自分の体を通り抜けた文章
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2021.4.11



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平成3年5月7日から6月11日までの36日間
国立教育会館筑波分館で開催された
第168回教職員等中央研修講座(平成3年度中堅教員研修講座)に
参加する機会を得ました。

北に筑波山を望み
木々の緑と抜けるような青空に囲まれた
広々とした学園都市に位置する
国立教育会館筑波分館.

ここに、全国から参加してこられた
299名の先生方とともに積んだ研修は
大きなインパクトを与えられました。
私の教育観、人生観を変えました。

なかでも合計41回に及ぶ講義は
各界一流の先生ばかり
思わず時間を忘れて聞き入るものばかりでした。
これまでの私の生き様を振り返り
これからの教師としてのあり方を模索する
貴重な機会となりました。

ところで
この研修会に際して
『心に残った言葉』と題して
個人的に一冊の冊子を作製しました。
その「まえがき」の部分を以下に転記します。

●講義を聞きっぱなしにすることと
それを文章化しながら
○内容を再吟味すること
○自分自身を見つめること
その両者の違いを認識する
思いがけない機会となったことを
この「まえがき」に書いています。
この発見は、
今でも貴重な体験として
私の財産となっています





『心に残った言葉』
まえがき

〜自分の体をとり抜けた文章〜


 今回私が「中堅教員中央研修講座」を受講するに当たっては、Y中学校の皆さんには多大なるご迷惑をおかけしました。ご迷惑をおかけしながら、自分自身はかけがえのない貴重な研修を積ませていただきました。

 今回の研修は、私自身の教員としての資質を高めるとともに、今後の学校教育に生かしていくことが求められています。と同時に、今回学んだことをより多くの皆さんに還元していくことも、私に課せられた使命の一つだと認識しています。

 その両者を満たす(目に見える)ことは、「研修記録」があります。島根県から一緒に研修に出かけている4名の先生方と、分担しあって共同制作している「報告書」が、それにあたります。

 ただ、それぞれの講義あたり1ページという制限があるため、本当に骨組み(あらすじ)に過ぎません。そこで、たいへんな労力とは自覚しながら、自分のためにも(共同制作の報告書とは別に)、詳しい講義録づくりに取りかかりました。一つの講義あたり4〜6ページという充実した報告書です。

 ところが、ぼうだいな時間をかけて2講義作成したところで、再び壁に突き当たりました。せっかくていねいにワープロ打ちした講義録ですが、振り返って読み返してみると、実際の講義の時に受けた感激・感動などが、全く伝わってこないのです。無味乾燥、血が通っていません。共同制作の「報告書」と変わりありません。本当に困ってしまいました。

 そんなとき(研修会が始まって5日目)、講義の休憩時間に後ろの方から、こんな言葉が聞こえてきました。「話は全部聞かなくてもいいんだよね。一つか二つ、心に残った言葉があればいいんだよ」。

 まさに「目から鱗が取れる」とは、このこと。そういえば国語の授業中、生徒によく話していたことを思い出しました。

@ 本を沢山読んだこと、そのことを持って自慢になるとは限らない。
A まず、どんな本を読んだか? これが大切。
B そして、その本を読んでどんなことを考えさせられたか?
C さらには、その読書によってものの見方考え方がどう変わり、行動面でどう成長したか?

 これこそ、読書に求められる望ましい姿です。

 なるほど、綿密な講義録を作ってプリントし、先生方にお渡ししたところで、そんなものは「血の通ってない文字の羅列」に過ぎません。講義をされた先生が書かれた著書読めば済むこと。その方が身に付きます。はるかに得るものが大きいと思います。

 「話は全部聞かなくてもいい」、……講義の中で特に印象に残った内容、考えさせられたこと、自分の教員生活とダブらせ振り返って反省したことなど、それを文章にすればいいのではないか?

