自己肯定感を育む
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2019.8.11(日)


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2019.07.28 キレる子の生育歴
の続編として
[心療内科医]明橋大二 先生の
子育てに関する心得について書かれた著書
「リセットできない子育て」
を取り上げます。





要約抜粋
子育てで一番大切なこと

 子育てで一番大切なことは何でしょう。躾も大事、勉強も大事、しかしいちばん大事なことは、子どもの心に「自己肯定感」をはぐくむことです。

 自己肯定感とは、「自己評価」「自尊感情」ともいい、「自分は大切な人間だ」、「存在価値があり、世の中や他の人にとって必要な人間だ」と思えることです。自己肯定感を持つ子どもは「プラス思考」で、人生に対して意欲的に取り組んでいきます。

 逆に自己肯定感の低い子どもは、常に自分を卑下しながら不安にとらわれ、のびのびと生きることができません。皆がそうだとは言いませんが、重大犯罪を起こすのも、自己肯定感が極端に低い子どもに多いのです。

 ところが、今の日本の子ども達は外国の子ども達に比べ、心の土台である自己肯定感が突出して低いことが、さまざまな調査で明らかになっています。

 例えば、日本少年研究所が行った「高校生の未来意識に関する調査」(2002年)によると、「自分はダメな人間だと思うことがある」という問いに、「よく当てはまる」「まあまあ当てはまる」と答えた子どもの割合は、米国で48%、中国が37%に対して、日本は73%です。

 もちろん、外国と日本とでは文化の違いもあるでしょう。しかしそれにしても、日本の子ども達の自己肯定感の低さは突出しています。日本の子どもが外国に比べてダメで、能力がないとは思えません。では、どうしてこういう結果になるのでしょう。

 それは、日本の社会が子どもに対して、「どうして、このくらいのことができないの!」「弱い」「わがまま」「ジコチュー(自己中心的)」と、否定的な言葉を繰り返し浴びせ続けてきた結果だと思うのです。

 ですから私は、日本の子育ては「もっとおおらかであってよい」し、「子どもをもっともっと褒めてやっていい」のではないか、と思わずにはおれないのです。

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 「自己肯定感」「自己存在感」「自尊感情」……。これらは、人がやる気を出して、前向きに生きていけるカンフル剤です。少々の苦しさは乗り越えていけるエネルギー源です。

 これまで関わってきた生徒を振り返りみるに、これらのレベルが低い生徒は心に欲求不満をためており、大なり小なり問題行動を起こす生徒です。何事にも、投げやりなのです。

 前回紹介したのA君の場合も、教師に暴言を吐き、傍若無人な振る舞いが特にひどかった時期、その時の口癖は、「どうせ、俺たち人間のくずだけぇー」、「せんこーらも、俺らがおらん方がいい思うとるんだろう……」、「オレなんか、どがあなってもいいんだけぇ−」などと、自暴自棄の言葉を口癖のように吐き出し続けていました。
 
 「でも、おまえもいいところがあるじゃないか」と言うと、「あるわけねぇーだろー」、「どーせ、心の中じゃナイ思うとるくせに、……」と、全くとりつく島がないのです。

 こういう生徒は、これまでの生活の中で認められたり、褒められたり、励まされたりという体験が希薄に違いありません。学校でもそういう傾向にあるのですが、率直に言うと自業自得という面もあります。

 自暴自棄の傾向にある子どもは、あいさつ・そうじ・授業態度・宿題・友達との関わり・規則の遵守など、生活全般にわたって乱れる傾向にあります。ですから、自然とまわりからかけられる言葉は、注意・叱責が多くなります。すると、ますます自己評価が低くなり、「存在感」「自尊感情」レベルが低下していきます。 ……止めどもなく、「マイナスのらせん階段」を下りていくことになります。

 では生まれつきそうなのかというと、(むろん誕生時にすでに個人差はあるにせよ)やはり親子関係だと、私は考えています。人間関係の出だしこそ、その後の長い長い人生の基盤を形成していることは疑いありません。

 とりわけいちばん愛してほしい、認めてほしい、褒めてほしい父や母から、冷たい仕打ちを受けたり、叱りとばされ続けたりしたら、誰だって成長すべき「人として大事な部分」が未発達になります。

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 カール・ロジャース(アメリカの心理学者)は、「共感的な姿勢」を持って子どもに接すべきと、次のように提唱しています。


