神風特別攻撃隊
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2015.12.10


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中級編


@ 70年前の1944年10月25日、生きて戻ることを許さない「神風特別攻撃隊」(特攻)がフィリピン沖海戦で米海軍艦艇に初めて突入した日です。終戦までの特攻による戦死者は、約4千人。この体当たり攻撃の効果を、大本営は「9機に1機の命中率」と試算。「大型艦に対しては致命的な打撃を発揮できない」との予測も下していました。実際、特攻作戦が始まったフィリピン沖海戦時は、約27%の命中率でした。が、以後は大幅に低下していきました。

A その理由は、搭乗員の操縦技術の低下、航空機材の品質低下、米海軍の対策向上などが影響しています。ゼロ戦をはじめ日本機の弱点は、防弾性能(弾丸を防ぐ能力)の低さです。終戦の年(1945年)3月時点で搭乗員2,661人のうち、熟練操縦士の多くは戦死。もっとも操縦技術が未熟な「技量D」(実戦は無理)の搭乗員は40%にも上っていました。

B 最高速500Kmを超えるゼロ戦であっても、特攻用に爆弾を付けて飛べば時速200Kmまで落ちます。米軍艦艇の警戒レーダーに探知され、米軍機の統制された攻撃を受け、未熟な搭乗員と劣悪な戦闘機は、次々と打ち落とされていきました。一方、航空機による特攻で撃沈された連合軍の空母・戦艦はゼロ。多くは駆逐艦以下の小型艦艇でしかありませんでした。

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  図式化(個人学習)8分 

  ⇒4人グループ(相互プレゼン;40秒×3セット) 

  ⇒全体代表プレゼン(計4人;4分)

  =合計時間 20分+アルファ

授業対象=中学校1年生