靖国神社
軍国主義の象徴


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2014.11.20(木)


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山陰中央新報
2014.8.13




全体像













違和感


 布施敏英 氏(元教員;69歳)の父は、敏英が誕生する一日前の1945年3月、中国で病戦死した。21歳の若さだった。御霊は靖国神社に合祀されている。母にとっては靖国神社は、だから特別な場所。参拝は当たり前だ。

 しかし、敏英 氏にとっては父の魂は古里にある。靖国神社ではない。靖国神社には「遊就館」という展示施設がある。英霊を讃える内容とともに、特攻兵器の展示、「お国のために……」という内容の上映が行われている。鎮魂の場としては違和感を感じる。

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コメント
靖国神社には
いわゆる「戦犯」も祭られています。
軍国主義の象徴のような神社です。
中国・韓国は
このことが断じて許せないのです。

戦争に借り出された日本国民にとっても
戦渦に巻き込まれて
尊い命を失った国民自身も
違和感を感じざるを得ません。








軍国主義の象徴


 靖国神社の前身は、1969年に建立された「東京招魂社」である。戊辰戦争で死亡した官兵の慰霊のために建てられ、10年後に「靖国神社」と改称された。そのときから日清戦争など、対外戦争で死亡した軍人を祭る神社となった。戦死した軍人を神(英霊)として祭ることにより、志気を高める役割を演じた。同時に、戦争を遂行する精神的支えとした。まさに、靖国神社は軍国主義の象徴と言える

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コメント
当初は
国のために殉じた軍人の
御霊を祭る神社でした。

日本の国のために命を落とした
実に多くの日本国民。
自ら望んで
命を落としたわけではありません。
上官の命令です。
本人はもとより
家族にとっては
悲痛な悲しみの出来事です。

むろん
相手国民も
一人一人
かけがえのない命を
戦争で失っています。

英霊
考えようによっては
そうなのかも知れませんが
違和感を感じざるを得ません。









管轄は一宗教法人


 靖国神社は、戦前は陸軍・海軍の管理下にあった。戦後は、一宗教法人の管轄となっている。これに対して遺族会は、「護国神社」とするよう、強く要求している。

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コメント
遺族会の心情も理解できます。
国を思うために殉じた命ですから。

しかし
靖国神社が
軍国主義の象徴として
奉られてきた過去を思うと
やはり
国の管轄とするのは
やりきれない思いがあります。

ひとりひとり
古里の地で
手厚く祭ってあげるべきではないかと
個人的に思います。









公式参拝


 1985年、時の総理大臣、中曽根康弘首相が靖国神社を公式参拝した。このときから、靖国神社と国家との関連について、大きな議論を呼ぶようになった。以後、小泉純一郎 首相は在任中に6回、靖国神社に参拝している。安倍晋三 首相は去年12月、公式参拝している。

 靖国神社は軍国主義の象徴と言える。ここを首相として公式参拝することは、許されていいのか? 政教分離原則を否定することになりはしないのか?

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コメント
こういう過去のある靖国神社です。
首相の公式参拝は
中国・韓国の心情を
逆なでするような行為です。

おそらくは
支援団体のこと
自身の歴史認識によって
参拝するんでしょうが
国家国民全体の
幸福や利益を優先するのが
立派な政治家ではないでしょうか?







教材
上級編


@ 布施敏英 氏(元教員;69歳)の父は、敏英が誕生する一日前の1945年3月、中国で病戦死した。21歳の若さだった。御霊は靖国神社に合祀されている。母にとっては靖国神社は、だから特別な場所。母にとって参拝は、当たり前だ。

A しかし、敏英 氏にとっては父の魂は古里にある。靖国神社ではない。靖国神社には「遊就館」という展示施設がある。英霊を讃える内容とともに、特攻兵器の展示、「お国のために……」という内容の上映が行われている。鎮魂の場としては違和感を感じる。

B 靖国神社の前身は、1969年に建立された「東京招魂社」である。戊辰戦争で死亡した官兵の慰霊のために建てられ、10年後に「靖国神社」と改称された。そのときから日清戦争など、対外戦争で死亡した軍人を祭る神社となった。戦死した軍人を神(英霊)として祭ることにより、志気を高める役割を演じた。同時に、戦争を遂行する精神的支えとした。まさに、靖国神社は軍国主義の象徴と言える

