読書感想文を書こう!
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2014.8.24(日)



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読書感想文を書くことの意味は
何と言っても
読みっぱなしにしないで
じっくりと
より深く考えることにあります。

読書感想文は
アウトプットのお手伝いです。
それは
自分を見つめることに通じています。

読書感想文は
自分を語ることです。
自然
体験談などが
織り込まれることになります。

それがあってこそ
世界で一つしかない
オリジナルの読書感想文。

あれこれ考えめぐらせる
その先には
自分なりの決意を固めたり
まわりの人に向かって呼びかけたり
という
能動的な姿勢を引き出します。


 先日、K小学校5年生教室に招かれて、読書感想文の授業を行いました。子ども達は事前に、担任の先生作成のワークシートに記入済み。これを前提にしての授業でした。

 授業は通常の1〜2校時、45分2時間で行いました。今回は、その概要についてコメントします。

 なお、上の図式は授業冒頭で示した、読書感想文に関する意義と書く上でのポイントです。

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担任の先生作成のワークシート












蜘蛛の糸


 @「本を読むことは好き?」、A「本を読みながら、いろいろと考えることは好き?」、B「本を読んだ感想などを人に話すのは好き?」、C「感想を書くのは好き?」など、まずは子ども達とやりとりしながら、気持ちを尋ねてみました。

 @AB
までは、おおむね(5段階の)4か5でした。が、Cはがたっと下がって、1から4までに分散しました。この辺りですね、課題は。

 子ども達には話しませんでしたが、やはり日頃から「書く」機会を多設する必要性を痛感しました。これは、この学級に限らない現象です。

 書く機会多設といっても、作品主義では逆効果。習作主義に徹することです。そのためには、負担感の少ない作文(時間5分以内とか、200字以内でとか)をどんどん導入です。 ……「書くことはへっちゃら」という段階にしてやることによって、ある時「作文アレルギー」から脱出してくれます。

 さて、続いては『蜘蛛の糸』の暗誦朗読(ストーリーテリング)です。久々で、話し始めのところは緊張しました。途中からは、考えがあって、あえて「あらすじ」にしました。

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子ども達には2人組みになって
一番心に残った場面について
話し合いをし
その後
発表をしてもらいました。

@カンダタが罪人に叫ぶ場面と
A小さな蜘蛛を殺さなかった場面とに
分かれました。

@は
再び血の池へ落ちていく
きっかけとなったからです。
叫ばなかったら
糸は切れなかったのか?
という疑問も出されました。

Aは
人を殺したカンダタが
小さな命を助けたので
本当は悪い人ではないのではないか?
と考えて
すごく嬉しかったそうです。
なんて優しい子ども達なんだ。




そして
いよいよ
子ども達が感想文を書いた
それぞれの本に移りました。

3分以内で
隣の友達に
どんな話だったかを
話して聞かせます。
まさに要約力が試されます。

上手に伝えられた子と
苦戦した子と
いろいろでした。

一生懸命話して
一生懸命聞いていました。
まずは
そこが大事です。










読むことの二面性


 文章を読むという行為には、二面性があります。

 @ 一つは要約(あらすじ)が言えるかどうかです。「どんな話だった?」と聞かれて、「???」では読んだことになりません。ちなみに、この「要約力」と「読解力」とは比例します。

 A 今ひとつは、「コメント」(感想や意見)が出来るかどうかです。「その本を読んでどう思った?」と聞かれて、「さぁ〜」とか「べつに……」とか「ふつぅ〜」とか、「特にない」などという状況では、とても「読んだ」とは言えません。

 まさにAこそ、「読書感想文」の本質でもあるし、醍醐味でもあります。読んで面白い(知的な面も含めて)と感じるかどうかは、ひとえにAにかかっています。

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という話をして
山本博行くん(松江四中)のエピソードを
紹介しました。
これは
『君たちはどう読んでいるか』
(松尾弥太郎 著)に
紹介されている話です。

