海を空から見たかった魚
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2019.10.13(日)


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当たり前に感謝する


 「病気が治った人の共通点は、病気になってよかったと思えた人。」「生きる目的は、人に喜ばれる存在になること。」「子どもは親の言っていることではなく、していることを観ている。」など、「え?」「なるほど」という示唆を与えてもらった本が、ここにあります。

 書名は、『100%幸せな1%の人々』 (小林 正観;中経の文庫)。ふと気が付けば、さらさらとあっけなく過ぎ去っていく今日この頃です。ふと足を止めて、自分を見つめる時間を持ちました。以下は、読み進めていく中で、特に心にとまった内容です。
(本文引用は、青色文字にしました。)

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海を空から見たかった魚の悲劇


 日頃から「海を上から眺め回してみたい」と願う魚が、釣り人に釣り上げられました。念願が叶ったのです。が、その替わりに呼吸が出来なくなって、七転八倒の苦しみを味わいました。

 こんな逸話が紹介されていました。「あれが足らない」「これがほしい」、……今、手元にある「当たり前のこと」(=幸せ)に気づき、感謝することの重要性を説くくだりです。

 
「私に幸せをください」と念ずると、神様は「病気」「災難」「トラブル」などプレゼントしてくださる。 ……とも書いてありました。「今ある幸せ」に気づかせるための計らいというわけです。病気になって、やっと健康であることの幸せに気づく。それでは、いつまで経っても幸せはやってこない。そういう教えです。

 確かに病気に限らず、指先の怪我一つとっても、本が読めること一つとっても、身の回りの一つ一つ、当たり前のことが次々浮かんできます。「ありがたいこと」が、いかに多いかに驚かされます。

 
幸せとは「よいこと、楽しいことが起こること」ではないとのこと。幸せとは「面倒なこと、大変なことが起こらないこと」だそうです。 ……身の回りにいっぱいある幸せ、その喜びに改めて感謝することに気づかせてくれた逸話でした。

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事態を受け入れる


 車で事故にあったことと、それをつらく思うこととは別物。夫が脳腫瘍だと判明したことと、つらい気持ちを癒してほしいのとは別物。

 日々の生活の中で訪れる、さまざまな出来事。その一つ一つを「受け入れる」と、つらいとか悲しいとか思わなくなる、幸せにつながる
、と小林氏は教えています。

 しかし、実際にいわゆる「不幸」と思われる出来事が我が身に降りかかったとき、その全てを「受け入れる」というのは、なかなかハードルが高いと、私には思えます。 ……ということは、私には幸せになる土壌がないのか?

  

 「過去と他人は変えられない」とは、確か関根正明という大学の先生の言葉です。終わったことは、いくら泣き叫んでもわめいても恨んでも宙返りしても、絶対変わりません。

 いや、「変わる」と言った人もいます。名前は忘れました。過去の苦い経験をこれからに生かせば、苦い経験が「貴重な経験」に変わるからだそうです。(ちょっと「視点」が違うか?)

 なんだか、この考え方につながるような気がします。身の回りには、日々いろんなことが起こります。自分にとって不愉快なこと、不幸と思われることも起こります。その一つ一つ、「丸ごと受け入れる」という精神を意識して、これから生活していこうと考えさせられました。

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「そうなるといいな……」


 「少年よ、大志を抱け!」とは、クーベルタンの言葉です。

 それに対して、小林氏は
「そうなりたい」と思うな。それは執着だ。執着ある限り、心は安らかにならない。幸せはやってこない、とも言っておられます。何でも、「執着からほどける」から「ほどけ」(=仏)という言葉が生まれたとか、……。

 では、どう考えればいいのか? 「そうなるといいな」だそうです。

 囚われない心、……。ふと思い浮かぶのが、バレー部顧問の時代です。「勝つこと」(執着)を常に目指して、日々の練習が必死でした。それだけに優勝したときの感激は、それはまさに幸せど真ん中。が、振り返ればそれは、人生の中では単なる一場面。永続的な「幸せ」ではありません。

 「優勝するぞ!」ではなく、「優勝したいな」という思いを抱いて部活動に当たっていたら、なるほどずいぶん違った世界が開けるような気がしてきました。 ……ただし、その場合は「拘り」「囚われ」を捨てよということでもあります。

