教育崩壊
編集;産経新聞社会部
前半
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2014.10.12(日)


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発行 =2002.6.10





全体像


文字がほとんど読めないと思います。
以下、もう少しズームアップした写真を掲載します。












公立学校へは行かせたくない


乱雑な文字で失礼します。


 (都会の)多くの保護者は、「難関小学校へ行かせたい。」と思っています。その本音は、「公立の小中学校には、我が子は任せられない。」です。

 以前、公立学校では「型を教える教育」が行われていました。が、「個性重視の学校教育」が打ち出されてから、厳しい指導はなじまないとされるようになりました。

 結果、子どもが勝手気ままに振る舞う、授業が成立しない状況、つまり「学級崩壊」が起こりました。特定の教員の授業が成立しないのです。教員の指導力不足が指摘されるようになりました。

 教員の高齢化も一因とされています。京都市の場合、教員の平均年齢が、平成3年36歳でした。10年後の平成13年には、一気に44歳になりました。

 一方、家庭教育の変容も指摘されています。子どもを叱れない親が増え、しつけ不足の結果、我慢できない子が増えました。ルールを守れない子が増えました。幼児教育における「自由保育」も、それに輪をかけました。

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コメント
一概には言えませんが
教員をめぐる環境は
確かに変化しました。

私は奉職した昭和49年頃
保護者は教員に一目置いていました。
よほどの奇行がない限り
大学出たての若造であっても
信頼を寄せてくださっていました。

仮に体罰があったとしても
学校に怒鳴り込んでくるなどということは
皆無。

逆に
子どもが帰って親に告げると
「おまえが悪い!」と
再び家庭でも叱られる始末。

だから
教師として
子どもを指導しやすい
良好な環境にあったと言えます。
多くの場合
指導が指導になっていました。

それが何時の頃か
たぶん
私の身の回りでは
平成10年代後半からです。

時に教員をバカにしたような言動も
時折見聞するようになりました。
「世間知らずだケーノー」とか
匿名投書やメール
町教委や県教委へ
直接(匿名で)苦情を入れる。
実際に校長室に怒鳴り込んでくる。
その言葉遣いも辛辣。
………………。

田舎のことですから
こういう荒っぽい言動をされるのは
ごくごく一部の保護者です。

昔と完全に
立場が逆転した思いもしたものです。

当然の如く
ごく一部ではありますが
子どもも変わってきました。
教員に罵声を浴びせる
悪態をつく
言うこと聞かない
………………

しかし
大半の子どもが
純朴で礼儀正しくて
先生と生徒との距離感を
それなりに保っていることは
救いではありました。








手に負えない状況に……


 多くの教室から、教壇が撤去されました。いじめ・不登校・校内暴力・学力低下・問題教師、……。平成10年、男子生徒の喫煙率は30%、女子生徒は17%。注意すると開き直る。まさに手に負えない状況です。

 厳しく指導すべきではありますが、そうしても効き目は無し。親から感謝されることも無し。

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コメント
こういう状況は
大半が都会の出来事だと思います。
少なくとも
私の勤務校においては
さすがに
こういう殺伐とした世界は
存在しませんでした。

ただ
情緒障害の生徒の中に
例外的に
これに近いことがあったことは確かです。

情緒障害の子ども達ですから
これは例外中の例外です。

それにしても
学級崩壊のおぞましさ。
自分がこういう立場に立たされたら
どんな態度を取るでしょうか?
どんな態度が取れるでしょうか?
自信がありません、……。














全体像
bQ













部活動の衰退


 教員の高齢化は、部活動にも影響を及ぼしました。兵庫県の場合、20歳代の教員はわずか7%、40歳代は40%といういびつな状況です。教員の平均年齢も、平成12年に38.3歳だったのに、わずか10年後には、42.5歳に急上昇しました。

 部活動はスポーツの振興とともに、精力善用、生徒の生活指導に一役買ってきていました。それが、教員の高齢化によって崩れつつあるのです。

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コメント
私も部活動(女子バレー部)には
長年
心血を注いできました。
家庭生活をそうとう犠牲にもしました。
優勝経験も30数回味わいました。

しかし
静かに振り返ってみるに
あれが正常な部活動だったか?
と問われると
即座に「はい」とは言えません。




 18.05.07(日) 部活動(後半)
 18.04.30(日) 部活動(前半)



校長になってから感じたことです。
心底
部活動指導に喜びを感じて
精力を注ぎ込むタイプと

立場上やむを得なかったり
教員が部活動にエネルギーを注ぐことに
疑問を感じつつも
足を運んだりするタイプと

そして
その中間に位置するタイプと。
さまざまでした。

内心私は(校長として)
いつも頭が下がる思いで
部活動指導を拝見していました。


そして
さすがに年齢も
40歳代
40歳代後半
体力的にも精神的にも
耐えられる限界(喫水線)が
目に見えて出てきています。
一部例外はありますが、……。

だから
年齢を取り上げて
責めてはいけません。

日本の課外活動(部活動)が
あまりに
教員の奉仕の精神に
支えられすぎているのです。








親の変容


 保護者の変容も見逃せません。以前は保護者の判断基準は、教育的かどうかでした。今は、適法か違法かです。体罰まかりならぬ。授業中トイレに行かせなかったら人権問題です。

 PTA役員のなり手もいなくなりました。面倒なことがいやだ、他人のために自分の時間を使いたくない、というのが背後にあります。

 授業参観では、幼児連れでやってきて賑やかをします。雑談や携帯電話も平気です。授業は観ても、その後の懇談会に出る人がめっきり減りました。

 その上、何かあればすぐにクレームです。担任を飛び越えて校長へ直訴。教育委員会へ直訴という具合です。

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コメント
上に述べた通りです。
ごくごく数人ではありますが
教員泣かせの保護者がおられました。

