読む力が未来を開く
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2020.3.15(日)


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 先日、標題のタイトルの本を図書館の新刊図書コーナーで手に取り、読みました。著者の「脇 明子 さん」は、斐川で講演を聴いたことがあります。

 読み聞かせがなぜ自力読書につながらないか? という、私自身が日頃から疑問に思っていることへのヒントを得た講演会です。

 今回は、この著書から必要な部分を要約引用し、コメントすることにします。

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読む力が未来をひらく - 岩波書店











読書は
生きる力を培う


 一人の人間が体験することは、限られています。物語の中では、主人公がさまざまなトラブルに直面します。読者は、身を置き換えながら同じ体験をし、悩み、考えます。日頃の体験不足を補うことが出来ます。この積み重ねが「生きる力」を培います。

 なお、ただ単にあらすじを追う読み方では、こういう効用はありません。主人公に自分を重ね合わせ、共感したり反発したり、一喜一憂したりしながら読む読み方が大事です。

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コメント
映画の世界
マンガの世界でもそうですが
読書の世界では
さまざまな体験ができます。
さまざまな立場に立つことが出来ます。
さまざまな人になることが出来ます。

まさに
体験不足を補ってくれています。

ただ
脇先生が書いておられるように
あらすじ読みでは
これが生きる力につながりません。

感情移入しながら
脳裏では実にリアルに
体感しながら読むことによって
脳が活発に働きます。
脳内に痕跡を残します。







自己内対話


 読書は、文字を読みながら映像化、イメージ化を促します。「自己内対話」が生まれます。この積み重ねによって、思考力・想像力、記憶力が伸びます。これらの力は生きていく上で重要であり、かつ、役立ちます。ここが映像媒体(アニメ・ゲームなど)と決定的に違うところです。

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コメント
映像文化と文字文化
両者はよく対比されます。

どちらも
貴重なメディアです。
優劣をつけること事態
筋違いです。

それぞれに欠点があり
一方ではまた
良さを有しています。

文字文化は
無機質な文字を読み進めながら
脳裏に映像化していきます。
知的思考を促します。

百聞は一見にしかず
映像文化は
視覚・聴覚に直接的に
刺激を与えてくれます。
日常生活に近い形で
情報が入ります。

その分
脳内では省エネとなっています。







自己認識力を育てる


 自己認識力は、「メタ認知力」とも呼ばれます。自分の行動や心の動きを、客観的、批評的に観察する能力です。10歳頃、急に成長するとされています。

 この自己認識力「メタ認知力」が育つと、自己抑制・自己制御が出来るようになります。幼児期にありがちな短絡的、衝動的行動が減ります。

 これらは生活体験によっても育ちますが、読書習慣のある子とない子では、大きな違いが観られます。ただ単に物語を読むのではなく、主人公に感情移入する読み方が、そのためには大事です。

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コメント
私は体験的に
このことが分かります。

体験的にというのは
教員生活37年間に出会った
さまざまな子ども達とのことです。

例えば
短絡的、衝動的なものの見方
言動をする子は
例外なく
文字文化と縁が薄い子でした。








読み聞かせから
自力読書へ


 「絵本から読み物へ」というハードルがあります。これをクリアーするためには、ただ単に沢山早く読む読み方ではダメです。一つの物語をじっくり味わう体験が大事です。

 次に、「読み聞かせから自力読書へ」というハードルがあります。これをクリアーするためには、「絵を見せない読み聞かせ」の体験が大事です。言葉の羅列にじっと聞き入り、内容理解、感情移入する体験が自力読書へと向かわせます。

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コメント
私はわが子3人に
乳幼児期から
小学校3年生頃まで
ほぼ毎日
絵本の読み聞かせをしてきました。

その延長線上には
自発的に読書をすることを
楽しみに描きながら……。

しかし
読み聞かせの卒業とダブるように
3人ともマンガに移行していきました。
長男がそうだったから
下の2人も
右習えだったのかも知れませんが、……。

落胆したり
疑問に思ったりした頃
脇先生の講演に出会いました。

なるほど
「絵を見せない読み聞かせ」か!

