23.1.23 (日)

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きょうは
中学校時代の同級生が集って
神社で還暦の厄払いをしてもらいました。
お祓いのあと神主さんが
次のような説明をされました。
人生50年と言われていた昔は
60歳を迎えることは長寿の証でした。
60歳まで生きること自体が珍しかった時代には
還暦は長寿祝いとして行われていたのです。
還暦祝いは
数え年61歳で行われるのが通常です。
それは中国の暦十干
十二支の周期が60年で一巡するため
61歳になると
自分の生まれた年の干支に戻るためです。
それをもって人生が一周し
新たに生命が再生されることを表すとして
数え年61歳が還暦とされています。
3月末をもって定年退職する私にとって
人生が一周
新たに1歳として
人生を歩み出すということかな?
などと思いをめぐらしながら
祝詞を聞いていました、……。
学級担任時代 一貫して行ったこと
班ノート
前回は、学級担任時代に一貫して行ってきた「学級だより」と「朝・終礼時の歌声」について書きました。もう一つあります。それが「班ノート」。
中学校では、(小学校と違って)教科担任制です。奉職当初は、全学年とも「国語」の授業が週5時間ありました。それでも、道徳と学級活動を加えても、担任学級での授業は(一日に)1時間かせいぜい2時間。一クラスが40人もいると、個人的に声をかける機会は限られます。
もう一つ、学級には「生活班」(5〜6人)を設けて、さまざまな活動を展開します。協力して仕事(係活動・給食当番・そうじなど)をしたり、話し合い活動をしたりします。 ……たまたま一緒になったメンバーと心を通わせ会う。これは、社会人となっても重要な側面です。
この二つの条件を合体させたのが、「班ノート」というわけです。筆談によってコミュニケーションの穴を埋め、併せて学級づくり(班づくり)に寄与するというアイデアです。
書く内容、量は自由です。ただ、量は「半ページ以上は書こう!」と呼びかけました。相手意識は、いちおう学級担任の私です。しかし、班員同士の交流もあります。
「班ノート」は学級朝礼で提出し、担任(私)が空き時間に読んで、ところどころにコメントを書き込んで、終礼までに返します。学級の人数が一番多かった(頓原中時代)45人でも、班は8つ。8冊ですから、(空き時間が1時間あれば)その日のうちに何とかなります。
どこを切り取って、どの場面で、どんなコメントを返していくのか? ……班内(学級内)の世論形成にも関わっているだけに、コメントは担任の識見、力量の表れるところです。そういう認識を常に抱きながら、誠心誠意コメントを書いてきたつもりです。
⇒嬉しかったのは、(全体としては)ノートを返すと奪い合ったり、むさぼるように読んでいたりする光景があったことです。その反応があったからこそ、続けられたと言えます。
16年間で、いちばんヒートアップしたのは2年目の「1年2組」でした。しばらくは、多くても1〜2ページで推移(大半が女子生徒)していましたが、だんだん増えていって、10ページ、20ページも登場。とうとう40ページ(ノート1冊)が登場して、さすがにページ制限を設けました。(ちなみに、ノート代は私のポケットマネー。)
さて、その成果ですが、学級・班の雰囲気、人間関係などによって、その成果は千差万別といえます。今振り返ると、この「班ノート」をめぐっては、実にさまざまなことがありました。この実践なしには、私の学級担任は語れません。
この実践は、県教組主催の研究会で発表もしました。その延長で、全国大会(確か滋賀県)に出かけて発表も経験しました。さらに、この発表がきっかけで、『特別活動研究』(明治図書)の原稿も書きました。
平成3年度中堅教員中央研修講座の際に作成した冊子『心に残った言葉』に、一部をコピーして掲載しています。(下の写真)
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※塗りつぶしは仮名です。
学年中途で転入してきた生徒。
この生徒をめぐっては
金八先生のように
さまざまなドラマがありました。
事件も起きました。
何度裏切られた? ことか……!