 まさに、優れた(人の心を打つ)「読書感想文」は、あらすじだらけの作品ではなく、自分の生き様が率直に展開した作品。自分の体を通り抜けている作品。これと通じるところがあります。さっそく、その日の午後の講義は、そういう心構えで参加。『心に残った言葉』と題して文章化を始めました。

 宿舎は2人部屋だったので、文章化の作業は早朝の談話室。午前4時半に起床して、誰もいない静かな場所でワープロに向かう日が続きました。

 ところで、この文章化の作業ですが、無味乾燥な単なる講義録と違って気持ちが乗ってきました。講義の聞きっぱなしの時と比べて、何と言っても自分自身がいい勉強になることに気が付きました。「読書感想文」「読書ノート」の意義と通じるところがあります。

 講義を聞いているときには気づかなかった、自分の思いを振り返ったり、掘り起こしたり、深めたり、展開したり、……。

 そして更に、こうやって文章化した冊子が、他の先生方のお役に立てるとしたら、こんな嬉しいことはありません。実際、私が早朝からワープロに向かっていることを知った、ある先生(受講者)が、プリントアウトした文章を読んで、痛く感動してくださいました。

 その数日後には、コピーされて数人に出回っていることを知りました。面識のない方から声をかけられることもありました。「先生が書かれた『心に残った言葉』、参考になります」、……。これは、早朝起床を乗り越えて文章化する作業に火を付けてくださいました。

 なぜ興味・関心を持っていただけたのか? やはり、講義の内容を聴きながら、自分自身の来し方行く末を率直に語っているところが、心の琴線に触れたのだと思います。

 実際、正直なことを打ち明けると、自分が裸になっています。気恥ずかしさ、照れなどがあります。しかしながら、これは私自身の「反省の記」でもあり、「今後への決意と意欲の書」でもあるのです。

 ちなみに、この冊子は、宿泊所で同室となった神奈川県の養護学校、(生徒達の製本作業の指導をしておられる)梁川先生が自ら申し出て(実費で)製本してくださいました。この場を借りて、厚く感謝申し上げます。

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以下は、冊子『心に残った言葉』から引用しました。



開講式より
「教育は人にあり」


 私自身の過去を振り返ってみても、「あの先生の姿には頭が下がる、……」「あの先生のいうことは素直に聞ける、……」ということが確かにあった。

 教師がどんなに立派なことを言おうと、やはり生徒達は、その先生のふだんからの「人柄」「生き様」に反応しているのは確かだと思う。

 自分自身を静かに振り返るに、「教師然」としていたり、「子ども達のために」と言いながら、実際は邪心(自尊心・見栄・体裁・虚栄心など)が心の中に渦巻いていたり、……。

 「生徒を感化しよう」などと高きに付くことは止めよう。今、私に求められていることは、自分の心の中から汚いものを吐き出し、きれいな心で満たしていく心がけ。実際の行動・行為を通しての心がけ。人の目に見えない部分を大事にしていこうと、奥田審議官の話を聞きながら率直に思った。

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「甘える」「甘やかす」
という言葉は欧米にはない

放送大学 祖父江教授


 日本人は「自我が強い」「自己主張が強い」「Yes Noが曖昧」という特徴があるが、これも「甘え」と無関係ではない。また、これは日本人の子育てと無縁ではないそうだ。「家族主義的温情主義」という言葉も紹介された。

 私自身について言えば、典型的な「婆さんっ子」。小さい頃には、出店の前でおもちゃを買ってくれと腹をひっくり返していた記憶もある。保育所に送ってきた父親が帰ろうとすると、わんわん泣きわめいていたそうだ。まさに「甘え人間」の典型。 ……この部分の話には耳が痛かった。

 この「甘え」には、「間人主義」と言って「人との和を重んじる(ここで Noと言ったら相手は困るだろうな)」という気働きをするという長所もあるそうだ。

 しかしながら、わが子に対しても、生徒に対しても、「甘えさせても甘やかすな」という精神は、大事にしていこうと心に誓った。

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褒めて、けなして、また褒めて

放送大学 祖父江教授


 相手に注意・忠告することは、本当に難しい。勇気もいる。 ……自分本位に考えると、見て見ぬふり、黙認するに限る。

 しかし、そんな自己中心的な人間にはなりたくない。そこで、このテクニック(?)は、新鮮に感じた。日本人の智慧だ。

@ 褒める ……「○○」という本が発行されたことは、誠に喜ばしいことだ。
A けなす ……しかし、「△▲◇▼▽☆」という点は残念である。惜しまれる。
B 褒める ……ともあれ、彼については今後に期待するところも大きい。

 確かに、上のように言われたら「悪い気」はしない。相手も傷つかない。これなら、忠告も素直な気持ちで聞けるような気がする。

 これは、「親ー子」「教師ー生徒」「上司ー部下」のみならず、人間関係全てにおける真実だと思う。しかしながら、最終的にはテクニックの問題ではなく、相手を思う「真心」だということも、しっかりと心に留めておきたい。

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この他に
41講義のうち
105のタイトル
109ページの冊子として
約50冊を作製して
お世話になった方に贈りました。