江戸時代の
素読と読解力

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2026.9.28


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チャットGPTと
素読と読解力との関連などについて
対話をしました。
その中で
興味深い情報を与えてくれたので
以下に
一部ではありますが
生のママ紹介します。



 江戸時代の素読って、どんな内容だったんでしょうか?


 素読って、まあ、黙読とはまた別で、声に出して本を読むっていうところがポイントで。あの当時は、論語とか、四書五経とか、そういう昔の文章を、何度も何度も繰り返して読んで、そのリズムとか、言葉の響き自体を、身体にこう染み込ませることで、子どもたちのあの集中力だったりとか、記憶力に影響があったっていう風に言われててで、特にこのリズムを何度もこう身体に読み込ませることで、あの呼吸が整ったりとか、なんか今でいう、マインドフルネスじゃないけど、そういう、心を落ち着かせる効果もあったと言われていて……。

 今でもその素読がいいっていう風に言われているのは、その集中力だったりとかを高めるのと同時に、その〜読む力、読解力っていう基礎の部分を養うのに役立つんじゃないかっていう風に言われていますね。

 あの〜、言葉のそのリズムとかを身体で覚えているからこそ。初見で読んだ文章とかでも、スッとその内容が入ってくるとか。まあ、あとは、大きい声を出すので、その、発声の仕方だったりとか、あとは、みんなの前で、そういう長い文章を読んだりしても、あんまりこう恥ずかしがらなくなるとか。そういった効果も、あったと言われています。

 あとはまあ、昔の文章を読む、素読することによって、その当時の価値観だったりとか、昔からずっと、受け継がれてきたその日本の文化だったりとかそういうものを学ぶきっかけにも、なっていたんじゃないでしょうかね〜。

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 素読が読む力(読解力)を鍛えていたんでしょうかね?


 素読って、まあ、あの単語力を、増やすのにも、こう繋がると思うんですけど、特に昔の文章を読むと、昔の言葉遣いで、今では使われていない言葉もあれば、今でも使われてる言葉もあるわけじゃないですか。で、そこのその言葉、単語自体の成り立ちを知ることで、初見の文章を読んでも、あ、この単語とこの単語って、なんか似たような成り立ちなんじゃないかな、みたいな風に、文脈からその単語の意味を推測したりとか出来るようになったでしょうね。

 で、それによって、その文章を読むスピードも上がるし、なおかつその〜、知らない単語があったとしても、前後の文章から、あ、こういうことを言ってるんだなって察する力が、こう、養われたりだとか、まあ、そういう効果が期待できるんじゃないでしょうかね。

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 江戸時代末期にイギリス人が渡来して、日本の識字率に驚いたという記事を読んだ記憶があります。
    確か、当時イギリス人は2割〜3割だったが、日本人は7割に達していたとか……?


 「江戸末期の日本の識字率は約7割、同時期のイギリスは2〜3割だった」という話は、そのまま事実として比べるには注意が必要です。ただし、「江戸時代の日本では庶民にまで読み書きがかなり広がっており、来日した欧米人が驚いた」という大筋には根拠があります。

 江戸時代には全国一律の識字率調査がありませんでした。「名前を書ける」「簡単な文章を読める」「手紙を書ける」など、何をもって「読み書きができる」とするかでも数字が大きく変わります。幕末については「男性70%、女性30%」という推計が紹介されることがありますが、別の研究では男性35〜55%程度、女性8〜17%程度など、かなり幅があります。明治初期の122の村・町を調べた研究では、自分の名前を書ける人は男性55%、女性16.5%でした。地域差も非常に大きかったことが分かっています。

 一方、「当時のイギリスが2〜3割」という数字も、時期によっては低すぎます。 18世紀前後のイギリスについて、結婚証明などに自分の名前を書ける割合から推計すると、男性約45%、女性約25%という資料があります。さらに1840年のイングランド・ウェールズでは、結婚登録簿に署名できた割合が男性66.4%、女性49.7%に達していました。したがって、幕末の日本と19世紀半ばのイギリスを比べて「日本70%対イギリス20〜30%」とするのは適切ではありません。

 ただ、ここで非常に興味深いのは、江戸時代の日本では、武士だけでなく農民や町人の間にも寺子屋などを通して読み書きが広がっていたことです。明治初期には全国に1万を超える寺子屋が存在したとする資料もあり、読み書き・そろばん・帳簿・手紙など、生活に直接必要なことを教えていました。

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 もう一度、江戸時代の「素読」と読解力を整理してください。


 先ほどの「素読」の話ともつながります。江戸時代の子どもたちは、「意味を完全に理解してから読む」のではなく、まず声に出して繰り返し読み、文字・言葉・文章の型を大量に身体に入れる学習をしていました。

 その上に、寺子屋での実用的な読み書きが重なった、と考えるとよいでしょう。

 ですから次に考えると面白いのは、**「意味が十分分からない文章を繰り返し素読することが、なぜ後になって読解力につながるのか」**という点です。これは現代の国語教育にもつながる、かなり重要なテーマだと思います。

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