2020.3.15(日)
読書は
![]() コメント 映画の世界 マンガの世界でもそうですが 読書の世界では さまざまな体験ができます。 さまざまな立場に立つことが出来ます。 さまざまな人になることが出来ます。 まさに 体験不足を補ってくれています。 ただ 脇先生が書いておられるように あらすじ読みでは これが生きる力につながりません。 感情移入しながら 脳裏では実にリアルに 体感しながら読むことによって 脳が活発に働きます。 脳内に痕跡を残します。
自己内対話
![]() コメント 映像文化と文字文化 両者はよく対比されます。 どちらも 貴重なメディアです。 優劣をつけること事態 筋違いです。 それぞれに欠点があり 一方ではまた 良さを有しています。 文字文化は 無機質な文字を読み進めながら 脳裏に映像化していきます。 知的思考を促します。 百聞は一見にしかず 映像文化は 視覚・聴覚に直接的に 刺激を与えてくれます。 日常生活に近い形で 情報が入ります。 その分 脳内では省エネとなっています。
自己認識力を育てる
![]() コメント 私は体験的に このことが分かります。 体験的にというのは 教員生活37年間に出会った さまざまな子ども達とのことです。 例えば 短絡的、衝動的なものの見方 言動をする子は 例外なく 文字文化と縁が薄い子でした。
読み聞かせから
![]() コメント 私はわが子3人に 乳幼児期から 小学校3年生頃まで ほぼ毎日 絵本の読み聞かせをしてきました。 その延長線上には 自発的に読書をすることを 楽しみに描きながら……。 しかし 読み聞かせの卒業とダブるように 3人ともマンガに移行していきました。 長男がそうだったから 下の2人も 右習えだったのかも知れませんが、……。 落胆したり 疑問に思ったりした頃 脇先生の講演に出会いました。 なるほど 「絵を見せない読み聞かせ」か! 思い当たる節が いくつか浮かんできました。 その一つが 小学校4年の記憶です。 当時の担任「加藤忍三」先生は 毎日のように 読み聞かせをしてくださっていました。 読み聞かせといっても 絵は見せてくださいません。 ただ 教室に聞こえてくるのは ひたすら 先生の朗読の声だけです。 じっと意識を集中していないと 話の内容が抜け殻になってしまいます。 マンガ人間だった私が 本も自分で読むようになったのは 確かにこの頃からです。 これから我が子に 読み聞かせをされる方は ぜひ 朗読だけが頼りの 読み聞かせをされることを 強くお勧めします。 【備考】 その後の我が子ですが 長女は私以上の読書家です。 長男と次男は 今でもマンガ中心ですが 必要に迫られて 実用書はけっこう読んでいます。 嬉しいというか かろうじての救いは 幼い頃の 父の読み聞かせを しかと覚えてくれていること。 読んだ絵本も いくつかは覚えていて ふと話題になったり 本屋で見かけたなどと 父を喜ばせることもあります。
文字のない社会では?
![]() コメント リアル博士の調査・研究は なかなか興味深いものがあります。 我が家の母は 昭和3年生まれ。 聞くところによると 学ぶべき時に戦争まっただ中。 学校で学べなかったとのこと。 それが原因かどうか それは不明ですが 読書とは無縁。 新聞もテレビ欄だけ。 完全なテレビっ子 いや テレビ婆です。 日頃の言動で感じるのが 短絡的な思考です。 相関関係があるのでしょうか? 一方 〔他界した〕祖母と父は 新聞も熱心に読むし 日常的に読書もしていました。 二人とも熟慮タイプ。 多面的思考が出来る人でした。
車の両輪
![]() コメント このことは 言うまでもありません。 車の両輪とは 全くその通りと思います。
スピーチ力との関連
![]() コメント 子ども達の作文と 日頃の改まったときの話し方と ずいぶん相関関係があると ずっと感じてきています。 同じことを説明するにも だらだらと牛のヨダレのように 冗長な話し方をされる方があります。 その一方で 話し方はスッキリと端的。 努力しなくても 内容がスッと入ってくる 説明をされる方があります。 雑談とスピーチとは まさに似て非なり。 作文力も スピーチ力も それを鍛える根元は 読書にあると 私も思っています。
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