ぼくらはみんな生きている
18歳ですべての記憶を失くした青年の手記

.

2014.8.31(日)


コメントの部屋へもどる








 標題の小説を読みました。初版発行は、平成15年6月15日。衝撃的な内容です。それまでの記憶が全てなくなるということは、まさに人生のリセット。誕生したばかりの赤ちゃんと同じです。身の回りの品々、出来事、一つ一つが初体験。言葉があること、それぞれに意味があることを理解していきます。

 それらの過程が興味深く語られていきます。

 説明的文章ではありませんから、「図式」といっても「構造的に」というわけにはいきません。時系列に沿って出来事を書き上げ、若干の肉付けをしながら(図式的に)描き上げていきました。

.


全体像













重度の記憶喪失


 1989年(平成元年)6月5日、当時大学1年の優介君は、停車中のトラックにバイクで激突するという交通事故を起こしました。くも膜下出血で意識不明の重体です。

 10日間眠り続けた後、意識が回復しました。が、自分の名前も、家族の顔も名前も、住所も、何もかも記憶が抜け落ちています。重度の記憶喪失です

.


コメント
怖いですね。
交通事故は何の前触れもなく
一瞬のうちに
命を奪っていきます。

教え子で3人
この不慮の交通事故で
急逝しています。

本人の無念さはむろんのこと
ご家族
特にご両親の心痛は
察するにあまりあります。

この方(坪倉優介 さん)の場合
意識不明10日間を経て
奇跡的な生還。

しかし
その後の人生は
予想だにしないことが
待ち受けています。










退院


 それでも、一ヶ月後には退院しました。しかし「記憶」がありません。身の回りのもの、何もかもが知らないモノばかりです。(言葉の存在も理解できませんから)言葉のやりとりは無理、暑い・冷たいも分かりません。味覚もありません。食べ始めたらいつも食べすぎです。

 アルバムを見せたら記憶が戻るのではないかと、赤ちゃんの時から解説しながら見せました。全くの徒労に終わりました。

 当の本人にとって、「人間が意味不明なことを、勝手に話しかけてくる。」という認識でしかないのです。

 ところが二ヶ月後、自己主張を始めます。このころから家出が多くなってきました。それも、深夜・早朝関係ありません。時間の感覚がないのです。

 また、辺り構わず、時間無視で、まわりの者(特に母親)に疑問をぶつけてきます。

.


コメント
身体的には
入院の必要がなくなったとは言え
頭の中は
完全にリセット
空っぽ状態です。

本人自身は
自分が何者かも
まったく分からない状態ですから
その戸惑いたるや
我々の理解を超えています。

いや
自分の名前はおろか
モノには名前があること
ヒトは言葉を操ることすら
意味不明なわけです。
気が狂いそうだったことと思います。










大学に復学する


 優介君が通っていたのは、大阪芸術大学。刺激の多い大学生活をすることによって、記憶が戻るのではないか? との期待から、大学当局に頼み込んで復学を果たします。

 電車を乗り継いで、最初は母に同伴してもらって。そのうち、一人で通学するようになります。予想通り、トラブル続きです。衝動的に途中下車は当たり前。密かにYFOキャッチャー通いもありました。

 しかしながら、「字を読むってどういうこと?」「絵ってなんのこと?」、絵を描かせると小学校レベルです。

 ところが、十分にリハビリにはなっていました。お金、自動販売機、切符購入、靴ひもの結び方、授業、ノートをとる、……。全てが疑問だらけです。自然、誰彼かまわず質問責めの優介くんです。

.


コメント
お母さんの
思い切った判断。
獅子は千尋の谷から
我が子を突き落とすと言いますが
まさに
そんな心境ではなかったでしょうか?

しかし
我が家に引きこもっていたら
案外
ずっとそのまま
外界との接触を持たずに
一生を終えていた可能性があります。

大学当局の理解はもとより
母親の愛は
まさに海よりも深し
です。










人柄が変わる?


