初任校は、誰しも教員としての原点がそこにはあると思います。私も日頃の教員生活をふと振り返るとき、初任校(大東中学校)3年間が彼方に浮かんできます。自分の今は、大東中学校につながっていると実感します。
何と言っても、40年近い昔のことです。鮮明な記憶というよりは、霞がかかったその向こうに「セピア色」の映像が、ぼんやりと浮かび上がってきます。しかも、断片的で心許ない記憶がほとんどです。が、じっと意識を集中すると、さまざまな色合いに覆われながら喜怒哀楽を伴って、次々浮かび上がってきます。
大東中学校は当時、1・2年生が5学級、3年生が6学級、全校生徒数約650名。教員数32名でした。私に託されたのは、2年3組。子どもっぽい男子生徒(分析的には、@やんちゃ軍団・Aまじめ集団・B少し斜め向きの集団の3グループ)、落ち着きと信頼感のある女子生徒、という構成でした。大学出たてということで、たぶん間違いのない集団を任されたと思います。
やんちゃ軍団が教室を明るい雰囲気にし、行き過ぎるとしっかり者のお姉さん達がたしなめる、……。その後の学級集団づくりを振り返るとき、ポイントは女子生徒だという認識があります。女子生徒がしっかりしていて、心を通わせあっている学級集団は、まず大崩しません。復元力があります。
遠足、修学旅行、そして、日々の生徒とのふれあい、……。毎日毎日が新鮮で、充実していて、楽しい思い出が、次から次から浮かんできます。Aのグループに請われて、夏休み中に三瓶と海岸でキャンプを張った(=これは校規違反かも?)思い出も、かなり鮮明に甦ってきます。
廊下に取り付けられた時計に向かってジャンプ。その弾みで時計がコンクリの床に落ちて破壊するという出来事、ふと思い出しました。生徒に「届くか?」と言われて乗る自分も情けない。ガラスなど片づけて職員室に戻ると、(上記)@の生徒達が、職員室に正座させられ、事務主事の方に青筋立てて怒られていました。 ……「いや、壊したのは私です。」と打ち明けた瞬間、職員室の時間が止まりました。これまでの人生で「穴があったら入りたい事件」ベスト3に入ります。
2年3組の教室は、離れ小島のような場所にありました。班ノートに、「きょうの国語の授業は楽しかったです。やっぱり音楽はいいですねぇ〜〜。」という内容の記述がありました。 ……何のことはない、教室の斜め隣が音楽室。暑い季節、窓を開け放つと音楽室の音響が、まともに聞こえる悲惨な教室でした。 ⇒だから、落ち着きのない学級集団になったかな? でも、愉快な教室だったから思い出がいっぱいです。