短歌の作品
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2020.5.16(日)


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所属する赤名短歌会では
毎月第3金曜日
会員が自分の作品を持ち寄って
お互いの作品を語り合っています。
今回は
持ち出した作品と
皆さんからいただいたコメント
及び自評を掲載します。








2020年5月

きょうもまた
呼吸のごとく吹き過ぐる
春風乱しコロナに暮るる


◎ コロナコロナで日が暮れる毎日です。まさかこんな日が来ようとは思ってもみませんでした。経済的なこと、命のことなど、これからいつまで続くのでしょうか?

◎ すっかりなじんでいた日常生活でしたが、コロナが春風を揺らして日常を壊しました。

◎ 「呼吸のごとく吹き過ぐる春風」という表現がすごいとらえ方です。なるほどと思いました。すてきな表現です。

◎ せっかく春が呼吸するようにやってきたのに、この度のコロナ騒動は人を変えました。人の心の闇を見るのが悲しいです。「監視社会」は人間不信に陥ります。

◎ これまでの生活習慣を変えてしまうほどの騒動です。政府は「新しい生活様式」と呼んでいますが、戻ることと戻らないこととあるような気がします。よい生活習慣は大事に残したいものです。

◎ この度のコロナウイルスは、自然に存在するモノとして受け入れざるを得ません。たいへんだたいへんだだけでは寂しすぎます。

◎ この春は皆がコロナに悩まされ、何もかもがたいへんな日々の連続でした。終息が見えず、不安が広がるばかりでした。そんな世情が巧みに表現された作品だと思います。二句・三句・四句の具体表現「呼吸のごとく吹き過ぐる」が、作者ならではのものと感心致しました。

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自評

 私は春先の気候・風情が大好きです。日課のランニングをしていると、ときおり爽やか な風が吹いてきては静かになります。走りながら「春が呼吸をしている」と思いました。そのあたたかく清新な季節を吹き飛ばし、われわれの日常生活を壊すかのようなコロナ騒ぎ。まさに今日も「コロナに明けてコロナに暮れる」一日であることを恨めしく思います。。

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2020年4月

さくら(ばな咲きこぼれたる露天湯に
手足伸ばせり
職退きて


◎ 4年間、お疲れさまでした。保育所の子ども達との交流を思い出されながら、ゆったりと露天風呂で疲れを癒しておられる様子が伝わってきます。

◎ サウナに毎日通っておられると聞いていましたが、よっぽど温泉がお好きなんですね。どこの温泉の露天風呂なのでしょうか? 肩の荷が下りて、心も体もリラックスですね。そのお気持ちがしみじみと伝わってきます。

◎ 退職されて、これからは毎回、短歌会に来てくださるので嬉しい気持ちと、保育所を辞められて残念な気持ちと、複雑です。でも、今の気持ちは「孫がお世話になりました。本当にありがとうございました。」です。

◎ うちの孫は、所長先生のことを怒らないし物知りだし勉強を教えてくれたりと、とても信頼していました。お世話になりました。ありがとうございました。

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自評

 学校を退職したときは、心が空っぽになったような、社会から取り残されたような、寂しい気持ちになりました。

 が、今回の退職は年齢のこともあるからか、何だか心も体も解き放たれたような解放感を味わっています。4年間、子ども達には毎日を楽しく心豊かにしてくれました。心から感謝しています。

