国語力とは
論理的思考力


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2023.4.28


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全体像



国語が子どもをダメにする


 先日『国語が子どもをダメにする』(福島隆史;中公新書)を読みました。上は、本書第3章を図式化したものです。日頃から私自身が危惧を抱いたり疑問に思ったりしていることが、ほぼズバリ指摘されていました。まずは、上の図式を基に、以下に文章化します。

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第3章
「国語教育はこう変えろ」



 学習指導要領に謳っている「書く力」「読む力」「話す力」「聞く力」は、スポーツで言えば「野球力」「バスケット力」「水泳力」に当たります。では国語力の本質は何かというと、ズバリ「論理的思考力」です。「関係を整理する力」と言い換えることができます。ただ、ここで言う「力」とは「技術を使いこなす能力」のことです。したがって、正確に表現すると「関係を整理する技術を使いこなす能力」ということになります。

 こういう視点から入学試験などにおける「読解問題」は、「関係」を問うていると言って差し支えありません。

 「論理的思考力」を分析的に言うと、「言い換える力」「比べる力」「たどる力」です。「言い換える力」は、「どういうことですか?」「どんな意味ですか?」という設問になります。「比べる力」は、「違いは何ですか?」「この内容と対照的な内容を答えなさい」という設問になります。「たどる力」は、「なぜですか?」「理由を説明しなさい」という設問になります。

 「論理的思考力」を問う設問としては、したがって「筆者の主張を、根拠を明確にしながら説明しなさい。」となります。

 その点、入試問題は国語力を調べる設問としては失格とも言える「悪問」が少なくありません。例えば、次のような設問がそれに当たります。

 段落分け……段落に分けなさい。
 脱文補充……次の文が抜けています。どこに入れたらいいですか?
 乱文整序……文章の順序を正しく並べ替えなさい。
 正誤判定……それぞれ、文章の趣旨と一致しているかどうかを答えなさい。
 指示語……文章中の「それ」は、何を指していますか?
 抜き出し……傍線部と同じ内容を言い換えている箇所を抜き出しなさい。
 選択式……文脈に沿って語句の意味を選びなさい。


 これらの設問は、採点の利便性を考えての結果だとも言えます。

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論理的思考力を鍛えるには?


 一般的に「国語の力とは?」と尋ねられると、私もその一人ですが、大半の教員が「書く力」「読む力」「話す力」「聞く力」と答えます。これで間違っているとは言えません。現に学習指導要領にそう書いてあります。

 しかしながら、「書く力・読む力・話す力・聞く力を貫き通す学力(国語力)とはなんぞや?」と問われると、「はて?」と立ち止まります。その解答は、福島隆史さんが主張しておられるように、「論理的思考力」です。この「論理的思考力」があいまいだと、書く・読む・話す・聞くすべてがあいまいになります。国語力で鍛えるべきは、「論理的思考力」なのです。

 では、この「論理的思考力」をどうやって鍛えるのか?

 一つの山に登る際、いろんなルートからアタックすると同じように、様々な方法があります。福島隆史さんは著書の中で、いくつか紹介しておられます。例えば、……

 文章内容を抽象化させる。
(文章⇒名詞化=キーワード)
 諺を活用して言い換えさせる訓練をする。
 サンドイッチ型で文章構成をさせる。
 比べる力を高めるトレーニングをさせる。
 共通点・相違点作文を書かせる。

 そして注目すべきは、
『「読解問題」は「関係」を問うていると言って差し支えありません。』という箇所です。これはまさに要約学習で実践している「図式」そのものです。文章を図式化させる学習を通して、「論理的思考力」をごっそり引き上げるという方法です。

 実際、私自身がときどき遭遇していることですが、文章内容が理解できていないと「図式」が描けません。逆に言うなら、文章を「図式」に描けたら内容がストンと胸に落ち、「分かった!」と言えるのです。

 この本を読んで、思いがけず「要約学習」の根幹とも言える「図式」を学習する意味を再確認することができました。

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言語技術を教えよ!


 福島隆史さんは、著書の他の部分で、次のようなことを主張しておられます。参考に列挙します。

 今の国語教育の多くは、内容重視・感性教育(道徳教育)という面が少なからずあります。「ちいちゃんのかげおくり」を読んで紙芝居を作りましょう、劇にしましょうなどの類は、ほとんどお遊びの世界です。感性教育では、国語力は育ちません。

 国語の授業は、教材を題材(材料)にして「内容」を教えるのではありません。教えるべきは「形式」です。言語技術です。

 国語の教科書に掲載されている「内容」を教えても、子ども達は教わったことを次に役立てることができません。その点「形式」(言語技術)を教わったら、今後に役立てることができます。応用が利きます。「形」こそ、個性を伸ばすのです。

 国語の教科書も、感性教育に導いています。「発表しよう」「感想を書こう」「討論しよう」の類がそれに当たります。どんな言語技術を学ぶのかが抜けています。

 ただ、教科書によっては変革も見られます。例えば、A教材を学習した後、B教材が準備してあります。A教材で学んだ言語技術を活用・練習できるよう配慮がされています。

 
教育は「引き出す」のではありません。「引き出す方法」を教え、学ばせるのです。自転車の乗り方を学ばせるのではありません。自転車の乗り方を教えるのが「教育」です。

 
教科書教材は、ただの読み物ではありません。「とにかくバットを振れ!」では指導ではありません。下半身の構え方、バットの振り方を教えないと、効率的な上達につながりません。

 
作文教育で思考のスイッチを入れる方法があります。50字以内で書け」「2文で書け」「3段落で書け」「しかし を使って書け」などです。

 
「読書感想文」は根拠が要らないから、「論」を展開する必要がありません。道徳教育にはなりますが、国語力の向上にはつながりません。国語力向上を目指すなら、「読書解釈文」にすべきです。

 
文学を入試問題にすべきではありません。文学には複数の解釈があったり、書き切れていない部分があったりするからです。


 それぞれにコメントはありますが、ここに掲載した内容は、基本的に共感できる内容です。ふと立ち止まって「国語教育」を見つめ直す、よい機会を得ました。

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