飯南町教育環境検討委員会答申
小学校=存続
中学校=再編


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2024.2.29


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足かけ3年かけて
飯南町内小中学校の統廃合について
会議を10回重ねて協議を重ねてきていた
飯南町教育環境検討委員会が
2月26日(火)
大谷教育長に答申案を手渡されました。
下の写真は
そのことを報じた新聞の記事です。













この答申案は
A4判15ページにわたる長文です。
集中して読んでいても
途中から頭がくらくらしてきます。

そこで
答申案を簡略化した図式にしました。
以下の通りです。



全体像





少子化の流れを受けて……


 学校統廃合の問題が生じたのは、町内の「少子化傾向」が発端となっています。

 私が小中学校時代を過ごした昭和30年代は、町内で学年300人ぐらいでした。ところが今や、学年30人前後。近年の出生状況を見ると、近い将来は学年20人〜25人となります。

 検討委員会では協議の結果、小学校は存続、中学校は統廃合という答申を出されました。

 今後は2つの中学校の統合に向けて、具体的な検討に入ることになります。恐らくは統合校舎をどうするのか? どこにするのか? 紛糾が予想されます。

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中学生の意見は?

要約学習の時間
メディアリテラシーの場面(10分間)で
このことについて取り上げました。
下は意見を整理したプリントです。

生徒には
「単独校」「統合校」
それぞれの「よさ」を3つ以上ずつ考えさせました。
考える時間=3分
意見交換の時間=7分





 右下に書いているように、「賛成か反対か」が授業の趣旨ではありません。

 それぞれの立場から「良さ」「課題」があります。ある意味、どちらお意見も「正論」です。「正しい」「間違っている」という視点では考えません。

 何ごとも大事なことは賛否両論、視野広く考えるという姿勢(スタンス)が重要であることを強調して授業を終えました。

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戦後日本の経済発展!


 我が国の人口は、平安時代が500万人強、関ヶ原の戦いの時で現在の10分の1の1,200万人、江戸時代に入ると3,000万人を超えました。

 その後、江戸時代末期には3,400万人程度であったと推定されていますが、明治45年(1912年)には、5,000万人を超えたとされています。(ウィキペディア

 戦後、人口の急増期を迎えます。昭和 20(1945)年からの5年間で 7,215 万人から 8,320 万人へと増加。さらに昭和 35(1960)年までの 10 年間で 9,342 万人へとさらに増加。昭和 42(1967)年には日本の総人口は1億人を突破しています。

 2024年(令和6年)1月1日現在= 1億2,409万人

 一方、戦後の日本は高度経済成長期(1955年〜1973年までの19年間)に突入し、名実ともに経済大国となりました。

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少子化時代に突入!


 日本は急激な「少子高齢化」の時代を迎え、先行き不安な今日このごろです。「高齢化」については「団塊の世代」(2023年現在で75歳〜77歳)の人数が多いためで、これは数十年前から判っていたことです。

 一方、「少子化」についてはつい最近まで問題意識(危機意識)が乏しかったと言っても過言ではありません。

 実際に日本では、1974年7月に「第1回日本人口会議」が厚生省や外務省の後援によって開催され、「子どもは2人まで(二人っ子政策)」という宣言を出しているのです。

 先を見通す知見に欠けていたとしか言いようがありません。「少子化」という言葉は、それから20年後の1992年、国民生活白書「少子社会の到来、その影響と対応」で始めて登場しました。その当時から少子化対策は後手後手のまま推移してきています。

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日本の適正人口


 日本の国土面積、山間部の多い地勢から見て、日本の人口は多すぎるというのが、一般的な考え方のようです。

  厚生労働省の「将来推計人口」によると、2060年の日本の人口は8,674万人と試算されています。

 一方、立命館理事補佐の村上正紀氏によると、日本国内の生態系の供給量で賄える人口は、大正時代の5,200万人が最適。土地の生産性を向上させれば、8,800万人程度を賄えると主張しておられます。 ⇒2060年の日本は適正人口。

 実際に日本の現状を見ると「ポツンと一軒家」ではありませんが、こんな辺鄙なところに人が住んでいるのか! と驚かされることがままあります。

 そういう生活不便な場所へのインフラ整備は、限られた予算では並大抵ではありません。反論はありますが、過疎化の進展する今日にあって「コンパクトシティ」は、一つの打開策だと思います。


コンパクトシティ(compact city)

=都市的土地利用の郊外への拡大を抑制すると同時に、中心市街地の活性化が図られた、生活に必要な諸機能が近接した効率的で持続可能な都市

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なぜ少子化になっているのか?


