余命3ヶ月のウソ
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2022.11.20


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早期がんを3年放置しても
ほとんど変化しないということは
日本の専門医にとって
常識以前。


余命宣告の多くは
患者を治療に追い込むための
脅しだった!


患者よ、がんと闘うな!
あなたの癌は、がんもどき。
抗がん剤は効かない。

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抗がん剤のように
寿命を縮めるような治療法はやめて
本当に延命効果がある方法を実施しよう。





書店でこのフレーズを見て
衝撃を受け
さっそく購入して読みました。




大半はがんもどき(放置せよ!)
早期発見時はすでに転移済み


 「がんもどき」というのは、食べ物のがんもどきの事ではなく、”がん”のもどきという意味です。癌のように見えるが実は偽物のがんで、「放っておいても問題がない」とされるがんのことです。

 早期発見によって発見された「がん」の多くが、その後転移する恐れがない「がんもどき」とのこと。にもかかわらず、手術や抗がん治療を受ける患者が後を絶たない。 ……これが、著者(近藤 誠 医師)の主張です。

 「癌の早期発見、早期治療で生存率が高まる」というのが一般的な考え方で、医学界では常識とされています。そのために「がん検診」が行われています。

 しかし、医療技術の進歩で以前よりも早期発見できるようになった今でも、癌の死亡者数は年々増え続けています。ここに大きな疑問を抱いたのが近藤医師です。

 近藤医師と一般的な医師の見解で最も異なる部分が、「癌は放っておくと転移する」という点です。
近藤医師は「本物の癌であれば何をしても転移するし、がんもどきであれば大きくなっても転移しない。」という考え方です。

 しかし、「癌は早期発見、早期治療で治る可能性が高くなる。」、「良性腫瘍が悪性化する可能性もある。」、「癌は大きくなるほど転移する可能性が高くなる。」、「良性腫瘍でも放置することで悪性化する可能性がある。」というのが一般的な考え方です。

 近藤医師の見解(ポイント)を箇条書きにすると、次のようになります。

癌は治療しなければならないが、がんもどきは治療しなくても良い。

癌は見つかった時点で転移しているが、がんもどきは放置しても転移しない。

がんもどきが癌になることはない。

現在の医療技術では、癌とがんもどきを区別することはできない。

早期発見を目的とした検診には意味がない。(早期発見したときにはすでに転移している。)


では、どうすればいいのか?

「本物の癌」は、その病変を切除しても早晩再発(=死)は免れない。

同じ死ぬのなら、手術という獄門が加えられるだけマイナスである。内臓の手術は苦しい。

手術によって、かえって命を縮めることもありうる。「癌もどき」は慌てて治療する必要はなく、最小の治療か経過観察でいい。大きくなって、生活に支障が現れるようになってから治療を受けても遅くはない。


 手術・抗がん剤・放射線(三大癌治療)により、ガン細胞を強制的強圧的に除去する積極的な治療が、現在では一般的に行われています。

 確かに表面的には効果がありそうですが、人体で一番大切な「免疫力を犠牲」にする治療法です。不自然な治療方法です。ガン治療の成績が長年向上しないのは、ここに根本的な原因がありそうです。著書を読みながら、そう考えました。

 近藤医師は、第4の癌治療法「免疫療法」についても、根拠を挙げて「多くの場合、効かない。」と断言しておられます。理由は、癌細胞も正常な細胞も、どちらも同じ「細胞」です。区別して攻撃することは、基本的に困難だからだそうです。

 ただ、これについては、新聞の記事に掲載された免疫療法を読むと、将来性があるのではないか? と、私は信じ、期待しています。

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関連で
Quality Of Life(生活の質)