 何事につけて「拘り」「囚われ」ではない日々、「そうなりたいな」というほんわかした気持ちで暮らしていけたらいいな、と考えさせられました。

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気にならない


 一人が知的障害(姉)の双子のエピソードが紹介されていました。

 妹がおもちゃを取ると普通はケンカになります。が、この姉はいつもにこにこしていて、持っているおもちゃを取られると、また別のおもちゃで遊び始めます。また取られても、いつも同じです。そのうち、妹は姉の持っているおもちゃで一緒に遊び始めたのです。

 
競わない、争わない、比べない。これが小林氏の勧める生き方です。 ……しかしながら、人間は(特に子どもは)競い合い、切磋琢磨し合って成長する一面があります。学校社会は、少なくともそういう環境にあります。ですから、この言葉(考え方)は、退職したような私に当てはめて考えたいと思います。

 人とぶつかり合ったとき、解決法がいろいろと示してありました。
@ 戦う
A 逃げる
B 我慢する
C 気にしない
D 気にならない


 この中で、一番目指すべき姿はDです。しかし、場と時によりますが、……私の場合は、せいぜいBCでうろうろが精いっぱいか?

 「老成円熟」という言葉があります。当面は、せいぜいBCでうろうろすると思いますが、Dの境地に達したいと思います。 ……「そうなりたい」と思います。

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神様が喜ぶベスト3


 掃除、笑い、感謝だそうです。

 これまでの教員生活を通して、誰からも好かれ信頼される生徒は、「掃除」と「挨拶」がキーワードだと、私は体験から学びました。

 掃除は、作業や仕事にも通じます。陰ひなたなく、こつこつとひたむきに働く姿は地味ですが、気高いと思います。学校勤務時代、清掃活動の時間になると黙々と働く子どもが、いつでもどこでもいました。その逆の子もいました。

 笑顔、……人間の特権です。犬を飼っています。むろん動物ですから笑いません。でも、犬の場合は態度でだいたい分かります。おおむねいつも笑顔で暮らしています。この愛犬ラブラドールに、いつも心が救われます。

 「笑う門には福来たる」とは、よく言ったものです。笑顔の多い人、笑顔のすてきな人は好かれます。

 最後の「感謝」ですが、「ありがとう」という言葉は、室町時代から使われているそうです。もともと「有り難し」という言葉は、神のみに対して使われていたのだそうです。

 
コップ半分の水を見て、不満「少ない」と思うのか、満足(感謝)「半分もある」と思うのか、……。ちょっとした違いのようで、大違い。

 本当かどうか眉唾ですが、
5万回「ありがとう」と言ったら、ガンが治った実話があるそうです。「ありがとう」は魔法の言葉です。私は今日一日で、いったい何回「ありがとう」を言ったのかな?

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恥知らず


 上司は社員に対して忍耐強く、寛容であるべき。それでもって、他の社員より高い給与を得ている。威張る、怒鳴る、怒る上司は最悪。人の悪口を言う上司は、自分の狭い心を暴露しているだけの話。いちいちイライラしない。上司なら、許容範囲を広げなさい。

 こんな忠告が並んでいました。日頃まわりの人との関わりの中で、心得ておくべきと思います。さらに、「イライラ」について、次のような「なるほど」という視点を示唆しておられます。

 
どんな出来事に遭遇しても、怒らない、イライラしない、腹を立てない、攻めない、怒鳴らない。自分がイライラするから、イライラさせる人(相手)が生まれる。だいたいに「自己完結」するもの。自分の「生き方」に見合った結果、状況が返ってくる。

 全くそう思います。イライラすることがない自分になれたら、どんなに心が平安かと思います。イライラは冷や汗などと一緒で、自分の意志とは関係なく、自然にそういう感情がわき起こってきます。修行ですかね、……。何か「コツ」のようなものはありませんかね?

