置かれた場所で咲きなさい
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2022.12.3


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 『置かれた場所で咲きなさい (幻冬舎)』(渡辺和子;著)を読みました。数年前、ベストセラー年間第2位になった本です。

 以下、特に心に残った言葉(一部)を掲載します。

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置かれた場所が、あなたの最善の場所です。境遇は選べないが、生き方は選べます。


 うがった見方をすれば、ブラック企業の非正規社員も「あなたにとって最善の場」か? ということもあります。が、ここは素直に「時には通過点もある」と捉えることにします。

 「若いときの苦労は買ってでもせよ」「獅子は千尋の谷から我が子を突き落とす」と言います。辛く苦しい現状は、きっと自分にとって大事なことを学ぶ、千載一遇のチャンス。何を学ぶかです。

 かくいう私も、思い返せば境遇として辛く苦しい「とき」もありました。あとから振り返れば、自分にとって貴重なキャリアです。将来をよりよく生きるための、貴重な機会となっています。

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仕方がないと諦めるのではありません。私が変わるんです。


 そう、何事も「私が変わるんです。」という側面があります。現実はなかなか変われない自分がありますが、現状打開の有力な方策の一つには違いありません。ただし「いじめ」などのケースの場合、なかなか難しいですよね。例外はあるということです。

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人が生きていくということは、悩みが付き物です。いくら悲しんでも、現実は変わりません。


 悩み、これが全くないという時期は、私の場合もありません。もっとも現役時代と比べたら、(要約学習などありますが)仕事に関することが無い分、半減以上です。

 身内のことで、3人の子どもに関しては、悩みというより「心配」は尽きません。それが親というものなんでしょうね。死ぬまで続くと思います。

 特別養護老人ホームで過ごしている母(要介護4級)は、明るい先が見えません。新型コロナ(面会謝絶)が拍車をかけました。本当に可哀想です。今も、自分がどんな境遇にあるのかさえ意識の向こうです。いや、考えようによっては、それゆえに救われているのかも知れません。 ……自分のいずれは行く道です。

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その現実をどう捉えるか、とらえ方次第です。心の持ちようです。別の視点から眺めることが大事です。受け入れるのです。そして、歩いていくのです。


 そう、どう捉えるかという問題です。母の場合も、元気な時期に後戻りは出来ません。現状をどうとらえるか、です。

 会話も成立しないどころか、息子も認識出来なくなってしまっています。 ……母にとって生きていることにどんな意味があるのですか? と問われたら、正直、回答に窮します。

 しかしながら、完全介護の母にとってベストではないかも知れませんが、安心安全、快適な特別養護老人ホームでの生活で救われています。今となっては自宅の介護・看護は危険すぎて、あり得ません。

 母は今も、「人」として今を生きています。 ……私にとっては、無言の教えとなっています。

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ピンチはチャンス。辛いときは、新しい知恵を求めています。苦しい峠も、必ず下り坂になります。知恵で打開するのです。


 まさに名言です。要約学習の授業を巡っては、幾度となく難題が課されました。その度に、打開策が「要約学習の進化」につながってきています。

 プレゼンを扱って欲しい。
 20分で要約学習をして欲しい。
 情報活用能力は扱わないのか?
 図式の文章化を取り入れて欲しい。
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相田みつを の言葉に「奪い合えば足らぬ、分かち合えば余る。」という言葉があります。


 これは「モノ」だけではなく、「こころ」も入っていると思います。自分は日頃から、こういう心がけで過ごしているだろうかと、ふと立ち止まりました、……。

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水道工事の人たちを前にして、母の教え。「勉強しなかったらこうなるよ。」ではありません。「感謝して通りましょう。」でした。


 立派なお母さんですね。長じてからは、感情は自然に心からにじみ出てきます。「ここで気の毒だという感情になりなさい。」「こういうときは、喜ぶべきです。」と言われても、なるかどうかは「自律神経」のようなものです。体からわき出てくるものだから、自分の意思でコントロールは出来ません。

 それだけに、乳幼児期から「優しい心」「温かい心」「分かち合う心」「差別心のないこころ」など、身近な親から感化を受けている子は仕合わせです。

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挨拶は、「あなたは大切な人です。」というメッセージです。


 たかが挨拶、されど挨拶です。いつもさわやかで、気持ちのよい挨拶をされる方があります。その一方、挨拶をしても返ってこない方もあります。ぼそぼそと床に向かって暗い声の方もあります。

 挨拶一つで、その人の「人となり」が見えるものです。はて、自分はどんな挨拶をしているのかな、……?

