求められている国語力
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2020.8.30(日)


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 文科省のサイトに、「これからの時代に求められる国語力」という部屋があります。今回は、この答申の中から、抜粋要約(背景が青)した上で、若干のコメントを述べることにします。

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これからの時代に求められる国語力について[文部科学省]





国語教育についての基本的な認識
<国語教育は社会全体の課題>


 国語教育に関し,特に重要な役割を担うのは学校教育である。その中でも小学校段階における国語教育は極めて重要である。しかし,家庭や地域社会における言語環境が,子供たちの国語力に大きな影響を及ぼしている。

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<言葉への信頼を育てることが大切>


 家庭や学校で十分なコミュニケーションが行われることが望ましい。特に,学校教育においては,人間関係形成の能力としての「話す」「聞く」「話し合う」の力を確実に育成することが求められる。これによって,言葉への信頼が育っていく。

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<情緒力・論理的思考力・語彙力の育成を>


 今後の国際化社会の中では,論理的思考力(考える力)が重要である。しかし,論理的な思考を適切に展開していくときに,その基盤として大きくかかわるのは,その人の情緒力である。

 これに加えて,語句・語彙力の育成が重要である。人間の思考は言葉を用いる以上,その人間の所有する語彙の範囲を超えられるものではない。情緒力と論理的思考力を根底で支えるのが語彙力である。

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「自ら本に手を伸ばす子供」を育てる>


 国語教育の中で,「自ら本に手を伸ばす子供」を育てることを考える必要がある。特に,すべての活動の基盤ともなる「教養・価値観・感性等」を生涯を通じて身に付けていくために極めて重要なものである。

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コメント


 「論理的思考力を適切に展開していくとき、情緒力が基盤として重要」との指摘、全く同感です。これは極端ですが、……詐欺を遂行するために「論理的思考力」を発揮するような「情緒」の持ち主は困ります。

 一週間前、「コメントの部屋」に「高次の情緒力を育てるために」というタイトルで掲載しているのが、背景が黄色のの文章(部分)です。

2020.8.23 高次の情緒力を育てるために


 「言葉なしの思考」というものは存在しません。言葉を使わずに考えめぐらすことは不可能です。まさに言語力のレベルは、思考力のレベルと比例しています。

 一方、「高次の情緒力」という概念があります。この言葉は、「国語分科会国語教育等小委員会」(平成15年)の議事録で登場しました。高次の情緒力(例えば、他人の痛みを自分の痛みとして感じる心、美的感受性、もののあわれ、家族愛、郷土愛、名誉や恥など)は、後天的に獲得されるものです。しかも、体験を通してというよりは、(教養がそうであるように)「(特に文学作品の)読書を通して培われる」ものとされています。

 さらには、思考をめぐらす基盤となる「語句・語彙力」こそ、高次の情緒力と論理力を根底で支えています。いずれにしても、「読書離れ」は「高次の情緒力」「論理的思考力」の欠如を招くと、この小委員会の報告書で警鐘を鳴らしておられます。

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 「読み聞かせ」が、その延長線上に「自力読書」とはなりません。が、私の把握する限り、(勤務校におけるアンケート調査によると)「読み聞かせ」を日常的にしてもらった子ども(中学生)は、おおむね20%程度でしかありません。

 世の中の大人は、忙しくなってきていることは確かです。が、言葉や情緒の成長は、親子のコミュニケーションが基盤です。親が熱心に語りかけたり、子が一生懸命自分の体験や思いを伝えたりする、その積み重ねが、情緒力・論理的思考力・語彙力を育てている真実を、もっともっと世の親は認識する必要があります。

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<発達段階に応じた国語教育を>
3歳までの乳幼児期
【コミュニケーション重視期】


  生後から3歳にかけて,前頭前野の神経細胞は急激に成長する。乳幼児の脳の発達に最も重要なのは,親子のコミュニケーションである。乳幼児は親とのコミュニケーションによって語句・語彙力を身に付ける。

 また,親が子供に心を開くことで,まず,子供の感性・情緒を育てながら,言葉を発達させていくことが重要である。

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3歳〜小学校高学年まで
【基礎作り期】


 この時期には,語彙力など言葉の知識をつかさどる側頭葉や頭頂葉などの神経細胞は成長を続ける。

 幼児期では,「読み聞かせ」や読書により言葉の数を増やし,さらに,家庭や地域で多くの様々な経験を積ませることを意識すべきである。これにより,情緒力や想像力も身に付けることができる。

