端的・明快な話し方を!
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2022.3.20


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話の腰を折る


 人が話しているときに途中で割って入る、「話に水を差す」「話の腰を折る」という行為は、一般的に無礼とされています。逆に「傾聴」という言葉がありますが、基本的に他人の話には敬意を持って熱心に聞くことです。

 井戸端会議でも、正式な会議でも、人の話の聞き方にはいろいろなタイプがあると思います。かくいう自分はどうなのか? 人が話しているときには途中で茶々を入れず、「うんうん」「なるほど」「ふ〜ん」など相づちを入れながら最後まで聴くよう心がけているつもりです。実際、第三者が観察したらどうなのでしょうか?

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「話に水を差す」=人が話している途中でジャマをする。
「話の腰を折る」=人が話しているのに途中で割って入り、話を壊す。







話は人なり


 「文は人なり」と言いますが、「話も人なり」です。

 私はつねづね「自分が話すときには、分かりやすい言葉を使う」「シンプルに、端的に、短く話す」「話の構成を工夫する」ことを心がけています。未だ合格点とは言えません。反省の連続です。でも、心がけていることが大事だと、いつも自分に言い聞かせています。

              

 昔話です。平成8年度と9年度、私は地元の中学校に勤務(教頭)しました。たまたま年子のわが子と2年間、同じ屋根の下で生活する羽目となりました。今思い返しても、「わが子がいる学校では勤めるべきではないな」という場面、エピソードが幾つも思い浮かんできます。

 いいこと? もありました。教頭としての私をコメント(たいていは非難)してくれたことです。日ごろから「短パン姿で僕の前に現れんで!」「父ちゃんは話が長い!」などと小言を言われていました。

 国道54号の清掃作業がありました。出発式が始まろうとしたそのとき、「校長先生、電話です。」との職員室からの声に、私に校長先生は「教頭先生、代わりに話をしてください。」と告げて、去って行かれました。

 え〜〜、突然ですか! 話す内容を考えるヒマも時間もありません。私は所定の場所まで歩く道々、「そうか、短く話せばいいんだ!」と思いつき、急に気持ちが軽くなって何とかその場を切り抜けました。

 その日の夕飯です。「お父さんの今日の話、どうだった? 短くてよかったろう?」、わが子二人に問いかけました。しばらく沈黙が続きました。おもむろに愚息がいった言葉が「父ちゃん、言うべきことは言わにゃあいけんわね!」、ガクッ!

 このときからです。スピーチの心得は2つある。一つは、話す内容。これは人間性、教養などが大きく関わります。今ひとつは、出来る限り短く話すこと。

 前者は、一朝一夕に身に付くものではありません。しかし、後者は心がけによって進歩発展が期待出来ます。

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端的・明快なスピーチ


 私の退職後のライフワークの一つとして「要約学習」があります。発端は「総合的な学習の時間」の「調べ学習」において、生徒は「丸写し」をしている実態があました。その打開策として学校ぐるみで「要約学習」が始まりました。

 その後において、調べた内容をプレゼン(スピーチ)する際、生徒は原稿を棒読みしている。全く迫力がない。内容が伝わってこない。聴衆の方を見ながら話す生徒にすべきだ。 ……という声が上がりました。「要約学習」で併せて取り上げることとなりました。

 両者を繋ぐのは「図式」(図・表・絵を含む)です。内容を図式化し、それを見ながら文章化すれば「盗作」にはなりません。一方、プレゼンする内容を「図式」に描けば、内容の全体像(構造)が脳裏にインプットされます。これを手元に置き、ちらちら見ながら話せば、文章の棒読みにはなりません。

 しかも、図式化することによって、話す内容が構造化されます。どこから話し始め、どういう順番で話せば分かりやすいかなど、プレゼン構想が立てやすくなります。当然、無駄な部分はそぎ落とされ、端的・明快にスピーチ出来ます。

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図式のある生活を!


 日常生活の中で、話がスッキリしている人、明快で分かりやすい話をされる人、だらだら回りくどい話し方をされる人、とにかく牛のヨダレのように話が長い人、……まさに十人十色です。また、要約学習に心血を注いでいる私ですから、話し方に敏感で(心の中で)聴きながら採点しがちです。

 私自身も「話し方」については、まさに発展途上の一人です。ただ、端的に明快に短く分かりやすく! と、いつも自分を戒めています。話し合い(会議)などでは、話す前に必ず簡略な「図式」を書くようにしています。

 (発展途上にありながらも)手元に図式があれば、ど〜〜んと大黒柱の通った話し方が出来やすい、少しでも簡明に短く話そうという意識も働いていると、自分では自己評価しています。

 図式力を向上させれば、日常生活が必ず変わります。何としても、一人でも多くの人に、この「図式」の魔力と魅力を発信したいと考え、要約学習に出かけた令和3年度の一年間でした。

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