@ 2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。被災地では、ありとあらゆるものが地震で壊れ、津波で流されました。このとき井の一番に必要となったのが、被災者を救う救護物資と救援物資です。地上の交通網が寸断される中で期待されたのは、物資を空から届ける方法だでした。その空の道を切り開くのに、大きな力を貸してくれたのがアメリカ軍です。仙台空港を復旧させるプロジェクトに「トモダチ作戦」として加わり、わずか1カ月のうちに、民間航空機の離着陸が可能になったのです。
A しかし、東日本大震災で「トモダチ作戦」から5年半たった今、当時の乗組員たちは健康被害を訴えて訴訟を続けています。乗組員だったシモンズさんは帰国後に体調が悪化し、様々な症状に苦しんでいます。「帰国後、車を運転中に突然気を失いました。高熱が続き、リンパ節がはれ、歩けなくなりました。髪の毛が抜け、体重も十数キロ激減しました。」
B 訴えている乗組員は、次のようにも語っています。「空母では当初、海水蒸留装置の水を飲んだり、その水で調理した食事を食べたりしました。現場海域に着いてから3日後、艦長が『水を飲まないように』と命じました。ところが、すでにシャワーを浴びたり、水を飲んだりしたあとでした。その後も、甲板の洗浄には汚染された海水を使っていました。」。