 この短歌ができたのは、平田の温泉「ゆらり」です。露天風呂がゆったりと広く、ちょうど桜も満開でした。

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保育所を題材に詠んだ作品



高原の桜並木を見上げれば園児らの声ひびき渡り来

タタタンタン園児の太鼓鳴り出せば人集ひ来るぼたんの祭り

しゃぼんだま園児を離れてぽわぽわと梅雨空に揺れ森に消えたり

園庭に泥んこ遊びのこだませり湿度の重き梅雨空の下

追ひかける子どもら残しゆらるらとシャボン玉揺れ空に溶けゆく

七夕の園児の歌声高らかにギターの音をかき消し咲けり

跳べ走れ!はじける笑顔園児らの運動会は天に響けり

顔中を口だらけにし歌ふ子らのいよよますますお楽しみ会

わらわらと雪に繰り出す園児らの見上げる口に雪ひら飛び込む

迫りくる鬼をめがけて豆投げて豆を煎るよに逃げる園児ら

豆まきをやり終え鬼は仰向けに倒れて園児の残響聞けり

時ならぬ雪舞ひ来たる園庭に春を呼び込む子ども等の声

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2020年3月

拡がれるコロナウイルス
卒業の代えがたき日々蹴って散らせり


◎ これまでに例のない来賓などの主席のない卒業式と聞き、残念に思っています。

◎ 一生に一度の卒業式なのに、……。「蹴散らせり」は、作者の心の叫びのようです。まさに卒業シーズンを蹴散らされました。

◎ 烏田さんは卒業式は毎年参列して、卒業生を見送っておられただけに、残念という気持ちがひとしおと思います。卒業生の晴れ姿を見送りたかったという、悔しく残念な気持ちが伝わってきます。

◎ 目に見えないコロナウイルスだけに、やるせない思いが伝わってきます。

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自評

 Mさんの短歌と重なるところがあります。卒業生のやるせなく悲しい気持ちを思うと、やりきれない気持ちになります。「有終の美を飾らせてやりたかった」という思いは、保護者や 教職員のみならず、誰もの心に暗い影を落としています。この悔しい気持ちを作品にしたいと 言葉を選びました。

 下の句は蹴散らしたことを強調するため、あえて「かけがえのなき」と「日々」とをまたぎ ました。ただ正直な気持ちは、文学とは言えない単なる説明的な作品になってしまいました。

 いずれにしても、「コロナウイルスを蹴散らした」という短歌を一日も早く作りたいものです。

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2020年2月

豆まきをやり終え鬼は仰向けに倒れて
園児の残響聞けり


◎ 子ども達にとって節分は、保育所に行きたくない特別な日です。孫も行きたくながっていましたが、今年は豆を鬼にぶつけたと喜んでいました。成長したんだなと思いました。

◎ 実際の豆まきの様子が絵になって、音声になって、五感を通して目に見えるようです。

◎ 子ども達には人が中におることは分かっていても、やっぱり怖いんですね。その怖かった様子が、耳に聞こえてくるようです。

◎ ふつう豆まきは、実際に豆まきの場面が作品になります。が、この作品は豆まきを終えた直後のオニの様子が題材になっています。視点がユニークで面白いです。

◎ オニの役を演じきった人の達成感、充実感、満足感が伝わってきます。ご苦労様でした、と言いたくなります。

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自評

 オニの役は、(私も担いましたが)主役は役場の澤田さんです。実際に神楽の衣装と面でオニの 役をされました。豆まきを終えて遊戯室を出たところで仰向けに倒れこみ、しばらくはそのまま荒い 息をしておられました。隣の遊戯室では、子ども達のざわめき・余韻が伝わってきていました。

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2020年1月

かたちなき時間といへど
あらたまの年は静かにわが前にいまする


◎ 誰しも新年を迎えるとこんな気持ちになるものです。そういう気持ちを短歌にしてもらった気がします。

◎ 昨日と今日が極端に違わないのに、新しい年を迎えた瞬間を静かに過ごしておられる様子が伝わってきます。

◎ 忙しい日々を過ごしておられる作者だけに、この瞬間は特別なのでしょうか? 心静かに新年を迎えておられる雰囲気を感じます。

◎ 時間に形はありません。しかし、新しい時間には自分の前に確かに存在しています。今年もつつがなく健康に過ごしていきたいという願望が感じられ、新年にふさわしい作品です。

◎ ひらがなが多い作品なので、優しい雰囲気が伝わってきます。ふわぁっと体に沁みてきたり、引き締まって決意を思わされたり、不思議な作品です。

◎ 年が改まっても、時間に形はありません。誰もがその形のない時間を過ごして新年を迎えます。その心理を巧みに表現されています。

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自評

 今年も静かに新しい年が始まりました。毎年NHK「行く年来る年」を観ます。午前零時、テレビの雰囲気が静から動へと一変します。毎年、これを確認してから眠りにつく私です。

 元旦の朝が来たからといって、昨日と何かがらりと変化したわけではありません。が、気のせいか空気が入れ替わった気がします。「新年の決意」ではありませんが、自然と気持ちをリセットしたくなります。

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2019年12月

要約の教材づくり
カメムシの羽音に乱れ遅々と進まず


◎ 子ども、犬などを題材に、いつも前向きな短歌を作られるのに、今回はイライラした本音が漏れた作品。思うようにいかないこともおありなのかな? と、ほっとしました。逆に元気をもらいました。