人は誰でも、まわりの人から

@ 関心を持たれている
A 大切にされている
B 認められている
C 理解されている
D 愛されている

と感じるたとき、自らの内にある「自己成長力」を発揮し、主体的意欲的に物事に立ち向かっていく。

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 更に次のように心得を述べています。


@ 「子どもの人格を最大限に尊重した指導」を心がけ、積極的な関心を示すとともに、子どもの言動を肯定的に見ること。

A 自分の心を開き、率直な態度で接すること。

B 子どもは、話の中身もだが、それよりも「その人の心の声」(生き方・生き様・人となり)を聞いている。

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生徒指導は生徒理解に始まり
生徒理解に終わる


 「生徒指導は生徒理解に始まり、生徒理解に終わる」と言われています。また、「人は他人から理解され、分かってもらえたと思ったとき、心理的変容と人格的変容がある」(カール・ロジャース)という真実もあります。

 人は、まわりの人から認められ、期待され、褒められ、励まされたら、誰だって喜びを感じるものです。生活に張り合いが出てくるものです。生きがいを感じ、やる気が出てくるものです。大人だってそうですから、子どもはなおさらです。

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「せんせい」は一つの大きな権威


 子ども達にとって、「せんせい」は一つの大きな権威です。そういう存在の人から、自分はどう思われているか、どう関わってもらっているか? これは、子ども達にとって大きな関心事です。

 先生に心の底から信頼を寄せている子は、その懐のもとで存分に力を発揮し、ぐんぐん伸びていきます。逆に、「先生は、僕のことを本当に思ってくれているのだろうか?」と、不信感を抱いた子どもは、その先生の下では、よさを発揮することも成長することもない。そう言っても過言ではありません。

 かと言って、別に子どもに迎合したり、おもねたり、おだてたりする必要はありません。それに、そういう魂胆があれば、子どもはちゃんと見破っています。

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よさを探そうと心がける人


 そこで、われわれ「専門職」と言われている教師は、その重要な素養として、「まわりの人の“よさ”に敏感に気づく特技の持ち主である」ことが求められていると思います。

 少なくとも、温かいまなざしで他人の言動を観、よさを探そうと心がける人であること。愚痴を言わず、ひたすらプラス志向で、明るく考え前向きに進んでいこうとする人であること。そういう人間的な姿勢が求められていると思います。

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思い・願いが伝わっているか?


 これまで、私の教員生活の中で「指導が困難な生徒」(=人の注意を聞こうとしない、ルールが守れない、すぐカッとする、悪態をつく、自分勝手な行動をする、などの生徒)が何人かいました。

 そういう生徒を担任したとき、例外なく4月当初は、まず私の言葉を聞く耳がありません。注意しても無視するか、暴言や捨てぜりふを吐くか、……。とにかく、日本語が全く通じないのです。

 それはなぜか? 彼らとの人間関係、信頼関係が出来ていないからです。「偉そうに、……!」、「おまえの言うことなんか聞く義務はない」、「勝手にしゃべってろ!」、……。

 と言うことで、「日本語が通じる」(=思い・願いが相手に伝わる)ために、何はさておき、人間関係づくりのスタートです。まずは、相手(児童・生徒)を自分の懐に入れないことには、何事も始まりません。ところが、これがなかなか難産です。紆余曲折、山あり谷あり、……。

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信頼関係を高めていくための心構え


 そこで、子どもとの信頼関係を高めていくための心構え、心がけ(生徒理解のポイント)をいくつか挙げてみます。


 「君」「そこの人」ではなく、一人一人がかけがえのない存在として受け止める。

 先入観を持って子どもを見ない。

 注意は、状況や訳を確認し、相手の立場・心情を尊重しながら行う。

 子どもの思いや意見に、しっかり耳を傾ける。

 形(=言動など)より、中身(=心情や思い)を大事にした指導を心がける。

 その場の「正誤」で切り捨てるのでなく、その子の思いや考えを尊重する。

 子どもと共に学び、子どもと共に育つ「共育観」を持って指導にあたる。

 今ある姿から出発し、加点法的な見方で関わっていく。

 子どもを温かい気持ちにさせる言動を心がける。

 その子の努力や成長、うれしい出来事などを周りに広めるよう心がける。

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成長し続ける教師


 教師との温かい人間関係の中でこそ、子どもの心は安定し、生き生きと自己を表現し、前進へのエネルギーとなります。その思いは全員にひびきあい、受容と共感の集団へと成長していきます。

 この真実を、われわれ教師は心に留め、子ども達に接していきたいものです。そして、日々子ども達から学び、成長し続ける教師でありたいものです。

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