3校13年間の校長時代、一校を預かる長として、私は「嫌われること覚悟で取り組んだ」ということは、記憶に残っていません。あえて避けてきたという側面もあるかも知れません。
もっとも、職員が校長の学校経営方針を念頭に、一人一人が果敢に教育実践を生み出したり、実践したりという側面が大きかったとも言えます。
この点に関して校長という視点から、飯南高校を最後に退職された元O校長先生が、ふと念頭に浮かびました。
2年間(1年目、私は生徒募集の任を受けて飯南高校でO校長先生の下で、その行動力を拝見しました)の任期中、着任当初から飯南高校の将来のため、ひいては飯南町の将来のため、全身全霊かけて取り組んでこられました。その発想力、構想力、そして実行力には、ほんとうに頭が下がる思いでした。
退職までの2年間、校長として安穏としておられたら、もっと心穏やかだったろうにと、今でもそう思います。
私利私略を越え、全力投球されたその姿は、私には輝いて見えました。熱意が高じて、ブルドーザーのごとく突き進まれる一面もあったので、時に反感を買われることもありました。文句も批判もあったかも知れません。
しかし、退職された翌年度(翌月から)には、飯南高校の魅力化・活性化事業のために、人も金も付きました。すごいことです。
こういうことが原動力となってか、現在の飯南高校は町内生より町外生が多いという、当時からは考えられない高校に変貌しています。