今を生きる
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〜「今、ここ」を真剣に全力で生きる

2021。6.27


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今回は心理学者「アドラー」の名言を取り上げます。


 アルフレッド・アドラーは、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。 (ウィキペディア)

生年月日: 1870年2月7日

生まれ: オーストリア

死亡: 1937年5月28日  イギリス

職業: 精神科医,心理学者

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人生は極めてシンプル


人生が困難なのではない。
あなたが人生を困難にしているのだ。
人生はきわめてシンプルである。。

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 あなたが人生を困難にしている。 ……味わい深い言葉です。これと同じような趣旨で「あなたの目の前にある景色は、あなた自身が招いているのです。」というフレーズが浮かびました。

 人生はシンプル。人は自分の見方・考え方・言動・行為などにより、今目の前に展開している状況がある。このことは、常に心にとどめておきたいと再確認させられました。

 ただ、世の中はこの公式通りとは限りません。そういう事例が身近に皆無ではありません。あんなに善良で誠実な人が、どうしてこうも不幸に見舞われているのだろう? ……というケースです。

 水泳の池江璃花子さんは、目を見張る成績をあげつづけ、それに見合うたゆまぬ努力もしてこられたと思います。国民に夢と希望をプレゼントしてくれてもいました。突然の癌の告知は、気の毒すぎました。ヒーローが一夜のうちに、どん底に突き落とされた印象があります。

 しかし、すごいですね。若さ、忍耐強さ、感謝の気持ち、……。神様は見放されませんでした。まだまだ途上とはいえ、見事な復活です。

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過去に縛られてはいけない


人は過去に縛られているわけではない。
あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。
過去の原因は「解説」になっても「解決」にはならないだろう。

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 「過去と他人は変えられない。しかし、自分と未来は変えることができる。」(エリック・バーン)……この言葉と似ています。当たり前のことだけど、意外と過去にとらわれてくよくよしている自分に気づくことがあります。過去は「終わってしまったこと」だから、心がけることは「前を向く」ことですね。

 なお、「過去は変えられる」と言った人もいます。「マチネの終わりに」(著:平野啓一郎)に次のようなセリフがあります。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないんですか?」

 起きた”出来事”自体は変えられませんが、その起きた出来事自体の”捉え方”は変えることができるというとらえ方です。

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相手を変えようとしない


健全な人は、相手を変えようとせず自分がかわる。
不健全な人は相手を操作し、変えようとする。

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 「相手を変えようとせず自分がかわる」。 ……そうだと心得てきたつもりです。ただ、私のどこかが至らなかったんだろうと思いますが、現実には難しいケースもあります。

 リセットして胸襟を開いて接しても、うまくいかないこと(人)もあります(した)。「仏の顔も三度まで」という諺があります。幾度かリセットしてもダメな場合は「これは相手の問題だ」と割り切って、基本的には「触らぬ神に祟りなし」というスタンスで接するようにしています……。

 このことに関連してアドラーは、「悩み(ストレス)の大半は対人関係」と(次のように)述べています。

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他人の目


すべての悩みは対人関係の課題である。
仙人のような世捨て人でさえも、
実は他人の目を気にしているのだ。

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 アドラーは、また言っています。「他人の課題には介入せず、自分の課題には介入させない。そうすれば、対人関係にかかわる問題は一気に解決します。」

 たとえば、何をしようが怒鳴るだけの人がいるとします。彼の理不尽な感情は、あなたの課題ではありません。これは彼自身の課題です。相手の感情に対応することは、あなたの役目ではありません。

 自分でできることとできないことを見極める。アドラーはこのことを
「肯定的なあきらめ」と表現しています。

 相手がどうであれ、こっちが深刻になってはいけないようです。次に理不尽な相手の前に立ったら、「よし、今日はそう来たか」というように、楽しんでやるぐらいの気持ちでいいということです。これなら気持ちが楽になります。

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動機や目的は「善」であれ!


行動に問題があるとしても、
その背後にある動機や目的は、
必ずや「善」であれ。

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 これは心に留めておくべき言葉です。一つの言動の向こう(奥)には、「心」(心情・気持ち・心理状態)があります。大事なのは「言動」そのものよりも、その背後にある「心」。忘れてはいけないキーワードの一つです。

 ちょうど学校における道徳教育「道徳の時間」と同じです。何事を為すにつけて、心がけていくべきと再認識させられました。

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褒めるのではなく……


「よくできたね」とほめるのではない。
「ありがとう、助かったよ」と感謝を伝えるのだ。
感謝される喜びを体験すれば、
自ら進んで貢献を繰り返すだろう。

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 確かに「よくできたね」 は上から目線です。「ありがとう」には純粋に感謝の気持ちがこもっています。表面上ではなく、心を込めて感謝の気持ちを伝えたいと再確認させられました。

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相手を支配する


カッときて自分を見失い怒鳴ったのではない。
相手を支配するために、
怒りという感情を創り出し利用したのだ。

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 我が子が保育所の頃、部活動指導を見学していた長男が夕食の時に問い詰めてきました。「お姉ちゃん達、一生懸命がんばっとるのに、どうしてお父さんは怒るん?」。

 怒っていたのではなく、見学を意識していつも以上に張り切っていただけです。大声を張り上げることは、子ども心に怒りを感じるもののようです。

 怒鳴ると子どもは萎縮します。怖いから言うことを聞きます。これを指導力と勘違いしてはいけません。怒鳴って子どもの態度を変えるのは、支配することです。教育ではありません。本物の指導(教育的配慮)は、子ども達が自ら考えて(戒めて)自主的主体的に動くことです。怒鳴らずにそのように仕向けることは、難しいことです。

 でも、この真実は私自身の生き方の基本の一つにしているつもりです。幸い年のせいもあるのか、腹が立ったり感情的になったりということが、ほぼ無くなってきている近年の私です。相手に対する見方・考え方にワンクッション出来たというか、懐が少し深くなったのかも知れません。

 何でそんなにへそを曲げておられるんだろう?
   気の毒な人だなぁ。
 これは自分の問題ではない。自分に非があるわけではない。致し方ない。静観しよう。

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他の人を喜ばせる


苦しみから抜け出す方法はたった一つ。
他の人を喜ばせることだ。
「自分に何ができるか」を考え、
それを実行すればよい。

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 与えられた場で「他の人を喜ばせること」。自分のことを考えると今、二つのことが浮かびます。

 一つは
要約学習の授業。町内のみならず、町外からも授業や研修会の依頼があります。重要性を認めてもらって、ありがたいことです。

 先日は雲南市教委句委員会主催の「要約学習研修会」があり、事後の先生方の反応が送られてきました。想像を絶する反響に驚くやら嬉しいやら、今後に自信と活力を与えてくれました。

 私は心から思っています。日常生活に「図式」というアイテムを手に入れたら、ぐんと生活が豊かになります。

 読書のときも、講演を聴くときも、会議のときも、考えをまとめるときも、人前でスピーチ(プレゼン)をするときも、大いに役立ちます。この図式というアイテムを、一人でも多くの児童生徒(先生方)に伝授したい。 ……強い思いで授業に臨んでいます。

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2021.6.17 実施




          






自己満足でじゅうぶん


「自分は役立っている」と実感するのに、
相手から感謝されることや、
ほめられることは不要である。
貢献感は「自己満足」でいいのだ。

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 基本的にその通りだと思っています。ただ、今回の先生方の反響は、私のこれからの「要約学習」に関するエネルギーを与えてくれました。

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