悲惨な沖縄戦
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2014.11.10(月)


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全体像







教材
上級編


@ 沖縄本島への上陸は戦争末期の1945年4月1日、朝8時半からでした。米軍全兵力は45万人、上陸部隊は18万人、空母や戦艦など大型の船が170隻という大部隊です。対する沖縄の日本軍兵力は、11万人。米軍の1/4です。装備も旧式で、武器も弾薬も満足になく、米軍と戦える戦力ではありませんでした。大砲を1発撃つと、百発返ってくるというようなありさまです。

A 米軍は上陸に先立って、船から飛行機から、大量の砲弾を徹底的に打ち込みました。上陸中の被害を最小限に抑えるためです。上陸地点の住民は、嵐のような「艦砲射撃」を避けて、近くのガマ(洞窟や鍾乳洞、ほら穴)に避難しました。しかし、避難していたガマが、ついに米軍に発見されてしまいます。入り口から「Come On(デテコイ)」と呼び掛けられます。

B この呼びかけに応じなければ、日本兵も住民も一緒に、火炎放射器やガス弾で皆殺しにしていきます。ブルトーザーで生き埋めにしたり、ガソリンを流して火をつけたりします。ガマの中は生き地獄です。「集団自決」(大勢で自殺すること)があちこちで起きました。

C アメリカ兵は残虐だ、捕まったらひどい殺され方をされる、と教えられていました。また、生き残って捕虜になることは恥ずかしいことだとも教えられていました。その上、投降(降参)しようとすれば、日本兵にスパイ容疑で即、後ろから撃たれます。こうやって、一般住民約4万人を含む多くの尊い命(下表を参照)が失われたのです。

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戦没者
200,666人
米 軍  12,520人
日本軍  94,136人 県外出身将兵   65,908人
沖縄県出身将兵  28,228人
住 民 約94,000人 戦闘参加者    55,246人
一般住民     38,754人


コメント
この教材は
沖縄修学旅行に出掛ける
2年生には
事前学習をすると思いますが
あえて
要約学習でも扱うことにしました。

それにしても
沖縄戦は悲惨な戦争です。
現地で語り部さんから聞く
恐ろしいエピソードは
聞くに堪えません。

特に
幼い我が子の口を押さえて
窒息死させたとか
投降してガマから出ようとした住民を
日本兵が後ろから銃殺したとか、……。

怖かったと思います。
割り切れなかったと思います。
怒りに震えたと思います。

国の指導者は
明らかに判断を誤りました。
その判断の誤りが
どれほどの悲劇を生み出したことか!

今でも世界を見渡せば
至る所で紛争や
戦争状態にあります。

頭脳を発達させた人類も
心がそれに伴っていないのでしょうか?