心の銀行
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2023.1.7


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 私の恩師に教えてもらいました。

    「優しい」という漢字は「にんべん」に「憂い」と書くけれど、

    本当は、「憂い」の横に「にんべん)」なんだよ。

    憂いのある人の横に、にんべんつまり人が寄り添うことを

    「優しい」というんだよ。


 私の教え子に教えてもらいました。

    「憂い」という漢字は、百と愛に見えるよ。

    憂いのある人には、百の愛が必要なんだよ。

    だから「優しい」っていう字は、

    人には百の愛があるって書くんだね。

    そんな優しい風(loving-wind)に吹かれて

              人間は温かくなっていくんですね。

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「仲島正教」氏の講演会(冒頭の話)より






人権教育講演会での話です。
講師は「仲島正教」さん。
1956年生まれ
小学校教員を21年間務めた後
西宮市教育委員会
人権教育室指導主事を5年務めた後
48歳で辞職。
以後は「教育サポーター」として
若手教員対象のセミナーを開いたり
年間200回前後
講演会の講師を全国各地でこなすという
元気印の人物です。

この講演会
なるほどなぁ〜と
納得したり再認識したり……。
そこで
特の心に残った内容を取り上げ
ひとことコメントを書くことにしました。






心の銀行


 人は、自分の「心の銀行」に温かい貯金があれば、つらいことや悲しいことに出会っても、その貯金を使って乗り越えていくことが出来ます。

 でも、自分の心の銀行に貯金がない人は、つらいことに出会ったとき「どうせ私には無理だ」「俺はもういいんだ」と、あきらめたり投げやりになってしまいます。

 温かい貯金とは、人と人の「つながりと感動」から生まれてきます。「あーよかったな あなたがいて」「あーよかったな あなたといて」 ……こんな出会いこそが、人間を幸せにするのです。そして、それこそが人権教育そのものなのです

 人権教育とは難しいものと考えていませんか?
 人権を学ぶとは「人と人のつながり」を学ぶことです。そして「優しい人」になるために学習するのです。

 本当の「優しさ」とは「強さ」でもあるのです。講演会が終わったあと、自分の心が「温かく」なれば、今度は、あなたがその「温かさ」を周りの人に分けてあげてください。

 子どもの心の中に優しさの貯金をさせる →辛いときはその貯金を切り崩しながら乗り切れます。

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「善行銀行」の話は
私の心に根付いています。
善いことをすれば
善行銀行の自分の口座に貯金される。
貯金されるのは
お金ではありません。
善行の量です。

善行銀行に貯金があれば
日頃の生活に
幸せなことが起こる。
無ければ、……。
という話です。



今回紹介された
「心の銀行」とは
人から大事にされたり
褒められたり
親切にされたりして
貯金が貯まります。

心の銀行に貯金がある人は
辛いときもぐっとこらえて
乗り越えることができます。
投げやりになりません。
悪い道に足を踏み入れません。

全くそうだなぁ〜と
さまざまな事例を思い浮かべながら
納得しました。









待っている人がいるか?


 高石ともや氏のお話で、「人間が生きていけるのは、待っている人がいるからだ」ということを聞いて以来、「私を待つ人」ということにこだわりを持ち続けています。

 私達の周りの子どもたちは、どうでしょう。あの子には、待つ人がいるのでしょうか。この子を待つ人は誰なのでしょうか。あの子は今何に喜び、何に悲しんでいるのでしようか。あの子の輝く目が見たい。この子の躍動する姿を見たい。

 私たちは、子どもたちに、できるだけ多くの友達をつくってほしいし、そういう仲間と喜び合える学級づくり、人間づくり、地域づくりをしなければと思っています。

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「心の銀行」と
関連のある話です。
子ども達にとって
いちばん待ってくれている人は
家族です。
とりわけ両親です。

自己中心的でもなく
邪心もない
心からわが子を思う
思いやりに包まれて
育った子は
決して投げやりになったり
崩れたりしません。

学校においては
温かい人間関係の
学級集団を作ること。
これが学級担任に課せられた
まずは一番の責務です。

そういう
支持的風土にあふれた環境の中で
子ども達は
良さを発揮しあいながら
すくすくと成長していきます。

家庭でも待っている人がいる。
学校(学級)でも待ってくれている人がいる。
その第一義的な責務は
大人(両親・担任など)が担っています。









教育とは
きょう行くこと


 教育は、今日行くことです。教育は足で稼がなければなりません。心に憂いを持ち応援を求めている子には、走って傍に行き、話を聞いてあげなければいけません。それが「優」しさです。

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教育とは、きょう行くところがあること。
教養とは、きょう用があること。

これは退職するに当たって
先輩(元 校長先生)からの助言です。



ここで取り上げられた
「きょう行く」は
家庭へ駆けつける(行く)
という意味合いです。

仲島さんは
家庭との連携
担任が保護者の信頼を得る重要性
という視点からの言葉です。

これは学校教育にとって
不易の部分だと思います。

保護者が学校や担任の
悪口を言っている関係にあっては
子どもは決して成長することはありません。











親は
子どもの応援団長たれ!