読書しながら
読書した後
いろいろ考えをめぐらせたり
それを書き残したりすることの
重要性について
伝えたかったからです。

これをよく似た
私の事例も紹介しました。





山本博行君の紹介










生活作文との違い


 生活作文と読書感想文との違いは、「体験」か「読書」かの違いです。ですから、日頃の生活でさまざまな出来事に遭遇したとき、心の深く感じたりじっくり考えたりする子は、そういう「読書感想文」を書きます。

 したがって読書感想文の前提として、日頃の生活が問われます。さらには、短絡的、衝動的な子どもの多くは、読書と無縁にあるという事実です。 ……日頃から、さまざまな出来事に出会って、自問自答する姿勢が大事です。せっかく本を読むなら「考える読書」が重要であることはいうまでもありません。

 さて、読書感想文は「自分を語る」ところに意義があります。「書評」とは違います。したがって、読書感想文の中に自然に「生活作文」(体験)が入り込みます。生活体験が入っていない読書感想文は、総体として魅力に乏しいと言えます。読んでいておもしろみがありません。

 同じ本を読んでも十人十色、世界でたった一つの読書感想文こそ、魅力的な価値ある作品です。それは、ほとんど例外なく「自分を語って」います。

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終末部分
何がいちばん言いたいのか?


 読書感想文を締めくくる最後の数行は、筆者がいちばん言いたいことです。感想文の一文字目から、この「いちばん言いたいこと」を常に念頭に置いて、そこに向かって書き進める必要があります。

 いろいろな締めくくりの仕方がありますが、一般的には「決意」です。ただし、取って付けたような決意は作品全体の品位を落とします。読み手が自然体で受け止められる「決意」でないといけません。心から全身全霊かけて絞り出される真実の声、「ことの葉」でないと、読む人の心を動かしません。

 今回は、感想文の終末を数編、紹介しました。そして、子ども達には「自分の感想文は、何がいちばん言いたいのか」を考えてもらいました。いちばん一般的な「決意」を考えてもらいました。

 感想文を書き進めながら、常にその「決意」を意識していることが、ブレをなくします。読む人に一貫性を感じさせ、最後の「決意」が自然にスッと入ってきます。

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ここで15分休憩







書き始めの部分
本との出会いから入る


 休憩後のスタートは、『蜘蛛の糸』の読書感想文を2編、紹介しました。一つは親しみの持てる書き方、小学校3年生の作品。もう一つは、大人顔負けの内容、小学校6年生の作品。

 さて授業後半は、「書き出し」にチャレンジです。

 まずは、読書感想文から約10編、導入部分を朗読して紹介しました。あれこれ示すと子ども達は混乱するので、「本との出会い」から入る方法に絞りました。この入り方により、読んだ作品(全員が文学作品を選択)が自分の生活との絡みで書かざるを得ないからです。あえて、そこへと追いやる方法をとりました。

 そして、自分の読書感想文の書き出しを、実際に書いてもらいました。(あっという間に、白紙の用紙 5行〜8行の児童が 3人/10人。1〜2行書いて考え込む児童が 4人/10人。)

【備考】白紙のA4版を手渡したのは、わけがあります。原稿用紙に対して、無意識に抵抗感を覚える児童がいます。縦書きに違和感を感じる児童がいます。縦書き、横書き、どちらでもよい、という選択肢を子どもに与えることによって、より自分のペースで自然体で書けるよう配慮したつもりです。

 10分ほど経ったとき、今度はインパクトのある会話「……」を一行目に持ってきている作品を、いくつか紹介しました。これが、読書感想文集(全国も島根県も)にはけっこう多いのです。流行でしょうか? いや、実際効果的なケースが多いんです。

 実際に書く時間は、合計25分程度でした。あとは、家庭学習です。夏休み明けには、完成して提出することになっています。

 最後に子ども達には、次のようなことをアドバイスしました。

 
一年間にたった一回、本格的に「読書感想文」として書くのが、夏休みの宿題です。書くとき苦しむ人がいるかも知れないけど、想い出に残る作品を残しましょう。

 今回の読書感想文は「本との出会い」から入ってもらいました。本を読んだ感想だけではなく、自分の体験と絡めて考えを深めてほしいと思ったからです。読書感想文は、「自分を語る」作文です。