 2015年(5/7)、母が脳出血で倒れ、救急車で運ばれました。その後、一ヶ月余りこんこんと眠り続けました(医学的には眠っているのではないそうですが、……)。

 その間、病院から電話があって慌てて駆けつけることが3度ありました。倒れて2週間後に駆けつけた際は、

○ 体温38度5分、
○ 血糖値700(正常値は約100)、
○ 血圧 50〜70、
○ 呼吸荒い(肩で息・45〜50回/1分間)、
○ 脈 100以上/1分間

……など、見ていて青ざめるほどでした。

 が、医療のすばらしさ? か、はたまた高齢(86歳)にして母の生命力か? 見守っているうち次第に数値が安定してきました。

 看護師の娘が看護師さんに尋ねていました。何とはなく分かってはいましたが、さすがにショックを受けました。

「急性期ですか、終末期ですか?」 ⇒「終末期医療です。」

 終末期医療とは、
「 病気が治る可能性がなく、数週間〜半年程度で死を迎えるだろうと予想される時期。終末期医療の目的は、延命ではなく、死を目前にした患者の身体的・精神的苦痛を和らげ、生活の質 QOL(Quality Of Life)を向上させること。」だそうです。

 ベッドに横たわっている母は、手厚い看護を受けながら、日々「死への旅路」を歩んでいるのかと、幾度となく悲しみに襲われました。

 ただ、意識は戻らないにしても、日々そばにいる時間を通して、次第に「息子としての覚悟」が固まってきたように思います。(父の心臓発作のように)突然死でなくてよかったと、つくづく思いました。

 そして、奇跡の時が突然訪れました。



 意識の回復は絶望的と思われていました。が、約一ヶ月後、孫(私の長男)が、耳元で大声で呼び掛けているとき、ぴくっと身体が動きました。その後は、転げるように意識が蘇ってきました。

 ただ、普通の会話は無理です。歩くことも叶いません。しかし、命は蘇りました。直後、医師から説明があり、「このまま中心静脈では栄養が全然足りない。衰弱して命が終わる。それを避けるには『胃ろう』という方法がある。」 ……弟と相談し、胃ろうをお願いしました。

 今から静かに考えるに、これが本当に親孝行だったかどうか? 今でも呻吟する私です。しかし、胃ろうにしなかったら自然死を待つばかりと言われたら、家族なら、母の子なら、やっぱり「胃ろう」だという結論に至ります。 ……ただし、立場が私なら中心静脈のままあの世へ召されたいというのが正直な気持ちです。

 その後、「要介護4」と認定され、退院後のことを相談する機会を得ました。「胃ろう」があります。24時間態勢で見守る必要もあります。不安で怖くて、とても我が家で面倒をみることは難しいと判断しました。実際、この頃は私も外出がとても多い日々を送っていました。担当の医師に「特別養護老人ホーム」を依頼しました。

 そこが、田舎の地域医療です。すぐ近くにある「愛寿園」と連携して、ベッドが空く間、病院と愛寿園とを行き来しながら、母は時を過ごしました。 ⇒そして、退院後のことを決めて8ヶ月後、平成28年4月、ぶじに愛寿園に入所出来、今日に至っています。

 人の運命とは、はかり知れません。不慮の事故で突然、人生の終わりを迎えることだってあります。母についてはコロナ禍で、見舞い(面会)も叶わぬ日が長期間にわたっています……。

 せめてもの救いは、意識が混濁して会話はおろか、息子を認識することさえ出来ません。母の病状を思うとき、これは「せめてもの救いだ」と思うようにしています。

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駄作数編


 今はただ見守るだけの吾故に 母の寝息に病状探らむ

 たらちねの母の傍らに寄り添へば ふと過ぎり来るあの日あのとき

 早朝の電話の鳴りて 病状の急変伝ふる声遠ざかる

 苦しげな母の寝息の傍らに 我ただ居りぬただ見守れり

 病床の母に寄り添い ぼんやりと琴引山の頂観たり

 母病みてひたすら眠る病床に 空青々と天に広がる

 点滴のしたたる管にすがる母 命の燃ゆる寝息響けり

 小さき蛾の机の上に羽ばたけり 伏す母のそば羽ばたけるなり

 血糖値・血圧・呼吸・体温の乱高下せり 母の寝息に

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