◎ 忙しい毎日を過ごしておられる中で、短歌のまとめなどもしてくださって感謝しています。

◎ カメムシが家のなかに入ってくる、今年でした。特にカメムシの羽音は特別です。気になり出すと仕事が手につかなくなります。共感する作品です。なんだったらカメムシ退治にうかがいますよ。 。

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自評

 特に10月〜11月、毎晩のようにカメムシが部屋の中に出没して参りました。気になり出すと仕事に集中出来ません。明日までに完成しないといけない教材があるときなど、カメムシが不気味な音を立てて飛び始めると最悪です。

 要約学習の授業は、年間通して町内外の学校へ出かけています。その度に授業で使う教材を作っています。保育所勤務があるので、基本的に教材づくりは夜が勝負です。それだけにカメムシの羽音は天敵です。

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2019年11月

夕闇がかぶさるやうに落ちかかる
山道ぬけむと犬も急げり


◎ 日暮れが早い様子を「夕闇がかぶさる」と表現されましたが、その通りと思います。夕闇が迫ってくる様子が伝わってきます。

◎ 「夕闇がかぶさるやうに」が、この歌のポイントだと思います。

◎ 犬も早い日暮れを分かっているかのように走る。その情景が目に浮かびます。

◎ 夕暮れどき、犬と一緒に走っておられる姿が目に浮かびます。4句と5句、十分に意味が伝わります。

◎ 犬とは散歩ではなく、ランニングです。毎日、体を鍛えておられる、犬との大事な時間なんですね。

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自評

 今年も日暮が加速度的に速くなる季節を迎えています。夕方、愛犬とのランニングは山の中(林道)です。特に森の中は太陽が沈んだと思ったら、転げるように夕闇が迫ってきます。1分、2分が勝負です。その恐ろしい夕闇が迫る様子を「夕闇がかぶさるやうに落ちかかる」と表現しました。

 4句目は字余りなので「森を抜けむと」も考えました。が、そうすると(山中)ランニングのイメージが消えます。やむなく「山道抜けむと」と、字余りにしました。

 また、むろん私もイヌと一緒に走っているのですが、結句の7音節では表現し切れませんでした。「愛犬」ならイメージ出来そうですが、これまた字余りのためやむなく「犬も」としました。

 でも、「犬も」では野良犬を連想し、「飼い主も一緒にランニング」というイメージにはつながらないかもしれません。

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2019年10月

摩天崖
とけこむやうに陽が沈み
海辺の波は秋を刻めり


◎ 私の知らない所へ次々と行かれます。羨ましい限りです。とろけるように海が紅く染まりながら、夕日が沈んでいったのですね。

◎ 夕陽が落ちるときの情景を素晴らしい表現でとらえておられます。

◎ 摩天崖にたたずんで、夕陽がとろけるように沈み、夕陽の光が波に砕けながら時を刻むという素晴らしい光景ですね。

◎ 一刻を争うように沈む夕日、さざ波はいかにも時を刻むかのよう。見てみたいと思いました。

◎ お浄土を想像しました。「とろけるように沈む夕日」とさざ波。よい体験をされました。この瞬間を私も観てみたいです。スケールの大きい叙景歌です。結句がすごい表現です。

◎ 上の句も下の句も、なかなか表現できない作品だとつくづく思いました。さすがに国語の先生だと感心しました。

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自評

 9月末、教員海外研修の同窓会が、隠岐:西ノ島でありました。約30年前、海から観光船で摩天崖を見上げて圧倒された記憶があります。今回は放牧されている和牛の横をすり抜けながら、摩天崖の上に立ちました。海風に吹かれながら、広大な海原と複雑に折り重なった海岸線を堪能しました。

 短歌が出来たのは、海岸端のホテルに着いてからです。海に面した部屋から臨む景色は、巨大な一枚ガラス越し。摩天崖の余韻に浸りながら、しばらくは半熟卵のように沈む夕陽を眺めていました。

 「とろけるやうに陽が沈み」を「とけこむやうに陽が沈み」に変更します。改めて「とろけるやうに」を考えてみるに、秋のイメージというよりも夏のイメージが浮かびます。短歌を詠んだ時期は9月末、転げるように夕闇に包まれます。そこで「(迫り来る夕闇に)とけこむように陽が沈み」と変えることにします。