 小学校では,「話す・聞く」に加えて「読む・書く」の「繰り返し練習」により,国語力の基礎となる知識を確実に身に付けさせることが重要である。

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13歳(中学生)以上
【発展期】


 思春期を迎えたころから,前頭前野の神経細胞は再び急激な成長を始める。国語科の学習においては当然のことであるが,様々な社会体験,社会科や理科の学習などを通して,論理的思考力の育成に努めることが重要である。

 また,脳の「情報処理能力」が飛躍的に伸びる時期であるので,多くの読書体験により,情緒力・想像力・論理的思考力・語彙力の総合的な発達を促すべきである。

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コメント


 ここでは「3歳までの乳幼児期」としていますが、小学校入学までは特に、聞いたり話したり話し合ったりという「音声言語」重視の時期だと思います。

 「要約学習」においても、保育所時代は子どもが家族に「話して聞かせる体験」を大事にしています。保育所であった嬉しかった出来事を伝える、保育所で読んでもらった絵本のストーリーを伝えたり感想を伝えたりする、……。家族(親)は全身全霊をかけて聞き入ってやる。

 こういう体験を豊富にすることで、文字入力からの「要約」もぐんぐん伸びます。

 小学校入学までに、習うでもなく文字(漢字)に触れてきている児童にとって、学校で習う「漢字」はどこかで見たことがある親しみの持てる文字です。すっとマスターできるはずです。

 その点、読み聞かせをされた経験もなく、本を手に持った体験も乏しい児童にとっては、初対面の文字(漢字)はハングル文字にでも出会ったような抵抗感を覚えます。初対面ですから、学校で習っても脳裏から消え勝ちです。

 論理的な思考力には、どうしても漢語が多くなります。これまで出会った生徒で、情緒の安定しない子、キレやすい子は、ほぼ例外なくほとんど「ひらがな」で考えを巡らせています。短絡的で直情的で、単語族です。

 これを救うのは、幼児時代の過ごし方だと、私には思えてなりません。

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国語科教育の在り方
<国語教育を中核に据えた学校教育を>


 発達段階から考えて,小学校段階は国語力の向上に特に重要な時期である。

この時期には,「読む・書く」の「繰り返し練習」により,あらゆる知的活動の基盤となる国語力の基礎をしっかりと築くことが何よりも大切である。

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<国語科教育で育てる大切な能力>


 情緒力を身に付けるためには,小学校段階から「読む」ことを重視し,国語科の授業の中で,文学作品を中心とした「読む」ことの授業を意図的・継続的に組み立てていくことが大切である。

また,論理的思考力の育成は,国語科が大きな役割を担うべきである。文章を書くことの指導や自分の考えや意見を述べる機会を多く設けることなどにより,論理的思考力を高めていくことが必要である。


 さらに,思考そのものを支える語彙力を身に付けるためには,漢字の重要性を見直した上で,漢字の指導に力を入れていくという観点が大切である。

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<教科内容をより明確にする>


 国語科教育の大きな目標の一つは,情緒力と論理的思考力の育成にある。

 したがって,現行の国語科教育でも,小学校段階から情緒力を育てるだけでなく,説明文を学びながら論理的思考力を培い,中学校・高等学校段階でも,情緒力と論理的思考力とを共に育成している。

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<指導の重点は「読む・書く」にある>


 「書く」ことは,考えを整理し,考えることそのものの鍛錬にもなる。したがって,まとまった話をするためにも書くことは大切である。

 最近の子供たちは一般に「書く」ことを嫌う傾向にあるが,これは何をどのように書いたらよいかが十分に指導されていないことに加えて,忍耐強く一つのことに取り組もうとする力が不足している面もあろう。この点に対する配慮も大切である。

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コメント


 言語力の育成、国語力の基盤づくりは小学校だというのは、小・中の両方に勤務して、確信を持ちました。とりわけ低学年段階は、黄金時代です。この時期を逃したら、その後の言語力・国語力の伸びは停滞します。

 例えば、低学年の古典暗誦力は、中学生の暗誦力を越えています。中学生と比べて年齢は格段に低いのに、あっけなく意味も分からない文章を覚えてしまいます。大人の私は、情けないかな低学年の前で完敗でした。この時期を逃してはいけません。

 国語の「聞く」「読む」「話す」「書く」はリンクしています。しかし、その中核を担っているのは「読む」だと思います。ここがリンクの基点です。

 「読む」ことを豊かにし鍛えることによって、脳内で同じ回路を使う「聞く」力が伸びます。「読む」ことによって、語彙や言い回しを身に付け「話す」「書く」に反映させていきます。子ども達には、名文や内容豊かな文章を、いっぱい読んだり暗誦したりさせたいものです。

