが、マンガは人一倍読んでいる」子どもの特徴について、次のように調査結果を発表しておられます。


感情で物事を処理しやすい。
短絡的で、衝動的な傾向がある。
性格的には「がさつ」な傾向がある。

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 どんな種類のマンガを読んでいるかにもよりますが、「裸の言葉」が羅列されているマンガの世界に、どっぷりと浸かっている子どもは、どんな傾向にあるのでしょうか?

 その点読書は、じっくりと文字をたどりながら、それを頼りに自分の頭の中で、それらを「イメージ化」「図式化」しながら考えを深めていきます。まさに読書は、高度な人間的な営みです。

 そこに食べ物が置いてあるとき、
@ 一目散に駆け寄って食べるのが動物。
A 「ちょっと待てよ」と立ち止まり、一呼吸置いていろいろと考えをめぐらし、それから行動(行為)を起こすのが人間。

 マンガと読書の違いとは、これと重なるところがあります。

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「考える読書」の勧め


 今回は『中学国語の科学的勉強法』(宮川清美;著)から、文章を引用して紹介します。


 「考える読書」をしないと、せっかく詠んでも、読書の印象は〈朝の霧〉のように跡形もなく消え去ってしまいます。

 「よい先生というのは、自分の持っているものを与えるだけではなく、学生の持っているものを引き出し、育てる人だ。」(小林秀雄)と言われています。

 「考える読書」は、皆さんの持っているものを引き出してくれます。そういう意味でも、ただ単に本を読むだけではなく、「考える姿勢」を大切にしながら、多くのことを読書から学んでください。

 読書によって、私たちはさまざまな人生を知ります。読書によって、これまで自分が体験したことがないことでも体験出来ます。また、今まで考えたことがなかったことについても、考える機会を与えてくれます。

 こういう読書を通して、人々の悩みを知り、人間というものを理解していきます。こういう体験を通して、私たちは「人間味豊かな心情」や「より豊かな創造力」を育んでいくことが出来るのです。つまり、「人間的な成長」を目指すことが出来るのです。

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