「素読」は、江戸時代の学習法の一つです。いちばん一般的に広く行われていたのは、朝早く師匠の元に集まり、四書(儒教の代表的な経書『大学』『中庸』『論語』『孟子』)を皆で音読するという方法です。意味の解釈をいちいち付け加えることなく、書いてある文字を大きな声でひたすら読み上げるシンプルな方法です。
その効用を老荘思想研究者でベスセラー作家でもある田口佳史氏は、次のように語っておられます。
一つ目は、言葉の響きとリズムを反復・復誦することで得られる効果だ。何度も反復して読むことで、いつも自分が使っている言葉とは次元の違う言葉、あるいは、日常の会話とは全く違うジャンルの言葉、つまり、心の言葉、精神の言葉というべきものを幼い魂に刻印しておくという学習効果がある。江戸時代は3歳から15歳くらいまで何年もかけて行っていた。
二つ目は、声に出して読むこと(音読)の効果である。明治時代に入り目読(黙読)という言葉が使われ始めたが、それまでは音読が普通だった。通常、我々は書物を目で追って黙って読むものだと思い込んでいるが、かつてはそうではなく、“耳”で読むものだった。要するに声に出して読めば、耳が聞くことになる。目だけではなく、耳を使って読むことが書物の読み方だったというわけだ。
「聡明と」いう言葉があるが、「聡」は「よく聞くこと」を意味する。そして「明」は「よく読み、よく見ること」を指す。つまり、聡明な人間を育てるために素読はよい訓練にもなったというわけである。
三つ目は、音読は男女・年齢・学力などを乗り越えて学習を共有出来る。お互い違いを超越した、人間の魂の響きのようなものを毎日感じることができるようになる。
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幕末の頃世界の教育先進国は英国だったそうですが、その英国でさえ文字の読み書きができたのは4割以下だったとされています。ところが、日本では7割の人が普通に読み書きができるとペリーは驚愕しています。
藩校・寺子屋で行われていた、この実にシンプルな学習法(素読)が日本の識字率を高めていたとは! 驚きです。さらには、幕府や各藩の官吏の登用試験では、暗誦能力の高さが合否を決定する大きな要因となったという記録が残っています。
暗誦は、素読の繰り返しの中から生まれたことと思われます。教え子の場合も、音読繰り返しの向こうに「暗誦」があります。あっという間に暗誦する子もいれば、いくら時間をかけてもかけても覚えられない子もいました。
調査はしていませんが、暗誦力の高い子は読解力が高く、暗誦力の低い子は読解力も低調。しかも、両者に相関関係が(明らかに)認められました。