短歌を詠む・読む
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2024。3.15


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先般
学生時代の同級生
(山の上憶良の会会長)から
第12回 山の上憶良短歌賞
受賞作品集(冊子)が送られてきました。

その封書の中にに
永田和宏氏 記念講演
テープ起こしのプリント
9ページ分が入っていました。

短歌を趣味にするものにとって
極めて参考になる内容でした。
以下4枚の図式にしました。




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短歌はドーナツだ




 短歌はドーナツです。本当に言いたかったことは言わない。相手に感じ取ってもらうことこそ、大事にしたい心得です。

 例えば妻(河野裕子)の作品を例に取ります。

 妻は癌の宣告を受けました。電話連絡の後、直接内容を聞くわけですが、私(永田和宏)は動揺していない様を装って会いました。その時出来た短歌です。


何という顔をして我を見るものか
私はここよ□□□□□□□

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 □□□の中に「ここにいるわ」とか「しっかり見てよ」では、せっかくの短歌も台無し!

 この場合、河野裕子は結句を「吊り橋じゃない」としました。

 まさに結句の飛躍です。結句でまとめようとしてはいけません。つじつま合わせをしてはいけません。思い切って跳んでみることが大事です。

 「結句病」と言って、全体的に言い過ぎの短歌が多いのが実態です。撰歌をするとき、結句で落とすケースが7割〜8割あります。勿体ないと思います。

 全部全部語り尽くしては、短歌の価値は低くなります。結句で余分な内容を付け加えたが為に、せっかくの短歌が台無しになることがあまりに多いことか。

 読者に解釈の余地を残すべきです。むろんさまざまな解釈がされて読まれます。それは仕方ありません。短歌の運命です。もともと解釈に正解は存在しません。

 短歌の深さ広がりが醸し出されるためにも、結句で作者の感想を述べることは辞めましょう!

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その他の例


@ 手を伸べてあなたとあなたに触れたきに息が足りない□□□□□□□(河野裕子)

★ 作者(妻)が病気でなくなる前の最後の詩です。手を伸ばして家族に触れたい。でも、手を伸ばすだけの息が足りない。

            

A 非常灯にいつも走ってゐる男走る続けて□□□□□□□

            

B 早寝して子はみずからの歳月を始めてをり□□□□□□□

★ 長女が初めて就職するときの詩です。明日から出勤するというので、遅れないよう早寝する。初めて生きる自らの歳月です。

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□□□□□□□
@=「この世の息が」

A=×「疲れておらむ」  ○「なほ遠き海」

B=×「しっかりやれよ」「遅刻するな」  ○「夜の霞草(かすみそう)」















感性の方程式 


 言わなくてもいいようなことを改めて言う。いちばん言いたいことは言わない。こういう短歌(結句)は良くないと話してきました。

 しかし、逆のことがまた言えるんです。短歌を読んで初めて気付かされる。普段見ているようで、実際はザルでしか見ていない。改めて気付かされる。これを「感性の方程式」と言います。

 ものの見方に「揺らぎ」を与えると言い換えることが出来ます。人が気付かないことを見つけて短歌にするんです。

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その他の例


@ アパートの前曲がるまで父であるそこからポプラが一本見える(池本一朗)

★ 出勤時、わが子がずっと見送ってくれている。しかし、角を曲がると、さぁこれから「私の世界」だ。そこから私が始まる。でも、それを言わない。しかし、下の句で感想を言わない。「ポプラが一本見える」、見事な呼吸です。

            

A 秋深し菊人形の若武者の横笛いずれも唇に届かぬ(岩切久美子)

★ 実際よく観てみると、菊人形の唇と横笛とは10センチぐらい離れている。しかし、そんなことは思ったことも考えたこともない。われわれは、形でしかものを見ていないと言うことです。

            

B 円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる(吉川宏志)

★ 金魚すくいの金魚は、水の中を泳いでいるときには誰も濡れているとは思わない。ところが、掬い上げてみると濡れている。

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言葉の経済学
リフレイン



 短歌はわずか31音節。ですから、いかに言葉を有効に使うかということ、ムダな言葉を省くかということは、とても大事な問題です。ところが、その大原則が通用しない世界が二つあります。

