2023.7.29
コメントの部屋へもどる 『人間は遺伝か環境か? 遺伝的プログラム論 』 (日高敏隆著;文春新書)を読みました。 以下、心に残った内容を抜粋して紹介します。
『人間は遺伝か環境か? 遺伝的プログラム論 』より
1) バイオリンに「スズキ・メソッド」がある。創始者の鈴木鎮一は、我が国が生んだ幼児教育の天才といえる。乳幼児期から周りでバイオリンを弾いて遊んであげる。そして、超一流の作曲家の曲を超一流の演奏家が演奏するのをいつも聞かせてやる。 そうすると、実際、天才しか弾けないと思われていたバッハやビバルディのコンチェルトを、6歳・7歳のどこにでもいる子どもが弾けるようになるのである。スズキ・メソッドのスローガンは、「どの子も育つ、育て方ひとつ」「人は環境の子なり」だそうだ。 2) 1970年頃、ジェンセンという心理学者が、実は知能指数IQは遺伝によって80%決まっていると、双子の研究で明らかにした。その際、黒人と白人との間には、かなり大きな遺伝によるIQの差がある可能性を述べた論文を出して、社会的大事件になった。 以後、1970年代は、行動遺伝学や双子研究にとっては冬の時代。人種差別の学問というレッテルをはられた。 3) パティの研究でも、遺伝の影響は50%前後であることが多かった。それはまぎれもなく、残りの50%は環境のなせるわざ、ということでもある。 4) パーソナリティのモデルとして有名な「ビッグファイブ」(5因子モデル)がある。これについて双子の研究によると、遺伝要因が大きく効いていることがわかった。5つの因子とは、 外向性46%、 神経症傾向46%、 誠実性52%、調和性36%、 開放性52% が遺伝要因、 残りは環境要因 という結果が出た。 5) 一方、空間性に関する知能テストについては、遺伝要因が70%。また、言語性に関する知能テストは、遺伝要因が14%と小さく、残り86%が環境要因となった。家族の中で交わされる会話や、両親の読書習慣などが影響すると考えられる。 6) 「遺伝か環境か」ではない。問題行動の遺伝的素養は、しつけが厳しすぎたり一貫していない家庭の方が強く出る傾向がある。しつけが厳しすぎず、一貫している家庭では現れにくい。また、読み聞かせをした子の問題解決力が高くなったり、無理に何かをさせず自由にさせていた子の方が、知的能力が高くなるという結果も出ている。 7) 誰でも全教科100点を取るのを目指す教育というのは、無謀というか、意味がない。本当にみんながすべてのことができるようになるのは、あり得ない。それをもうちょっと突き詰めていくと、どんな人でも社会に適応していける環境をつくるのが、教育制度が目指す目標にすべきである。 8) もしも、数学が苦手なら、三角関数が分からなくてもいい。でも、その人の適性に合った、満足できる仕事はどこかにあるはず。そのための「社会のキッザニア化」(職業体験をさせてくれる施設が充実)が重要だ。 9) 多様な遺伝をそのまま受け止める社会。それは、そのまま、ずっと以前から言われている「多様性を容認する社会」にほかならない。遺伝の多様性を認め、ひとりひとりの個性の多様性を認め、共存する方向を目指す教育を期待したい。
多様性を容認する社会
学生時代、教育実習(知的障害)で体験的に学んだことが、以後、ずっと私の脳裏に存在し続けました。
附属中学校で2週間、教育実習もありました。 ……今にして思えば、このときの教育実習は、私の(大げさにいえば)人生観を変えています。 一番ショックだったのは、学級の生徒に必死で計算を教えて、やっとの思いで理解してくれ握手もしたのに、翌日はまた元からやり直し、……。このことに関わって、「だから教科学習ではなくて、生活単元学習だ」という説明を、担当の先生から受けました。 また、学級の生徒2人と連れだって校内を歩いているとき、通常の学級の生徒数人とすれ違いざまに、「バカが歩いとる」というつぶやきが聞こえてきた出来事は、今も強く記憶に残っています。そして、それに対して、私は何も言わずにその場をやり過ごしました。今でも、情けなく悔しい気持ちを残したままになっています。
教員に奉職してから、学習の遅れがちな生徒に対して、さまざまな関わりをしてきました。主として、漢字の習得と名文暗唱に関して、「神様のいたずら」を意識せざるを得ませんでした。個人差が歴然としているのです。いかんともしがたい現実でした。 漢字の習得に関しては、生育歴の中で「読書」の多寡が深く影響を及ぼしてはいます。日頃から文字(漢字)や語句に触れてきていると、授業で習ったときの習得が違います。 名文暗誦に関しては、読解力との相関関係が極めて高いことも、体験的に分かった現実です。 しかしながら、つくづく思いました。名文暗唱とともに漢字習得は、遅れがちな生徒にとって、やってもやっても身に付かない、やり甲斐のない学習に違いありません。 スポ小バレーにおいて、パス・レシーブ・アタック、どれをとってみても、習得や上達に個人差が際だっています。集中力がないとか、やる気がないとか、そういう問題ではないのです。 「双子の研究」によると、「空間性に関する知能テストについては、遺伝要因が70%。また、言語性に関する知能テストは、遺伝要因が14%と小さく、残り86%が環境要因」とのこと。 やはり親子関係、家庭環境はなおざりに出来ません。一生を左右するかも知れません。「スズキ・メソッド」にもあるように、乳幼児期に環境を整えることが、いかに重要かを再確認させられます。 そういう点で、「ヨコミネ式幼児教育」は、もっともっと注目されるべきだし、全国各地で採用する価値があると、私は考えています。 ヨコミネ式幼児教育@(動画) ヨコミネ式幼児教育A(動画) そして、鈴木氏が主張しておられる、次の内容が重く脳裏を横切ります。 誰でも全教科100点を取るのを目指す教育というのは、無謀というか、意味がない。本当にみんながすべてのことができるようになるのは、あり得ない。それをもうちょっと突き詰めていくと、どんな人でも社会に適応していける環境をつくるのが、教育制度が目指す目標にすべきである。 もしも、数学が苦手なら、三角関数が分からなくてもいい。でも、その人の適性に合った、満足できる仕事はどこかにあるはず。そのための「社会のキッザニア化」(職業体験をさせてくれる施設が充実)が重要だ。 多様な遺伝をそのまま受け止める社会。それは、そのまま、ずっと以前から言われている「多様性を容認する社会」にほかならない。遺伝の多様性を認め、ひとりひとりの個性の多様性を認め、共存する方向を目指す教育を期待したい。