五輪連覇
羽生弓弦 選手

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授業対象=中学校3年生
実施=2018.2.26


2018.2.22


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全体像


教材


@ 平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子フリースケーティング(FS)が2月17日に行われ、前日のショートプログラム(SP)で首位に立った羽生選手が、合計317.85点をマーク。男子シングルでは、実に66年ぶりとなる五輪連覇(2回連続優勝)を達成しました。

A 不安視されたスタミナは切れませんでした。右足首への負担が大きい最後の3回転ルッツは、前のめりになりながら転倒を逃れました。さらにはスピンやステップ、気品の漂う身のこなし。すべての演技が、故障明けの「ぶっつけ本番」でオリンピックに臨んだ選手とは、とても思えない出来栄えでした。羽生選手のジャンプは空中姿勢の美しさだけでなく、踏み切りの質の高さ、着氷後に次の演技につなぐ流れの作り方が高く評価され、出来栄え点で高得点を取りました。

B 去年11月、着氷時に転倒して「右足関節外側靱帯損傷」の大けがをしてから年明けまで、羽生選手は約2か月間もスケートで滑ることが出来ませんでした。スケート選手は、3日間氷に乗らなかっただけでも感覚が狂うものです。ところが羽生選手は久々に試合の緊張感の中で滑ったにもかかわらず、故障前と変わらないレベルの演技を披露しました。しかも4回転ジャンプは韓国に入ってから初めて跳んだ上、痛み止めを打たないと滑れないほどの体調の中での出場だったことが、大会後に分かりました。こういうひたむきな姿が、日本のみならず大勢の人の胸を強く打ちました。

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合計20分〜23分扱い

  図式化(個人学習)8分 

  ⇒4人グループ(相互プレゼン;40秒×3セット) 

  ⇒全体代表プレゼン(計4人;4分)

  =合計時間 20分+アルファ




この日の授業では
次のような3層構造で行いました。

 1)上の教材を含む4教材を使用。4人グループで相互プレゼン。




 2)聞き取りメモ
  =「学校給食を廃止しよう」の話(指導者がスピーチ)をメモ書き(図式)しながら聞く。
  =その後、この論旨に反論する図式を書き2人組になって相互にレゼンしあう。⇒代表者プレゼン

@ 1954年(昭和29年)、「学校給食法」が制定されました。これを受けて、1967年(昭和42年)4月、旧赤来町でも「学校給食」完全実施が実現しました。

A それまで旧赤来町では、しばらくの間「(粉)ミルク給食」、冬季の「みそ汁給食」(保護者が交代でボランティア調理)が行われていました。現在の学校給食においては、給食費として徴収しているのは、食材費(料理の材料費)のみです。施設設備費・人件費・燃料費などは、町費(税金)で賄われています。したがって、一食あたり中学校は302円を保護者負担としていますが、実際には一食 600円〜700円の食事を食べているのです。
 
B ところで、昭和50年代後半、他の市町村が学校給食を始める中にあって、北海道陸別町では1984年(昭和59年)、引き続き「弁当を継続する」ことに決めました。当時の陸別町教育長は、学校給食を行わない理由について「貧困児童への栄養補給(貧しい家庭の児童への栄養を補う)という給食の役割は終えた。親が愛情を込めて作った弁当を食べることで、親子の会話と絆も生まれる。家庭で食を考えるきっかけにしたい。」と説明しました。

C 財政難に苦しむ飯南町にあって、学校給食への負担も少なくありません。また、給食から弁当にすると、昼休みが 25分間から 40分間へと長くなります。先生方の給食指導の負担もなくなります。この際、学校給食を廃止し、弁当持参にしてはどうでしょうか。

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