 子どもは過去よりも未来を重視しており、大人の『体温のある言葉』がその後の人生の礎になる。大人(教師)は子どもの応援団でいてほしい。親は子供の応援団長」であってほしい。

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「体温のある言葉」
初めて聞く言葉(造語)です。
でも
何となく分かります。

それにしても
インターネットとは便利ですね。
「体温のある言葉」で検索すると
次のような文章に出会いました。



心には温もりがあり
言霊(ことだま

と言われる心が宿っています。

話したり聞いたりする際は
言葉だけでなく
相手を思い遣る姿勢・態度・心遣い・気遣いが必要です。
聞き方・話し方の良し悪しが
日常生活・仕事の上に於いて
貴方の信用や信頼につながりますし
その人の人格が
自然と表れてしまいます。

親から
深く慈しみ育てられた子は
例外なく善人です。







ところで
以下は
教え子から送信されてきた
ありがたく嬉しいメールです。
了解は取っていませんが
コピーして掲載します。

実際には
彼の記憶にあるほど
立派な担任(人間)ではありませんでした。

教師という職業は
発達著しい子どもを預かって
将来に影響を与える可能性のある
重要な存在であることを
再認識させられました。






〜前段省略〜

全てのことが懐かしく思い出されます。
大東中学の思い出は、
1年も3年もほとんど記憶にないのですが、
2年だけはなぜか豊富にあります。

ざっと挙げるだけでも、
@烏田先生は初めての国語の授業にギターを持ってきた。

A「からすの子」という学級通信を、他の先生にブツブツ言われながらも先生はやり遂げた。

Bバレー部顧問の先生とフォークソングを歌われた(僕がギターを始めるきっかけでもあります)。

C平家物語などの古文をやたらと暗唱させた。
 (おかげで、今でもスラスラと出てくるものがあります。(笑))

Dおそらく誰かが起こした事件で、(自然発生的に)クラス全員が罰として、裏の山に登って降りるという
 まるで青春ドラマのような出来事が起き、女子たちが泣き、クラスがひとつになった。
 (もしかして「大東鉱山事件」だったか・・・)

E毎回国語の漢字テストを実施、僕は初回だけ9点であとは全て満点だったのに、
「からすの子」で発表された漢字テスト優秀者の中に名前がなく、
先生に聞いたら「ええ?そうかあ、あと全部満点だったか?」と言われがっくりきた。
(のちに僕の言っていることが正しいとわかり黒板で修正され、恥ずかしかった。)

F3分間で毎朝何かを話さなくてはならず、僕が、誰かの家に行ったつくり話をしたら怒られた。

G本当は禁止だろうが、先生と生徒でキャンプ(日御碕?)
 僕達真面目組と、○○くん、△△くんらの元気組と合同でやることになり
 あとで、それを知ったクラスメイトたちが「まさか!」と驚いた。

 別のキャンプだったかもしれませんが、
 帰りに◇◇くんのお父さんの車で家に送ってもらったが
 酔ってしまい、車内で戻してしまい、迷惑をかけた。
 (あとで先生から電話があり、一緒に行った▽▽くんが掃除してくれてたぞと教えてくれ、彼に謝った。)

H先生の下宿のお寺の部屋にはよくおじゃました。
 すき焼きをしたり、麻雀を覚えたり、楽しかった。
 のちに先生の実家にもおじゃましています、おでんをごちそうになりました。

I2年生最後の日、隣の音楽室で一人ひとり通信簿を手渡し
 握手をしてくれた。(女子は涙)
 クラスが終わってほしくない、と思ったのは後にも先にもその時だけでした。

とまあ、いろいろと記憶の引き出しを引っ掻き回さなくても出てくる出てくる・・・(笑)

思い出すにつけ、教師という仕事は
いかにかけがえのないものかということがわかりますね。
何せ、ひとりひとりの人生の大きな自己形成の真っ最中に
影響を及ぼすことができるのですから。


〜以下省略〜