20年前と比べて、小学校で習う勉強は格段に難しくなっています。
例えば、1年生「こくご」では、(以前は半年かけて習っていた)「ひらがな」をたった一ヶ月で習い終えます。漢字の数も倍増しています。
1年生「さんすう」についても、(以前は、8+6=14 でよかったのに)二桁の引き算まで課されます。また、以前は4年生で習っていた「84-36」が、2年生でマスターしないといけません。
この小学校スタート時点で出遅れた子は、そのハンデをずっと背負い込み、中学校の学力にまで影響が及びます。
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「小学校入学までに、自分の名前が読めるようにしておきましょう。」という言葉を鵜呑みにしていると、手痛い目に逢います。30人学級などという大きな集団にいたら、きっとスタートから取り残されます。
小田小で新入生4人の「こくご」を担当した私は、当たり前のように「ひらがなの読み書き」ができる児童に驚き、拍子抜けしました。えんぴつの持ち方(=これがなかなか直らない)と筆順指導で事足りました。
子ども達にとって、国語の教科書は物足りないくらいです。自然発生的に、本文はすべて全文暗唱。その基盤に立っての読解授業ですから、深度も進度も絶好調です。
ですから、教科書以外に暗唱教材(毎時間10分間を充てる)として、詩歌・古典など(教科書外から)どんどん導入しました。百人一首など、3時間目には8首を楽々マスターしてしまいます。恐ろしきかな児童期!
ひらがなから、こつこつと教えていたら、とてもこんな芸当はできません。授業にゆとりがあるということは、能力開発に大きな成果が期待出来ます。
この子達が、いつ、どんな育ちを経て、入学前に「ひらがな」をマスターしたのかは不明です。が、少なくとも文字のマスターはもっと早い時期でもいいのではないか? と思わされた出来事でした。(わが子3人の場合は、読み聞かせの流れで読みはマスターして入学。)
実際、江戸時代の寺子屋では、4歳半頃から文字や計算を学習していたこと、また、何の苦もなくマスターしていたことが、この本「幼児期に学力の土台を」(P39)に紹介してあります。
併せて『和俗童子訓』(貝原益軒)の本文も、紹介((P35-39)してあります。
しかるに、凡俗の知なき人は、小児を早く教ゆれば、気くじけて悪しく、只、其心にまかせてをくべし、後に知恵出くれば、ひとりよくなるといふ。是必ず、おろかなる人のいふ事なり。此言大なる妨たり。
古人は、小児の初めてよく食し、ものいふ時より、早く教ゆ。おそく教ゆれば、悪しき事を久しく見聞きて、先入の言、心の内に早く主となりては、後に善き事を教ゆれども、移らず。
故に、早く教ゆれば人やすし。つねに善き事を見せしめ、聞かしめて、善事に染み習はしむべし。をのづから善にすすみやすし。
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問題ない子育ての教えは、早めにすることです。
ですが、凡俗で知識の無い人は、こどもを早く教えると、くじけてしまったりして悪くなるので、成長に任せてあとで知恵が出てくればひとりでによくなると言ったりします。
これは、愚かと言うしか無い間違いですよ。
こういうことを言ってはものすごい妨げになります。
昔の人は、子供が初めて食べたリ、ものを言ったりするときからして、早く教えます。
教えることが遅くなれば、悪いことをたくさん見聞きして、先に入ってきた言葉が、心の中で重要な部分を占めてしまい、あとからいいことを教えても、そっちへ行きません。
そんなわけで、早めに教えた方がいいのです。つねにいいことを見せて聞かせて、良いことに慣れるようにしましょう。
自然とよい行いをするようになります。