『週刊現代』に「100年生きるのは幸せか」という記事が掲載されました。データの一部を以下に紹介します。
ちなみに、100歳になると内閣総理大臣から「銀杯」が贈られます。近年は人数が増えたので、銀メッキの銀杯だそうです。
こういうデータを眺めていると、「姨捨山」の話が浮かんできます。医療・介護の必要ない高齢者であれば、クオリティオブライフ(生活の質)も充実しているし、家族に迷惑もかけなくて済みます。でも、現実は……。
こんなことを考えていると、 2016年7月26日未明に起こった「相模原・障害者施設津久井やまゆり園の殺人事件」が脳裏に浮かんできます。「社会的弱者なら死んでもいい」という差別的な思考回路です。
ただ、自分自身のことだけを考えるなら、医療・介護が必要となった時点で静かに生涯を終えさせて欲しいというのが本音です。
先日、サウナでこれに関することが話題になりました。「あの世に行ける『どこでもドア』があればいい。気にかかることを全てやり終えたら、親しい人を『どこでもドア』の周りに招いて一人一人と最後の言葉を交わしたり、最期のスピーチ(お礼)をしたりして、『それでは皆さんお元気で、さようなら。』と言ってドアの向こうに消えていく、……。」
共感している自分が、そこにいました。
内閣府は2022年版「高齢社会白書」を公表した。
日常生活に制限のない期間(健康寿命)ついて、
2010年と2019年を比較したところ、
男性は2.26年伸び72.68年、
女性は1.76年伸びて75.38年であった。
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一日一日をより愛おしまなくてはいけません。同時に、健康寿命を延ばすための実践(運動と食事など)を充実しなくてはいけません。自分のために、家族を始め周りの人のためにも。