 事故前の優介君は自己主張が強く、頑固でけんかっ早く、一方では脳天気なところもありました。が、事故後の彼はおとなしくなりました。人を疑う、人と争うこともなくなりました。 ……自衛本能(自分を守ってもらうため)からでしょうか?

.


コメント
脳に障害を受けた人が
前頭葉破壊などにより
人格が
がらりと変わることが知られています。

認知症によって
若いときと比べて
キレやすくなった方を
知っています。

脳の中は
思考力のみならず
人格さえも左右する。

高次の情緒力を
ふと
思い出しました。齋



22.02.28(日) 高次の情緒力を育てるために











記憶が戻らなければ
生きている意味がない


 このころの彼は、事故前の自分を知ることにこだわっていました。

 今まで何をしていたかを知らなければ、前に進むことが出来ない。それを知らなければ、生きている意味がない。 ……こう考えていました。

.


コメント
私がこういう状況に置かれたら
おそらく
坪倉さんと同じことを考え
その解決のために
右往左往すると思います。

でも
何だか怖い気もします。
消えた過去が
誇らしければそれでいいのですが
もし逆だったら……?

そう考えると
気が狂いそうです。








留年


 復学後の優介君は、とても大学生としての生活に耐えられるような状況ではありませんでした。当然の如く、留年を言い渡されました。

 しかし、ショックの中にも、違う顔ぶれの学生と再び一年生をスタートします。

 この間、過去を思い出そうと、過去の手紙を読んだり、本棚を探したり、アルバムを眺めたりしてみました。事故前の髪型(ハリネズミの姿)にもしてみました。依然として記憶は戻ってきません。

 しかしながら日々の生活は、一つ一つがまさに驚きと発見の連続です。変化する人の顔、動く階段、時計、時間、信号、エレベータ、……。一つ出会うたびに、頭の中でいろんなモノがぐるぐる回ります。まさに万華鏡のような世界です。

.


コメント
一つ一つ
未知のモノ
未知の体験との遭遇です。
興味深い
驚き
新鮮と言うより
むしろ
戸惑いや困惑
混乱や恐怖が
大きかったのではないでしょうか?

これら一つ一つが
赤ちゃんが
言葉を獲得し
モノと言葉の結びつきを学び
動きや役割などを
獲得していく過程を知る
大きな一助となるのではないでしょうか?










万華鏡のような記憶


 万華鏡のような記憶といえば、電車の中で「静六」という(同級生という)男性にあった出来事があります。ふと「齋藤」という名字が出てきたのです。彼とテニスをしたり、銭湯へ行ったりした記憶もよみがえりました。友達とザリガニ捕りに行った記憶も戻ってきました。

.


コメント
不思議ですね。
神経回路が
断片的につながったのでしょうか?

教え子で
交通事故による
意識不明の重体から
回復した例があります。

中学一年という若さですから
頭脳面・運動面ともに
いったん何かを思い出すと
ずるずると
芋蔓式に
記憶がよみがえったと思います。

脳の世界は計り知れません。










徐々に


 少しずつ少しずつ、言葉の意味が理解できるようになっていきました。また、相手の顔色を見て、自己を抑制することも出来るようになってきました。自我の芽生えです。

.


コメント
言葉の獲得によって
自我が芽生えるというのは
心理学の世界では
常識のようです。

特に母親からの
愛情いっぱいの言葉がけ
笑顔での対応が
重要なことは言うまでもありません。

乳幼児期・児童期に
美しい言葉
豊かな言葉に
より多く触れることは
とても重要だと思います。

そういう言葉の多くは
日常会話より
「本」の世界に在ります。










人に聞きながら何とか……


 分からないことは人に聞く。こういうスタンスで何とか大学生活を送れるようになりました。

 ただ、電車を乗り継いでの通学は、片道2時間30分もかかります。親を説得して、スクーター通学(片道1時間)に変わりました。更には、大学近くに「一人暮らし」も始めました。炊飯一つとっても、難儀しながらの一人暮らしのスタートでした。

.


コメント
まわりの人に恵まれていたこともあります。
しかし
坪倉優介 さんの
日頃からの人となり・言動が
まわりの人をして
自然に協力するよう
仕向けていたのではないでしょうか?