 なお、漢字は後追い指導が子ども達の負担を軽減します。教材を学び終わって、何度となく新出漢字を目にした後、初めてその漢字の音読み・訓読み、熟語、筆順などを指導する方法です。初対面の漢字ではないので、抵抗感が違います。

 この点、陰山方式は逆のやり方(最初に集中的に漢字をマスターさせ、その漢字力を背景に教科書を使った学習指導を展開する)です。(※ 下に概要の解説)


 書くことについては、作品主義ではなく、習作主義重視でいきたいものです。負担の少ない作文の機会を数多く作るのです。

 長文は短文の連続でしかありません。5分間で書く作文、60字〜100字、200字程度の短文をどんどん書かせることによって、「書くことの抵抗感」が無くなります。

 国語科教育の目標は、「情緒力と論理的思考力の育成」であると断じています。これだけに限定するのはどうかとは思いますが、「人間力の育成を目指す学校教育」という視点からは、なるほどと思います。

 読解力や作文力、漢字力などは点数化できます。が、「情緒力と論理的思考力」については点数化が難しいだけに、伸ばしているのか、伸びたのかの検証が難しい面があります。

 しかし、指導者の側からはしっかり意識しながら指導に当たりたいものです。。

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漢字学習
陰山方式

@ なぜ漢字学習にこだわるのか?

 日本語という言語の根幹はやはり漢字です。漢字で組み立てられた熟語で意味を形成して、それを助詞や接続詞を用いて展開していきます。計算は1~10の数字と+-×÷が基本ですが、言語は基本となる文字がとても多いです。最近の子どもたちは読解力が無いと言われますが、読解力がないということの6~7割は漢字力・熟語力だと思っています。

 子どもたちに様々な教科の学習をさせますが、漢字力が弱い子は学習全般が弱いのです。漢字力をつけることで学習全体が底上げされるので、量の面でも時期の面でも優先順位を上げてほしい。基礎力がないまま応用をしてもなかなか進みません。

 漢字学習が学習全般の骨格をなすという位置づけをまずはきちんとしておいて、より早い時期により高度な漢字力を養成することが必要です。国算理社ができないから国算理社を教えるというのは当たり前に見えて実は当たり前ではなく、まずは漢字や集中力といった基礎的なところを固めるべきだと思います。


A 漢字指導の陰山方式について

 今まで漢字指導が大変だった理由は意外にも、指導方法が根本的に間違っていたからです。そして、教師が漢字は長い期間かけて教えないと、子どもたちは漢字を覚えられないと思っていたからです。

 小学3年生や4年生は1年間でだいたい200個の漢字を覚えることになっています。これは原稿用紙のたった半分の量でしかありません。そう考えると、何も難しいことはないです。

 最近スコーラという塾を始めたのですが、その授業の50分の中で漢字指導に充てる時間はせいぜい15分程度です。しかし、それを2ヶ月やると、つまり8回やると多くの子が1年分の漢字を覚えてしまうことが実践的に分かりました。強烈でした。


B 熟語の学習について

 漢字が書けることと熟語が書けることは、実は全然違います。漢字テストが解けないのは、漢字が書けないのではなく、熟語が分かっていないからです。

 小学校1年生で習う「下」と「水」という字を知っていても、組み合わせて「下水」となった瞬間にわけが分からなくなる子は多いのが実態です。下水は地下を流れていますから、子どもたちは当然それを見たことがありません。熟語は熟語として、漢字とはある意味で切り離して、その熟語それぞれの意味を教えなければいけないのです。


Eまとめ

 多くの指導者は子どもたちに漢字を覚えさせるために、漢字練習帳に何回も漢字を書かせるということをやっていると思います。私もそれを長年やってきて、子どもの様子を見ながら分かったことは、あれをやらせるから子どもは漢字を覚えなくなるということでした。

 つまり、最初に「偏」だけ書いて後から「旁」を書くというのは、頭を使わないようにすることです。これをやると、書く作業ということが学習ではなくなって、単純作業化していって、頭を使わなくさせてしまいます。あれを1年生から6年生までずっとやっていたら、頭を使わなくさせる作業を日本全国一斉に一生懸命にやってたことになってしまいます。

 最近、書き順が無茶苦茶な子が増えています。何故だろうと思って子どもたちを見ていると、子どもたちが手本を見ないで書いていることに気が付きました。ではどう指導すればいいかというと、「手本を見なさい」としか言えません。これは江戸時代から続いている古典的な指導です。「ちゃんと見て書きなさい」それだけなのです。最も有効な指導法が、最も古典的な方法だったのです。。

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