 まずは、リフレイン(同じ言葉の繰り返し)です。

永井陽子

ゆふぐれに櫛を拾へり
ゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ

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 読み味わっていると、言葉の繰り返し(リフレイン)の効果で引き込まれていく。読み込んでいくうちに、不思議と悲しさ、寂しさ、孤独感が伝わってくる。言葉のリズムによって、読者が乗せられていく一例です。

岡野弘彦

ごろすけほう心ほほけてごろすけほう
しんじついとしごろすけほう

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 「ごろすけほう」はミミズクのことです。夜になると「ごろすけほう」と鳴きはじめます。聞いていると、心がほほけていくようです。緊張していた心がほどけて、愛しい女性のことが思い浮かんできます。切ない詩です。


永田和宏

ねむいねむい廊下がねむい風がねむい
ねむいねむいと肺がつぶやく

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 ねむいという言葉が一首の中に6回も出てきます。言葉の経済学から言うと実に不経済ですが、読者を引き込む力があるから不思議です。

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言葉の経済学
オノマトペ

他の例も掲載します。

 オノマトペとは、擬音語・擬態語のことです。日本語には実に豊富です。一種、言葉の遊びとも言えますが、短歌にとって擬態語・擬音語の存在感は計り知れないものがあります。

 「ムダな言葉は省きましょう!」が、当てはまらない例がオノマトペです。

 虫の声、鳥の鳴き声など、西欧人には雑音にしか聞こえないそうです。四季があって、風流な日本人ならではのオノマトペです。

斎藤茂吉

あかあかと一本の道とほりたり
たまきはる我が命なりけり

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 「たまきはる」は命にかかる枕詞。あかあかと染まった一本道を通っていると、自分の命がそこにあるように感じられてくる。擬態語「あかあかと」と、枕詞「たまきはる」が大きな役割をして、一本道に自分の人生を見るという格調高い短歌となっています。

斎藤茂吉

死に近き母に添い寝のしんしんと
遠田のかはづ天に聞こゆる

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 静寂の中で天に召されようとしている母の姿が、しんしんと迫ってくる短歌です。


斎藤茂吉

しんしんと雪ふるなかにたたずめる
馬の眼(まなこ)はまたたきにけり

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 この場合、しんしんは「音(擬音語)」です。雪が真っ直ぐに降ってきている。その中に馬は静かに佇んでいるんです。


土屋文明

ツチヤクンクウフクと鳴きて
山鳩は去年のこと今は声遠し

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 終戦直後は食べるものが無くて、山鳩の鳴き声を聞いても「クウフククウフク」と聞こえたようです。


永井陽子

べくべからべくべかりべしべきべけれ
鈴掛並木来る鼓笛隊

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  調子よく弾む「べし」の活用形の音は、すずかけの並木を、太鼓やシンバルなどでくっきりとリズムをとりながら姿勢よく演奏行進してくる鼓笛隊に調子が良くあっています。


永田和宏

ビル街を行く時ここは風の道
しゃらくせえしゃらくせえぞと風吹きすぎる

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 むしゃくしゃしている時には、風までも「しゃらくせえ」と言っているようでした。


北原白秋

きりはたりはたりちゃうちゃう
血の色の棺衣
(かけぎ)織るとよ悲しき機よ

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 北原白秋はオノマトペが本当に上手な人でした。


北原白秋

月夜よし二つふすべの青瓢(あおふすべ
あらへうふらへううみつつおもしろ

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 ふすべは瓢箪(ひょうたん)のこと。瓢箪が風に揺れている様子を短歌にしています。


河野裕子

雨垂れはいつまで続くしたひたてん、
したしたしたしたしたひた、てん

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 河野裕子(妻)は、オノマトペが本当に上手い歌人でした。


河野裕子

ちりひりひ ちりちりちりちり ひひひひひ
ふと一葉笑い出したり神の山

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 紅葉が始まって、しーんとしている中、紅葉が始まったようです。どこかで「ちりひりひ」と葉っぱが動いているようです。そのうち、一斉に全山が笑い恥じ間々した。一葉をきっかけに全山が笑い出したような不思議な詩です。

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