ろうけつ染めの世界へ


 大学で絵を学ぶうち、「ろうけつ染めの世界」へ足を踏み入れます。彼が染めた衣で、母と祖母が和服を縫ってくれました。4人の女子学生が、それを着て卒業式に臨んでくれました。

 「ぼくには絵があってよかった」とつくづく感謝する優介君でした。

.


コメント
芸は身を助ける
ここでも
また
このことわざの
真実を再確認しました。








専攻科へ進学


 就職するには、まだまだ不安な優介君。「ろうけつ染め」を極めたいという思いもありました。両親を説得しての専攻科受験です。

 面接の時、面接官(大学の先生)に大目玉を食らいました。「事故を言い訳にするな!」と一喝されたのです。

 とても合格はおぼつかないとあきらめていた優介君です。が、思いがけず「合格」を告げられました。

.


コメント
面接中に怒鳴った先生は
日頃からお世話になってきていた
重要な先生です。

日頃から厳しい先生です。
でも
その心の底に
深い愛情を湛えておられました。










染工房「夢 祐斎」


 就職先を決めるときが来ました。大学の資料を調べているうち、京都の「(染工房)夢 祐斎」に興味を覚え、受験しました。面接は4時間にわたりました。

 そして、そこの経営者(染師:奥田祐斎)から、思いがけずその日のうちに「うちに来いや!」と合格決定。優介君の全てを分かった上での採用でした。

.


コメント
運命と言うべきか
偶然の出会いというべきか
小説のような出来事が
現実には
いくつも存在します。

坪倉優介 さんの人生は
ここで
大きく羽ばたくことになります。










それぞれの思い


 父は言いました。「みんなに助けられて生きていくんだ。」

 母が言いました。「出来なくて当たり前からスタートだね。」「一つ一つ出来たことが、大きな喜びだね。」

 奥田師匠が言いました。「練習のための練習はいらん! どのようにしたら人に伝わる着物になるか考えろ!」。

.


コメント
三人三様
それぞれに
深い愛情と意味を
含んでいると思います。

そう思って
あえて私は
この言葉を選んで
ここに抜き出しました。










新しい過去がいとおしい


 以前は、過去が見えないと生きていけないといらだっていた優介君は今、思っています。

 「新しい(12年間の)過去が愛しい。怖いのは、事故前の記憶が戻ることだ。」

.


コメント
ずっと本を読んできて
この言葉に出会ったとき
心の底から共感できました。

坪倉さんの
12年間の一日一日
新しい過去は
苦難と戸惑いに充ち満ちています。

でも
一日一日
一つ一つの出来事に
五感総動員で対処し
めいっぱい前進してきました。

その自分の歩んできた道が
きっと
愛おしくてたまらないと思います。

だから
心の中で「そうそう、まったく!」と
つぶやいておりました。













原田宗典 氏

巻末解説


全体像








26歳の優介君に出会う


 私(原田宗典さん)が坪倉優介君に出会ったのは、1997年秋のことです。前年、優介君は京都の染工房に就職していました。優介君26歳のときです。

.








無邪気でけなげ


 初めて逢った優介君の印象は、無邪気で健気でした。柔和な目、育ちの良さそうな青年、笑うと少年のよう。だけど幼稚さはありません。また、語る言葉は、時に「老成した詩人」のようです。「ひらがなで語られるようなしゃべり方です。

.










愛の本質は?


 不思議な人生のエピソードではありますが、いちばん聞きたかったのは「愛の本質」です。優介君は、友情・愛情をどのように捉えているのでしょうか? やはり「記憶の積み重ね」か?

 違っていました。母親から「お母さんよ、あなたのお母さんよ。」と呼びかけられたとき、胸の辺りがぼわってあったかくなったそうです。頭じゃなくて、胸で覚えていた、いや、忘れていなかったそうです。

.




コメント
「愛の本質」
残っていくのは
頭ではなく
胸の中なんですね。
なるほど……。