でも
その保護者の子が
全てひねくれているかというと
そうではないところで
とても救われていました。















全体像
bR














陰山英男氏に集中砲火


 平成12年、教職員組合全国研修会での出来事です。テーマは「学力づくり」でした。

 当時、(兵庫県)山口小学校の陰山英男教諭が、「勉強を教えるのが教師の本分だ」と、基礎学力重視(読み・書き・計算)の実践発表しました。ところが、参加者から集中砲火を浴びました。

 「勉強なら塾でも出来る。学校は、仲間づくりをするところだ。」、「子どもは自分で考え、自ら学ぶ姿勢を育てることが大切だ。」(ベテラン女教師)などと、真っ向から反論したのです。

 平成元年度から「新しい学力観」の名の下に、広く学校で行われるようになった考え方です。「教員は指導するのではなく、支援するべきだ。」、「教材ではなく、学習材と呼ぶべきだ。」など、孤立無援の雰囲気でした。

 これに対して、陰山氏は「子どもに好き勝手にさせれば、安易に流れる。」、「教師は指導すべきだ。」と、持論を展開しました。

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コメント
「新しい学力観」
この命名は
それまでの学校教育を
否定するものでした。

欧米から評価されていた
そして実際に
成果を上げてきていた
日本の学校教育は
「古い教育」「古い学力観」と
切って捨てたのです。

先輩諸氏を含めて
私自身が心血を注いできた指導が
否定されたのです。

文部省自らが
自分を断罪したわけですから
何だか割り切れませんでした。

明らかに振り子の振れすぎです。

平成元年度
学習指導要領の改訂で
この「新しい学力観」に基づいた
学校教育がスタートしました。

実際に教科書が変わって
その理念がスタートしたのが
平成4年度でした。

運悪く
その年度から
私は行政の立場(指導主事)。
自己否定をしながら
それから4年間
学校訪問をしたわけです。




 23.02.27(日) 教員生活を振り返って H「出雲教育事務所」








低学力は教師の責任だ!


 その陰山教諭は、「低学力は教師の責務だ。」、「教師は、学習成果という結果で、責任を問われるべきだ。」と力説しました。その背景には、山口小学校における、陰山氏が実践した大きな成果がありました。

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コメント
基本的に
私は「陰山英男」派です。
「古い学力観」と言われれば
仕方ありません。

むろん
平成元年に打ち出された
「新しい学力観」が
間違っているとは言いません。

それまでの学校教育を
全否定する形で登場したから
だから反発せざるをえません。

成果を上げてきた「良さ」を認め
残しながらも
「新しい学力観」を
導入する方法があったはずです。

要約学習は
まさに
「新しい学力観」に立った
学力を育てようという授業です。


実際
平成14年1月
文科省は「学びの手引き」を発表しました。
振り子が揺り戻されたのです。
陰山英男氏の教育実践も
一気に注目されました。















全体像
bS














誤った児童中心主義


 平成12年、鹿児島県の高校入試において、「1000ー198」(計算)の誤答率が、実に 7.9%。県教委は、大きなショックを受けました

 これは、従前の「教え込み」を排除、子ども重視の名の下に、子どもと同じ目線に立つべしとした学校教育の結果だと分析しました。体験重視、反復学習の軽視、教科書に沿った授業や自作プリントを使った授業も軽視されていました。

 樋田大二郎教授(聖心女子大)は、「誤った児童主義、ゆがんだ教育だ。」と、強く批判しました。

 これと同じ風景は、アメリカの過去(1960年代〜1970年代)にありました。まさにゆがんだ学校教育(人間化)によって、学校の荒廃を招いたのです。

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コメント
「誤った児童主義、ゆがんだ教育」
よくぞ言ってくださいました。

子ども達は
出来るようになりたいと思っています。
伸び盛りでもあります。
競走しながら伸びるというのも
子どもの世界です。

いや
人類は誕生以来
競い合うことで
伸びてきた面があります。

スポーツの世界もそうです。
スポーツがよくて
どうして
学業は競ってはいけないのですか?

競い合って伸びる
その芽を摘んではいけません。

序列が出来るのは
それは学業だけではありません。
スポーツの世界しかり
社会生活においてもしかり。

いずれ子ども達は
競争社会に投げ出されるのです。

学校は勉強だけが全てではありません。
掃除・あいさつ・思いやり・人間味・……
自分を輝かせる
いろんな場面があります。

教員は
そういうさまざまな面にも
目配りをしています。

前向きな姿
頑張っている姿にも
ちゃんと温かい視線を送っています。








鹿児島県教委の改革


 鹿児島県の高校の現状は、最近10年間で基礎学力低下(高校教員の9割の回答)に基づき、鹿児島県教委は、平成13年度から改革に取り組みました。ドリル、TT授業、習熟度授業、補習、宿題、家庭学習、学力検査、……。まさに、基礎学力重視の学校教育を取り戻そうとしたのです。

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コメント
基礎学力の低下は
高校の先生は
とてもよく分かると思います。

実際
分数の計算からやり直していると
高校の先生から
聞いたことがあります。







学ぶ喜びを!


 基礎基本をきちんと押さえ、子どもの意欲を引き出す授業をしよう! 子どもに学ぶ喜びを取り戻そう! そういう大きな流れを作ろうと、鹿児島県は動き始めました。

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コメント
話術で子どもを楽しませる授業が
あっていいと思います。
明石家さんまが授業をすると
きっと
おもしろおかしく
授業も受けられるかも知れません。


しかししかし
学校は
知的喜びを味わう場です。
わかった!
出来た!
こういう感動を味わう場です。

学ぶ喜び
これこそ
寺子屋・藩校時代から
連綿と続いてきている
学校教育本来あるべき姿です。