 一般的に日本の少子化の主な原因として、次の点が挙げられています。

@ 未婚化や晩婚化の進展。
A 若者の結婚及び出産に関する意識の変化。
B 育児に対する経済的負担が大きい。
C 依然として男女別賃金格差が存在している。
D 育児や家事に対する女性の負担が大きい。


 いずれも長年にわたって積み上げられてきた(病理的)現象です。どれ一つとってみても、一朝一夕には解決出来そうにもありません。

 例えば、下表の「50歳時未婚率」ですが、(先々はやや頭打ちになるようですが)ずっと右肩上がりです。この根本的理由は、上記のABCDすべてに起因していると思われます。根は深いと言わざるを得ません。

 現在、政府は「少子化対策」と銘打って、さまざまな施策を打ち出していますが、(上記B)現在子育てをしている家庭への支援に特化しています。しかし実態は、子育て以前のところで若者は躊躇しているのです。

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50歳時未婚率
=小数点以下四捨五入)
1985年 4 4
1995年 5 9
2005年 7 16
2015年 14 23
2025年 18 28
2035年 19 29
国立社会保障・人口問題研究会
(2025年以降は推計)











学校統合問題


 話は元に戻って、「飯南町小中学校の統廃合問題」ですが、答申で示された方向性は、(悲しいですが)現状では致し方ないと言わざるを得ません。

 いずれも小規模校ではありますが、小学校は地域にとって「命」です。何とか統合しないで、それぞれの4地域に残る方策を次々と打ち出していってほしいです。(今日の新聞の隠岐郡知夫村は明るい話題です。)

 一方、中学校については、部活動が立ち行かなくなってきています。個人競技の剣道・柔道・卓球などに変更しながら統合を避けるという考えもあるかも知れません。しかしながら、30人と60人とでは、どうにも致し方ありません。

 一方では、飯南高校との中高一貫教育の進展という意味合いもあります。さまざま知恵を絞って連携を図ってきてはいますが、地理的環境(高校からそれぞれ10Km & 4Km)が高い壁となっています。

 本当言うと理想的なのは、
◎ 来島小・赤名小を統合 ⇒現在の赤来中学校校舎へ移転
◎ 赤来中・頓原中を統合 ⇒現在の来島小学校校舎へ移転

 ……飯南高校と来島小学校とは隣接しています。
 ……赤来中学校校舎は、来島小・赤名小の中間点です。

 なかなかうまい話はありません。

 今後、中学校校舎をどうするか? という難題が横たわっています。恐らくは次の2案から検討されると予想されます。
◎ 現在の赤来中学校を統合校舎とする。
◎ 来島地区(飯南高校近く)に校舎を新築する。

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人口減時代なのに
島根で起きた「離島の奇跡」

◎ 人口593人の離島の島根県知夫村で児童数が増えている。 

◎ 知夫小中学校の小学部1、2年生が2024年度、12年ぶりに複式学級から単式学級に移行する。

◎ U・Iターン世帯の転入が要因。

◎ 25年度以降も一定の入学が見込まれ、しばらくは単式が維持できる。


● 県教育委員会の基準で、小学1、2年生は2学年の合計が8人以下になった場合、同一学級に2学年を収容する複式学級になる。

● この春に新2年生となる1年生は7人。24年度は4人の新入生を迎える見通しで、1、2年生の数は11人となり、単式に移行して教諭が加配される。

● その後も25年度に入学予定の児童は7人、26年度は4人が見込まれており、大きな転出がなければ1、2年生の単式は26年度までは維持できる。

● 村によると、現1年生はIターン世帯の児童が1人、Uターン世帯が2人。新1年生はIターン世帯が3人という。

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