 「自分を語る」ということに関連して、世界に一つしかない「オリジナルな作品」になるためには、例えば「自分が登場人物ならどう考えるか? どうするか?」ということを考えたり書いたりすることをお勧めします。

 読んだ感想を「人に話すことは好き」と答えた人が多かったので、書くことに行き詰まったら、うちの人(お父さんとかお婆さんとかお姉さんとか、……)に、本の内容に関して話してみましょう。ドラえもんとかリカちゃん人形とかでもいいですよ。人に話している内に、「あっ、これは書ける」と思ったことを盛り込みながら、どんどん書き進めましょう。

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本との出会いからの書き始め
紹介した例
〜 一部 〜



『地球が暑くなっていく』
小学校5年生


 暑い、暑い、今年の夏はたまらなく暑い。毎日毎日、真夏日に熱帯夜。日中、室内の温度計は40度を指しています。とうとう我が家のクーラーもフル回転する羽目になりました。そんなとき、この本に出会ったのです。流れ落ちていた汗が、読んでいくうちに、冷や汗に変わっていくような気がしました。

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『障害のある人々』
小学校5年生


 私はときどき、白いつえを持って信号を渡ろうとしている人や、車いすに乗っている人を町で見かけます。役に立ちたいという気持ちはあるのに、声をかけることが出来ないことを、いつももどかしく思っていました。そんなとき、この本の「障害のある人と、どのように付き合えばいいの?」というページにめぐりあいました。

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『わたしと小鳥とすずと』
小学校5年生


 今年の夏、ぼくは東京の丸の内ミュージアムで開かれた、「金子みすゞの世界展」を見た。26歳でこの世を去ったみすゞさんの生涯が、直筆の手帳や写真、着物などとともに、約70編の詩で紹介されていた。
 展示されたものを見て歩いているうち、ぼくは一つの大きなパネルの前で足が止まった。それは、「大漁」という詩だ。

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『さようならおじいちゃん…ぼくは、そっといった』
小学校5年生


 勉強、サッカー、遊び、……。どれをとっても楽しくて、元気に過ごす毎日。そんなぼくにとって、病気とか死などという言葉は縁のないものだった。ところが突然、おじいちゃんの病気の知らせが入った。「死」という言葉が、ぼくの頭の中をグルグルとかけめぐって、頭から離れなかった。そんなとき、この避けては通れない出来事を、じっくりと見つめさせてくれたのが、この本だった。

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『蜘蛛の糸』
小学校6年生


 「ある日のことでございます。」
 まるでどこかからかその声が聞こえてくるような、やわらかで温かな語り口。それに吸い込まれるように読んだのが、二年生の時だった。初めのうちはよかったのだが、行が進むに連れて、快い語り口からは想像も出来ない恐怖の世界に引きずり込まれた。

 本を閉じても、目の前に「血の池」や「針の山」でもがき苦しんでいる人々が浮かんできて、「この本は二度と読みたくない。」という感想を抱いたことを覚えている。

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『ハッピーバースデー』
小学校5年生


 「おまえ、生まれてこなけりゃよかったな。」
 背筋がぞくっとした。十一歳の誕生日、あすかはプレゼントの代わりに、こんな言葉を兄直人と母から言われたのだ。ひどい、私は心が高鳴り、この本に引き込まれていった。

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『五体不満足』
小学校5年生


 「お母さん、この人は手品師なの?」
 病院で、母から初めてこの本を手渡されたとき、ぼくは思わず叫んだ。それほど、この表紙の写真は衝撃的だった。手も足もない男の人が、車いすの上で笑っているのだ。この人は、どうやって生きているのだろう。食事も排便も一人では出来ず、一生寝たきりだろうなあと思いながら、本のページを開いた。

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