そんな彼ですから
「班ノート」が回ってきても
友達に促されて
それでもやっと
2行〜3行でお茶を濁す状態です。
作文嫌いでもあり苦手でもあり
投げやりでもあった
そんな彼が
少なくともこの文章を書くときは
自己反省もし
真摯な気持ちになっていたと信じています。
実際
学級集団が素晴らしかった
(集団は人を変えるパワーがある)
おかげで
尻上がりに成長してくれました。
実は学級担任時代、並行して「個人ノート」を実践した時期もあります。ある女子生徒が「班ノートでは、個人的なことが相談したり書いたり出来ない」と訴えたことがきっかけだったと記憶しています。
一念発起始めたのは3校目(頓原中)、40人を超す学級でした。さすがに(放課後の部活動もあって)いっぱいいっぱいの毎日でしたから、全員が毎日のように提出は、私の方が顎が上がります。「出したい生徒が、出したい日に提出する」というスタイルを取りました。
約40人の生徒のうち、熱心に提出する生徒は女子生徒ばかり数名。時々、全員提出日を設けましたが、それ以外は全く提出がない生徒(主に男子生徒)も相当数ありました。 ……これは、変な差別意識が芽生えては逆効果。あまり期間を置かずに中止しました。
また、同じく3校目では、全校生徒に『生活ノート』が手渡してありました。翌日の予定や提出物など記入するとともに、日記コーナー(4〜5行)が設けてありました。着任当初は、こちらも精力をつぎ込んでコメントを書いて返していました。が、内容的にワンパターンか、ありきたりのどうでもいい内容の列挙が大半。これにかかる時間で、1時間がつぶれます。 ⇒申し訳ないけど、(班ノートがあるので)以後はよほどの内容でない限り、読んで終わり。キャラクター押印のみにさせてもらいました。
ところで、その班ノートですが、毎年数十冊に上ります。これらは、年ごとに段ボールに詰めて保管してきていました。が、新築の際、意思疎通不足のため、亡父が間違って、すべての班ノート(段ボール)を焼却処分してしまいました。
ただ、頓原中時代5年目〜7年目の「班ノート」は、生徒の家に保管してくれていました。2年前の20周年記念同窓会の際に、タイムカプセルを掘り返しました。それに併せて、その生徒が段ボール3箱持ってきてくれました。その後どうなったか知りませんが、宴会の途中に班ノートを見ながら、大いに盛り上がっていました。
生徒と心を通わせるいちばんの方法は、直接的に言葉を交わすことです。が、教科担任制の中学校にあっては、なかなかままなりません。それを打開する、有力な手段の一つが「班ノート」。今でも、そのように高く評価しています。
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必ず行っていた
集団づくりに関すること
学級の集団づくりについては、担任を任せられた教員にとって、まさに生き甲斐。やりがいと使命感に彩られる世界です。
鶏と卵の関係ではありませんが、集団が育つと「個」が育ち、個が育つと集団が育つ。まさに両者は、あざなえる縄のごとく密接な関係にあります。
どっちが先かと問われれば、やはり「個」です。
そこで、学級担任になれば誰しも、さまざまなことを仕掛けていきます。何と言っても、その中心となるのが「直接的な関わり」であることは、不易の部分です。あとは、学級担任の発想と実践力です。
私の場合、たぶん2校目(4学級目)からだったと思います。定着した実践が2つあります。それが、「長所を書き合う」(これは担任の労力が少なくて、絶大な効果あり)ことと、「相互評価」(きわめて有効な手だてだが、集計に膨大な時間と労力が必要)です。
これについては「コメントの部屋」、別の場で取り上げていますので、そちらにリンクを貼ります。
基本的な考え方としては、ひとは欠点指摘型では育ちにくい。温かい心で見守り育てる「長所伸長型」こそ、人を育てる真髄だと言うことです。
児童・生徒理解を考えるとき やはりポイントは
一人一人の思いや願いに沿って 温かいまなざしで見つめ支え よさを引き出す 加点法で見取り関わっていく
その根底にあるのが 児童・生徒理解ではないかと
受け止めています。
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次回から
初任校から順次
取り上げながら
振り返ることにします。
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