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「はい、たいへんです。たいへんだから、もうちょっと頑張ってみようと思います。」


 こういう気持ちが自然とにじみ出るような、立派で前向きな人にならないといけませんね。

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何かを失うということは、何かを得ることです。「失ったものを嘆くな。いとおしめ。」。若さ・体力・気力・美しさは、永遠ではありません。嘆いても戻っては来ません。生きていれば悩みは付き物。悩みの大半は嫉妬です。自己受容が大事です。量より質です。冬が来たら冬のことだけを思いなさい。選択する自由が、そこにはあります。


 「何かを失うということは、何かを得ることです。」 ……けだし名言です。あれやこれや自分の体験を思い返してみるに、「失う」反面、同時に「得ている」ことを実感している今日この頃です。

 これを受けて、今年の予約学習「情報活用能力」は両面から考えさせるという課題に変更しました。

 例えば「給食と弁当と、それぞれ長所を3つずつ以上考える。」「マスクをすることの是非」など、ディベートさせるのではなく、両面から考える懐の広さ、視野の広さを培っています。

 今の私には、ものの見方・考え方は、よりよく生きていくためにとても大事だという認識があります。

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「寸鉄人を殺す」という諺があります。「足し算しかできない。」という思考回路ではなく、「足し算なら出来る。」というものの考え方をしなさい。


 私は「高齢者」の仲間入りをして6年以上が経過しています。自覚は全くありません。気分は50歳代です。いい気なもんです。

 大事なのは、「もう高齢者かぁ〜」ではなく、「まだ71歳だ!」という思考回路です。そう言われてみれば、ときどき「あんたは若いけぇ〜、いいなぁ〜。」と言われることがあります。むろん、その相手は80歳代の方です。

 言われたときは「いやぁ〜、もう若くありませんよ。」が口癖でしたが、この本を読んで、考えを改めました。

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「老いると言うことは、しだれ柳のように自然に頭が下がること。」(坂村真民)。一日の重さ、ありがたさ。今、私のいちばん若いときです。


 含蓄のある言葉です。

 そうです、私は心がけて思うようにしています。朝は、「よぉ〜し、今日は最高にいい一日にするぞ!」。むろん、あれこれ心がけるようにしています。

 そして夕方、行きつけの温泉に浸かりながら、「今日は最高にいい一日だったかなぁ〜」と振り返っています。今日という日は、もう二度と戻っては来ません。

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一生の終わりに残るものは何か? 集めたものではありません。与えたものです。


 そうですね。そう思います。

 私は誰かの(仕合わせの)ために、どれほどのことをしているのでしょうか? そこが問題ですね。

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いつ、何が起きるか不明です。不明だからこそ、人に進んで手をさしのべなさい。


 最近、とみに「いつ、何が起きるか不明です。」ということを考えることがあります。何があっても不思議ではありません。

 母のように、突如として脳出血で倒れるかも知れません。11年前のように、4m下の川に車ごとダイビングしないとは限りません(幸い生きています)。

 そして、「だからこそ」の次の言葉が意味深です。「不明だからこそ、人に進んで手をさしのべなさい。」とのアドバイスです。

 生の終わりに残るものは何か? 集めたものではありません。与えたものです、……。

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 私は退職して、11年目を過ごしています。要約学習を軸として、怒濤のような生活を送っています。ありがたいことだと、ふと感謝の気持ちが浮かびます。

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以下は、「小川忠洋」という方から
届けられたメールの一部です。



人生には
私たちの思い通りにならないことが
必ず起こります。

ここからが重要な点ですが、
どんな事態が起きても、
私たちはそこに幸福感や
喜びを見出すことができるのです。

たとえ、肉体的な痛みに耐えていても、
幸せだと感じることができるのです。

これは前向きな姿勢があるかどうか
という問題ではなく、

創造的な人生を
生きようと決断するかどうかの問題です。

何か良いことが起きるように
人生に積極的に関わるかどうかの問題です。



あなたが問題に直面したとき、
すぐに反応して
問題を解決する必要はありません。

そうではなく、問題を客観的に見て、

「よし、これを問題だと考えるのはやめよう。
ここから飛躍して、
何か良いことを生み出すことが
できるような創造的な方法がないか考えてみよう」



私は自分のセミナーで、
谷の底に落ちてしまった
二人の男の話をしたことがあります。

一人の男はその谷から抜け出すのが
相当に大変な作業だと知って
泣きわめきました。

その男は自分がどれだけ
深く落ちてしまったのかを嘆きました。

不幸な方の男は一晩中寝ずに、
これからどうすればいいのか
考えこんでいました。

彼は谷から抜け出すのに
どれだけの力と時間が必要なのかを計算し、
その答えが出ると、
ふくれっ面で頭を抱えました。



もう一人の男は谷を見渡して、
泳いだり、魚を釣ったり、
体を洗うのにぴったりな小川を
見つけました。

絵の練習をするのに
最高の眺めもありました。

それから彼は、
岩や木の枝を見つけ、
家を建ててしばらく住むことが
できると考えました。

新鮮な空気と太陽の光と
たくさんの水と寝る場所があるので、
彼の中には何も問題はありませんでした。

その夜、幸福な方の男は
自分が今置かれた環境から
何かを作り出す夢を見ました。




この話の教訓はシンプルです。

「自分が置かれた環境が何であれ、
そこから自分が人生に望むことを作り出せ」


ということです。

自分の望みを作り出す
努力をする前から
問題を解決しようとしてはダメです。

今自分がいる場所から
自分の願望を作り出そうとすれば、
多くの場合、問題は自然に消滅します。