置かれた場所が、あなたの最善の場所です。境遇は選べないが、生き方は選べます。
うがった見方をすれば、ブラック企業の非正規社員も「あなたにとって最善の場」か? ということもあります。が、ここは素直に「時には通過点もある」と捉えることにします。
「若いときの苦労は買ってでもせよ」「獅子は千尋の谷から我が子を突き落とす」と言います。辛く苦しい現状は、きっと自分にとって大事なことを学ぶ、千載一遇のチャンス。何を学ぶかです。
かくいう私も、思い返せば境遇として辛く苦しい「とき」もありました。あとから振り返れば、自分にとって貴重なキャリアです。将来をよりよく生きるための、貴重な機会となっています。
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仕方がないと諦めるのではありません。私が変わるんです。
そう、何事も「私が変わるんです。」という側面があります。現実はなかなか変われない自分がありますが、現状打開の有力な方策の一つには違いありません。ただし「いじめ」などのケースの場合、なかなか難しいですよね。例外はあるということです。
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人が生きていくということは、悩みが付き物です。いくら悲しんでも、現実は変わりません。
悩み、これが全くないという時期は、私の場合もありません。もっとも現役時代と比べたら、(要約学習などありますが)仕事に関することが無い分、半減以上です。
身内のことで、3人の子どもに関しては、悩みというより「心配」は尽きません。それが親というものなんでしょうね。死ぬまで続くと思います。
特別養護老人ホームで過ごしている母(要介護4級)は、明るい先が見えません。新型コロナ(面会謝絶)が拍車をかけました。本当に可哀想です。今も、自分がどんな境遇にあるのかさえ意識の向こうです。いや、考えようによっては、それゆえに救われているのかも知れません。 ……自分のいずれは行く道です。
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その現実をどう捉えるか、とらえ方次第です。心の持ちようです。別の視点から眺めることが大事です。受け入れるのです。そして、歩いていくのです。
そう、どう捉えるかという問題です。母の場合も、元気な時期に後戻りは出来ません。現状をどうとらえるか、です。
会話も成立しないどころか、息子も認識出来なくなってしまっています。 ……母にとって生きていることにどんな意味があるのですか? と問われたら、正直、回答に窮します。
しかしながら、完全介護の母にとってベストではないかも知れませんが、安心安全、快適な特別養護老人ホームでの生活で救われています。今となっては自宅の介護・看護は危険すぎて、あり得ません。
母は今も、「人」として今を生きています。 ……私にとっては、無言の教えとなっています。
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ピンチはチャンス。辛いときは、新しい知恵を求めています。苦しい峠も、必ず下り坂になります。知恵で打開するのです。
まさに名言です。要約学習の授業を巡っては、幾度となく難題が課されました。その度に、打開策が「要約学習の進化」につながってきています。
プレゼンを扱って欲しい。
20分で要約学習をして欲しい。
情報活用能力は扱わないのか?
図式の文章化を取り入れて欲しい。
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相田みつを の言葉に「奪い合えば足らぬ、分かち合えば余る。」という言葉があります。
これは「モノ」だけではなく、「こころ」も入っていると思います。自分は日頃から、こういう心がけで過ごしているだろうかと、ふと立ち止まりました、……。
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水道工事の人たちを前にして、母の教え。「勉強しなかったらこうなるよ。」ではありません。「感謝して通りましょう。」でした。
立派なお母さんですね。長じてからは、感情は自然に心からにじみ出てきます。「ここで気の毒だという感情になりなさい。」「こういうときは、喜ぶべきです。」と言われても、なるかどうかは「自律神経」のようなものです。体からわき出てくるものだから、自分の意思でコントロールは出来ません。
それだけに、乳幼児期から「優しい心」「温かい心」「分かち合う心」「差別心のないこころ」など、身近な親から感化を受けている子は仕合わせです。
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挨拶は、「あなたは大切な人です。」というメッセージです。
たかが挨拶、されど挨拶です。いつもさわやかで、気持ちのよい挨拶をされる方があります。その一方、挨拶をしても返ってこない方もあります。ぼそぼそと床に向かって暗い声の方もあります。
挨拶一つで、その人の「人となり」が見えるものです。はて、自分はどんな挨拶をしているのかな、……?
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「はい、たいへんです。たいへんだから、もうちょっと頑張ってみようと思います。」
こういう気持ちが自然とにじみ出るような、立派で前向きな人にならないといけませんね。
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何かを失うということは、何かを得ることです。「失ったものを嘆くな。いとおしめ。」。若さ・体力・気力・美しさは、永遠ではありません。嘆いても戻っては来ません。生きていれば悩みは付き物。悩みの大半は嫉妬です。自己受容が大事です。量より質です。冬が来たら冬のことだけを思いなさい。選択する自由が、そこにはあります。
「何かを失うということは、何かを得ることです。」 ……けだし名言です。あれやこれや自分の体験を思い返してみるに、「失う」反面、同時に「得ている」ことを実感している今日この頃です。
これを受けて、今年の予約学習「情報活用能力」は両面から考えさせるという課題に変更しました。
例えば「給食と弁当と、それぞれ長所を3つずつ以上考える。」「マスクをすることの是非」など、ディベートさせるのではなく、両面から考える懐の広さ、視野の広さを培っています。
今の私には、ものの見方・考え方は、よりよく生きていくためにとても大事だという認識があります。
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「寸鉄人を殺す」という諺があります。「足し算しかできない。」という思考回路ではなく、「足し算なら出来る。」というものの考え方をしなさい。
私は「高齢者」の仲間入りをして6年以上が経過しています。自覚は全くありません。気分は50歳代です。いい気なもんです。
大事なのは、「もう高齢者かぁ〜」ではなく、「まだ71歳だ!」という思考回路です。そう言われてみれば、ときどき「あんたは若いけぇ〜、いいなぁ〜。」と言われることがあります。むろん、その相手は80歳代の方です。
言われたときは「いやぁ〜、もう若くありませんよ。」が口癖でしたが、この本を読んで、考えを改めました。
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「老いると言うことは、しだれ柳のように自然に頭が下がること。」(坂村真民)。一日の重さ、ありがたさ。今、私のいちばん若いときです。
含蓄のある言葉です。
そうです、私は心がけて思うようにしています。朝は、「よぉ〜し、今日は最高にいい一日にするぞ!」。むろん、あれこれ心がけるようにしています。
そして夕方、行きつけの温泉に浸かりながら、「今日は最高にいい一日だったかなぁ〜」と振り返っています。今日という日は、もう二度と戻っては来ません。
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一生の終わりに残るものは何か? 集めたものではありません。与えたものです。
そうですね。そう思います。
私は誰かの(仕合わせの)ために、どれほどのことをしているのでしょうか? そこが問題ですね。
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いつ、何が起きるか不明です。不明だからこそ、人に進んで手をさしのべなさい。
最近、とみに「いつ、何が起きるか不明です。」ということを考えることがあります。何があっても不思議ではありません。
母のように、突如として脳出血で倒れるかも知れません。11年前のように、4m下の川に車ごとダイビングしないとは限りません(幸い生きています)。
そして、「だからこそ」の次の言葉が意味深です。「不明だからこそ、人に進んで手をさしのべなさい。」とのアドバイスです。
生の終わりに残るものは何か? 集めたものではありません。与えたものです、……。
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私は退職して、11年目を過ごしています。要約学習を軸として、怒濤のような生活を送っています。ありがたいことだと、ふと感謝の気持ちが浮かびます。