大内氏(山口)を迎えて
赤穴城の戦い


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2015.10.8


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教材
中級編


@ 戦国時代のまっただ中、1542年6月始めのことです。山口の大内義隆は、総勢4万人の兵を率いて赤穴城(別名;瀬戸山城・衣掛城)を攻めました。城主 赤穴光清は、尼子氏から送られた援軍約千名を合わせ、約4千の兵力で城を固め大内軍を迎えました。

A 2ヶ月近く過ぎた7月27日、ついに大内軍は赤穴城に向かって一斉攻撃を仕掛けました。午前5時半、大内の軍勢が猛攻撃をかけると、城からは石や弓矢などで反撃が始まりました。しかし、昼過ぎになっても城が落ちる気配はなく、大内側は死傷者が千名にものぼりました。 ※ 死傷者 =死んだりケガをした兵士

B 夕方になって日が暮れると、大内側もいったん後方まで引き上げて休憩することにしました。ところが意外にも、その日の夜、城方から降参してきたのです。戦いの最中、大内側が放った矢が、城主の赤穴光清の喉元を射たのです。城へ逃げ帰ったものの、息絶えてしまいました。城主が死んでは戦えません。降参を告げたその夜中、残った兵は裏道を通り、月山「富田城」(今の安来市)めざして落ち延びていきました。

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 ※ 援軍 =戦を助ける兵隊