C 靖国神社は、戦前は陸軍・海軍の管理下にあった。戦後は、一宗教法人の管轄となっている。これに対して遺族会は、「護国神社」とするよう、強く要求している。こういう中にあって1985年、時の総理大臣、中曽根康弘首相が靖国神社を公式参拝した。このときから、靖国神社と国家との関連について、大きな議論を呼ぶようになった。以後、小泉純一郎 首相は在任中に6回、靖国神社に参拝している。安倍晋三 首相は去年12月、公式参拝している。しかるに、靖国神社は軍国主義の象徴と言える。ここを首相として公式参拝することは、許されていいのか? 政教分離原則を否定することになりはしないのか? 終戦記念日を機に、考え直したい。

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コメント
この靖国神社の問題は
思想・心情に関わる
微妙な問題です。
このコラムは
靖国神社への首相参拝について
批判的な立場に立っています。

よって
賛成の立場の意見を
並び提示しないと
教室には持ち出せません。






 小泉純一郎首相
8月15日の終戦記念日に
東京・九段の靖国神社に参拝する意向を表明した問題は
国内外で様々な議論を呼びました。

この件に関して
中国・韓国は
我が国に対して共に参拝中止を要請。

ベトナム・ハノイで開催された
アセアン地域フォーラム(ARF)の日中外相会談では
唐カセン・中国外相
田中真紀子外相と日本語で会談。

記者団に対しても「(参拝を)やめなさい、と言明した」と
強い調子で不快感を伝えました

一方
国内でも
当初は私的参拝を容認しているとされた
連立与党の公明党
私的であっても参拝を取り止めるよう主張。

また
小泉内閣の中でも
田中外相は「参拝しないで頂きたい」と
参拝反対の意向を表明しました。

こうした動きに対して小泉首相は
連立与党党首との会談で
「虚心坦懐に」意見を聴取する意向を示し
結局8月13日午後参拝しました。

参拝にあたり発表された談話は
下の通りです。





小泉純一郎首相
談 話


 わが国は明後8月15日に、56回目の終戦記念日を迎えます。21世紀の初頭にあって先の大戦を回顧するとき、私は、粛然たる思いがこみ上げるのを抑えることができません。この大戦で、日本は、わが国民を含め世界の多くの人々に対して、大きな惨禍をもたらしました。

 とりわけ、アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。それはいまだに、この地の多くの人々の間に、癒しがたい傷痕となって残っています。

 私はここに、こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。

 私は、二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考えています。私は、あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることに改めて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました。私は、このような私の信念を十分説明すれば、わが国民や近隣諸国の方々にも必ず理解を得られるものと考え、総理就任後も、8月15日に靖国参拝を行いたい旨を表明してきました。

 しかし、終戦記念日が近づくにつれて、内外で私の靖国参拝是非論が声高に交わされるようになりました。その中で、国内からのみならず、国外からも、参拝自体の中止を求める声がありました。このような状況の下、終戦記念日における私の靖国参拝が、私の意図とは異なり、国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせかねないということであるならば、それは決して私の望むところではありません。

 私はこのような国内外の状況を真摯に受け止め、この際、私自らの決断として、同日の参拝は差し控え、日を選んで参拝を果たしたいと思っています。

 総理として一旦行った発言を撤回することは、慙愧の念に堪えません。しかしながら、靖国参拝に対する私の持論は持論としても、現在の私は、幅広い国益を踏まえ、一身を投げ出して内閣総理大臣としての職責を果たし、諸課題の解決にあたらなければならない立場にあります。

 私は、状況が許せば、できるだけ早い機会に、中国や韓国の要路の方々と膝を交えて、アジア・太平洋の未来の平和と発展についての意見を交換するとともに、先に述べたような私の信念についてもお話ししたいと考えています。

 また、今後の問題として、靖国神社や千鳥ケ淵戦没者墓苑に対する国民の思いを尊重しつつも、内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすればよいか、議論をする必要があると私は考えております。

 国民各位におかれては、私の真情を、ご理解賜りますよう切にお願い申し上げます。

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