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2019年9月

姫沼に
夏を惜しみて高山の可憐な花の競ひ咲きをり


◎ 姫沼は、三瓶の姫ケ池のことかと思いました。

◎ 北の果ては8月でも高山植物が見られるんですね。「夏を惜しみて」「競ひ咲きをり」という表現が素敵です。

◎ 高山植物を写真に撮っておられたら見てみたいものです。素敵な旅行をされたんですね。

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自評

 8月下旬、北海道北の果て、礼文島と利尻島に行ってきました。気温も18度前 後、すでに秋の気配が濃厚な世界でした。姫沼は標高130mに位置し、周囲約800m、深さ約2mの湖。原生林に囲まれ、さまざまな種類の可憐な高山植物が咲き誇っていました。

 湖を一周する遊歩道をそぞろ歩きながら、夏が終わろうとする北の大地を心行くまで味わうことができました。

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2019年8月

みちのくに空風光みちみちて
賢治の祈りを訪ねてゆけり


◎ 東北に行かれたんだなぁ、いいところに行かれたんだなぁと思いながら詠ませてもらいました。

◎ 宮沢賢治の空気感を心から味わっておられます。賢治の優しい世界を彷彿させられるようです。

◎ 「空風光みちみちて」に季節感を感じました。

◎ 花巻に行かれたんですね。羨ましい。そのときの想いを歌にされたことが素晴らしい。他にも作られたんでしょう?

◎ 賢治といえば「雨ニモマケズ」が有名ですよね。「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ
クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という一節が強く心に残っています。他人のために心から尽くした、すごい人だという印象があります。

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自評

 10連休中、3泊4日で「仙台⇒松島⇒花巻⇒平泉」(飛行機・レンタカー)に行ってきまし た。いちばんの目的は宮沢賢治です。この人の生き方、童話作品・詩歌に引かれるように行ってきま した。

 山陰と違って東北は、恐ろしく空気が澄んでいました。ふと「空風光みちみちて……」という フレーズが浮かびました。雪をいただいた遠くの山脈がくっきりと見え、こんな所に賢治は育ったん だなぁ〜と感慨にふけりながら探訪しました。

(以下)賢治の業績と人柄について語りましたが、ここでは省略します。

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2019年7月

どんよりと
くぐもる景色の野を駆けて
森に消えゆく七月の風


◎ 「くぐもる」という言葉を知らなかった。勉強になりました。こういう景色を見たことはあっても、短歌にしようという気持ちは出ません。

◎ このところ曇天が続いています。よどんだ暑苦しい湿った風が吹いているが、森に抜けると木々や木の葉を揺らして爽やかな風になるという気持ちでしょうか? 風の道をよく捉えておられる短歌だと思います。

◎ 表現力が素晴らしい。一つ一つの言葉が生きています。7月の梅雨時の雰囲気が出ています。

◎ どんよりした風景の中を、ふと風が吹き抜けていく。もうすぐ爽やかな風が吹く季節がやって来る、という気持ちでしょうか?

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自評

 何気なく戸外を眺めていると、よどんだ景色を押し分けて、向こうの森へと吹き抜けていく「7月の風」を確かに目撃した気がしました。梅雨明け間近の雰囲気を、ふと作品にしたくなりました。

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2019年6月

園庭に
泥んこ遊びのこだませり
湿度の重き梅雨空の下


◎ 湿度の重き中、のびのびと遊ぶ子どもらの姿が浮かんできます。「こだませり」からは、多人数の子ども達がわいわい楽しんでいる様子が浮かんできます。読み手の愛情が伝わってもきます。

◎ 梅雨空にも元気なのは子どもと紫陽花です。この描写から、その場の情景が的確に伝わってきます。

◎ どんよりと気持ちの滅入るような季節に、いつの世も子どもの明るさは変わりません。作者が無邪気な子どもから、元気をもらっておられるように感じました。

◎ 都会の保育所では危険だからと、水遊びもさせていないそうです。ビルの一室で一日中過ごす園児もいるそうです。その点、田舎の保育所は健康的でのびのびと育っていていいですね。

◎ 「湿度の重き」が素敵です。ふつう湿度は高い低いと言いますが、重いという響きが情景を浮かばせます。

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自評

 皆さんの感想の通りです。どんより垂れ込めた梅雨空に気持ちが滅入っているとき、甲高い声で思いっきり泥んこ遊びに戯れる子どもたちを見ると、気持ちがぱぁーっと明るくなります。その対比と、子ども達への感謝を作品にしたいと思いました。

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