 まだまだ発展途上の自分を自覚しながら、これらの示唆を読み進めていました。

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余命3ヶ月


 つらい、苦しい、悔しい、悲しい、……これらの言葉を幾たびとなく繰り返していると、体が言葉に反応して、ガン細胞が活性化する。

 ガンで余命3ヶ月と宣告されたとき、延命する努力は止めなさい。目の前の「人」「こと」「もの」に感謝し、残された日をどう生きるか考えなさい。

 死ぬことは不幸ではありません。シナリオ通り、寿命が来たということです。

 怪我をしたときであっても、出来ないことを嘆くより、今できることを感謝する人になりなさい。


 いやはや、特にガン宣告については、反論の余地はありません。全く同感です。私もそうしようと以前から考えています。延命治療ではなく、緩和ケア(ガンの痛みを和らげる)を望みます。

 ところで退職時、「ガン保険」に加入し直しました。そのとき、「最先端医療」特約に入ったのは誰ですか? あ、私です。ガンの種類、進行度、治癒率など考えて、案外、……ということも考慮しただけです。

 でも、毎月無駄なお金(保険金:約1万円)を納めているなと考え直し、5年後には「ガン保険」「疾病傷害保険」ともに解約しました。なったときが寿命です。観念することにしました。

 余命3ヶ月と宣告されたら、私は残された日々をどう過ごすのかな? ふと本から目を離して思いにふけりました。そのときに浮かんできたキーワードは、「感謝」です。

 もうジタバタしません。お世話になった方々へ、お礼の葉書を書きまくります。それは、他界した後、家族に投函してもらいます。年賀状を交換している方々(約350人)にも、ちゃんとその旨を伝えないといけません。これも勿論、死後の投函です。

 並行して行うべきは、部屋の片づけです。徹底的に捨てまくります。軽トラックを借りて、焼却施設へ往復です。他人に部屋を貸してもいいぐらい美しくして、心おきなく命を終えたいものです。だから、動ける体のまま3ヶ月を過ごしたいものです。無理なら、せめて1ヶ月。

 一番気になるのは、老母のこと。介護認定5級の身体です。これは家族に託すしかありません。預貯金があります。これをきちんとしてからでないと、残された家族が困ります。

 なんだか悲しい話になりました。でも、書きながら(考えながら)、意外と私は深刻ではありません。覚悟が出来ているからかな? そんな「死」などということは当分あり得ないと思っているのかな?

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子は鑑


 母親の役目は、子どもを「肯定」すること。「そのままの貴方でいいよ」と温かい目で支えるのが、親のスタンス。そういう親の元で、子どもは個性を伸ばしていく。母親はいつも、子どもの大ファン。よその子と比べてはいけません。

 親が腹を立てたり、怒鳴ったり、声を荒げたり、イライラしたりすると、やがて我が子は他人に対して、そういう態度を取る人間になる。

 親が子どもから好かれていると、子どもは「親の思いの方向」へ成長していく。逆に、親が子どもから嫌われていると、子どもは「親が嫌う(してほしくない)言動・態度」を取るようになっていく。

 子どもは、親から褒められたくて生きている。親から認められて、やる気を引き出す。


 これまでも、読書や講演会で幾度となく見聞した考え方です。37年間の教員生活を通して、さまざまなタイプの子どもと接してきました。また、「この親にしてこの子あり」「子を見れば親が分かる」という事実を、幾度となく観てきました。

 ところで、我が子3人はどうなのかな、……?

 人の子を教育するのは、わりと冷静に客観的に観ることが出来るし、これまでの豊富な? 体験があります。が、我が子を育てることは難しいと、振り返っています。

 人並みに愛情は注いできたと自認はしています。が、もう一度、赤ちゃんから育てることが出来たら、もっともっともっともっと愛情をたっぷり注いでやりたいと、やっぱり少し反省の気持ちがあります。 ……今からでも、十分遅くはないか?

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すべてが有難い


 この他にも、手元の読書ノートに記録したキーワードが沢山あります。いくつかを列挙して、終わりにします。

 好かれる親になるためには、自分の感情をコントロールできる「大人」になること。

 「自我+おまかせ=100%」。努力したのに報われないのではなく、努力したから報われない。

 守護霊はあなたが好きでしょうがない。全ての現象、出来事は、あなたが好きだからこそ起こしている。

 「謙虚」「誠実」「素直」な生き方を心がけなさい。そこから先は、「神の領域」なのです。

 「努力」ではどうにもならないことがあります。悟りとは、努力しない、頑張らない、必死にならない。

 競争したり、他人をけ落としたりして一番になる人生は止めなさい。「喜ばれる存在」になることを人生の目標にしなさい。

 今まで起こってきた出来事、すべてが「ありがたい」と受け入れられるとき、幸せがやってくる。

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