短歌はドーナツです。本当に言いたかったことは言わない。相手に感じ取ってもらうことこそ、大事にしたい心得です。
例えば妻(河野裕子)の作品を例に取ります。
妻は癌の宣告を受けました。電話連絡の後、直接内容を聞くわけですが、私(永田和宏)は動揺していない様を装って会いました。その時出来た短歌です。
何という顔をして我を見るものか
私はここよ□□□□□□□
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□□□の中に「ここにいるわ」とか「しっかり見てよ」では、せっかくの短歌も台無し!
この場合、河野裕子は結句を「吊り橋じゃない」としました。
まさに結句の飛躍です。結句でまとめようとしてはいけません。つじつま合わせをしてはいけません。思い切って跳んでみることが大事です。
「結句病」と言って、全体的に言い過ぎの短歌が多いのが実態です。撰歌をするとき、結句で落とすケースが7割〜8割あります。勿体ないと思います。
全部全部語り尽くしては、短歌の価値は低くなります。結句で余分な内容を付け加えたが為に、せっかくの短歌が台無しになることがあまりに多いことか。
読者に解釈の余地を残すべきです。むろんさまざまな解釈がされて読まれます。それは仕方ありません。短歌の運命です。もともと解釈に正解は存在しません。
短歌の深さ広がりが醸し出されるためにも、結句で作者の感想を述べることは辞めましょう!