思い当たる節が
いくつか浮かんできました。
その一つが
小学校4年の記憶です。

当時の担任「加藤忍三」先生は
毎日のように
読み聞かせをしてくださっていました。
読み聞かせといっても
絵は見せてくださいません。
ただ
教室に聞こえてくるのは
ひたすら
先生の朗読の声だけです。

じっと意識を集中していないと
話の内容が抜け殻になってしまいます。

マンガ人間だった私が
本も自分で読むようになったのは
確かにこの頃からです。

これから我が子に
読み聞かせをされる方は
ぜひ
朗読だけが頼りの
読み聞かせをされることを
強くお勧めします。


【備考】
その後の我が子ですが
長女は私以上の読書家です。
長男と次男は
今でもマンガ中心ですが
必要に迫られて
実用書はけっこう読んでいます。

嬉しいというか
かろうじての救いは
幼い頃の
父の読み聞かせを
しかと覚えてくれていること。
読んだ絵本も
いくつかは覚えていて
ふと話題になったり
本屋で見かけたなどと
父を喜ばせることもあります。











文字のない社会では?


 日本の歴史を振り返ると、印刷技術が発達した14世紀に、文書の量が激増します。書き言葉と話し言葉の区別がハッキリとします。読めるためには、書き言葉を体得する必要性が生じました。

 1931年、A・R・リアル(ソ連)は、キルギス共和国の奥地に分け入り、「文字を持たない部族(社会)」の様子を観察しました。顕著なこととして、次のようなことを報告しています。

抽象的な思考が苦手。具体物で会話をしあっている。

三段論法が出来ない。判断の根拠にあるのは、自分の体験あるのみ。

自己評価(メタ認知)が出来ない、というより存在しない。

 一方、「文字がある」と記録することが出来ます。思い出すことが出来ます。過去の記録をひもとき、発展・進化が可能となります。自己を見つめることも出来ます。

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コメント
リアル博士の調査・研究は
なかなか興味深いものがあります。

我が家の母は
昭和3年生まれ。
聞くところによると
学ぶべき時に戦争まっただ中。
学校で学べなかったとのこと。

それが原因かどうか
それは不明ですが
読書とは無縁。
新聞もテレビ欄だけ。
完全なテレビっ子
いや
テレビ婆です。

日頃の言動で感じるのが
短絡的な思考です。
相関関係があるのでしょうか?

一方
〔他界した〕祖母と父は
新聞も熱心に読むし
日常的に読書もしていました。
二人とも熟慮タイプ。
多面的思考が出来る人でした。








車の両輪


 読書に関わって、「実体験」が重要なことは、言うまでもありません。豊かな人間関係、生活体験、自然体験などの実体験と、読書とは、人が健全な成長をする上で、車の両輪のような関係にあります。

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コメント
このことは
言うまでもありません。
車の両輪とは
全くその通りと思います。








スピーチ力との関連


 井戸端会議や雑談が出来るからと言って、改まった場でのスピーチが出来るわけではありません。

 どこからどう話すか? 何も知らない相手に、ゼロから説明する力は、読書から培われます。

 よく教室で、「思ったことをそのまま書きなさい。」と指示することがあります。ところが、日頃読書をしていない子にとって、これが難しいんです。順序だった説明が苦手だからです。

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コメント
子ども達の作文と
日頃の改まったときの話し方と
ずいぶん相関関係があると
ずっと感じてきています。

同じことを説明するにも
だらだらと牛のヨダレのように
冗長な話し方をされる方があります。

その一方で
話し方はスッキリと端的。
努力しなくても
内容がスッと入ってくる
説明をされる方があります。

雑談とスピーチとは
まさに似て非なり。
作文力も
スピーチ力も
それを鍛える根元は
読書にあると
私も思っています。



















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