2015年(5/7)、母が脳出血で倒れ、救急車で運ばれました。その後、一ヶ月余りこんこんと眠り続けました(医学的には眠っているのではないそうですが、……)。
その間、病院から電話があって慌てて駆けつけることが3度ありました。倒れて2週間後に駆けつけた際は、
○ 体温38度5分、
○ 血糖値700(正常値は約100)、
○ 血圧 50〜70、
○ 呼吸荒い(肩で息・45〜50回/1分間)、
○ 脈 100以上/1分間
……など、見ていて青ざめるほどでした。
が、医療のすばらしさ? か、はたまた高齢(86歳)にして母の生命力か? 見守っているうち次第に数値が安定してきました。
看護師の娘が看護師さんに尋ねていました。何とはなく分かってはいましたが、さすがにショックを受けました。
「急性期ですか、終末期ですか?」 ⇒「終末期医療です。」
終末期医療とは、「 病気が治る可能性がなく、数週間〜半年程度で死を迎えるだろうと予想される時期。終末期医療の目的は、延命ではなく、死を目前にした患者の身体的・精神的苦痛を和らげ、生活の質 QOL(Quality Of Life)を向上させること。」だそうです。
ベッドに横たわっている母は、手厚い看護を受けながら、日々「死への旅路」を歩んでいるのかと、幾度となく悲しみに襲われました。
ただ、意識は戻らないにしても、日々そばにいる時間を通して、次第に「息子としての覚悟」が固まってきたように思います。(父の心臓発作のように)突然死でなくてよかったと、つくづく思いました。
そして、奇跡の時が突然訪れました。

意識の回復は絶望的と思われていました。が、約一ヶ月後、孫(私の長男)が、耳元で大声で呼び掛けているとき、ぴくっと身体が動きました。その後は、転げるように意識が蘇ってきました。
ただ、普通の会話は無理です。歩くことも叶いません。しかし、命は蘇りました。直後、医師から説明があり、「このまま中心静脈では栄養が全然足りない。衰弱して命が終わる。それを避けるには『胃ろう』という方法がある。」 ……弟と相談し、胃ろうをお願いしました。
今から静かに考えるに、これが本当に親孝行だったかどうか? 今でも呻吟する私です。しかし、胃ろうにしなかったら自然死を待つばかりと言われたら、家族なら、母の子なら、やっぱり「胃ろう」だという結論に至ります。 ……ただし、立場が私なら中心静脈のままあの世へ召されたいというのが正直な気持ちです。
その後、「要介護4」と認定され、退院後のことを相談する機会を得ました。「胃ろう」があります。24時間態勢で見守る必要もあります。不安で怖くて、とても我が家で面倒をみることは難しいと判断しました。実際、この頃は私も外出がとても多い日々を送っていました。担当の医師に「特別養護老人ホーム」を依頼しました。
そこが、田舎の地域医療です。すぐ近くにある「愛寿園」と連携して、ベッドが空く間、病院と愛寿園とを行き来しながら、母は時を過ごしました。 ⇒そして、退院後のことを決めて8ヶ月後、平成28年4月、ぶじに愛寿園に入所出来、今日に至っています。
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人の運命とは、はかり知れません。不慮の事故で突然、人生の終わりを迎えることだってあります。母についてはコロナ禍で、見舞い(面会)も叶わぬ日が長期間にわたっています……。
せめてもの救いは、意識が混濁して会話はおろか、息子を認識することさえ出来ません。母の病状を思うとき、これは「せめてもの救いだ」と思うようにしています。