花の色は移りにけれど
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2021.4.4


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花の色は移りにけれど
今しとき
春らんまんに散りゆくを見よ





小野小町の和歌(下)を念頭に作句しました…


花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに

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【現代語訳】
桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、
春の長雨が降っている間に。
ちょうど私の美貌が衰えたように、
恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。







桜のように潔く!


 冒頭の短歌は、小野小町「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」を意識して作りました。

 年を重ねるということは、何とも悲しいことでもあります。若いときのような勢い、気力、回復力など、年毎に衰えを感じています。

 桜も勢いがある満開が見頃なのは言うまでもありません。でも、桜花爛漫にあって惜し気もなく、てらいもなく、潔く散っていく姿も見事です。自分の今を重ねながら短歌にしました。

 ちなみに「健康寿命」を一日でも先延ばしにしようと、健康には人一倍気を遣っています。この性質は昔からで、かつて同僚から「健康のためなら死んでもいい(烏田さん)」という長いニックネームを戴いたことがあるほどです。

 毎日の日課、山道ランニング(6Km〜7Km)
 食事(納豆・ニンニク・キノコ・などなど)
 食事は原則、一日2食(朝&夕)
 睡眠(定時厳守) 概ね11:00〜7:00

 幸い現在のところ、血圧・血液検査など定期検診では異常なし。特に服薬も無し。歯科は定期検診通院(歯石取りと口腔点検)。

 しかしながら、いつ何時、どんな病気に見舞われるか分かりません。そんなときには延命治療だけはしないと決め、子ども達にもしっかり伝えてあります。

 また、そんな「とき」を迎えたとき、ジタバタしないような一日一日を過ごすとともに、今年こそは「断捨離」(身の回りの物品を捨てまくる)を実行しようと決意しています。

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天国に一番近い里にて
花桃の咲き広がれる丘に立ち来し方思ふ天空(あお


 4月1日、今年で3年連続「花桃の里」(邑南町口羽)へ行ってきました。これまで2回とも、時期がずれていて満開の「花桃」を見ることが出来ませんでしたが、今年は見事「満開ど真ん中」を堪能することが出来ました。


花桃の里ホームページより引用

 「天国に一番近い里」と呼ばれる人口わずか13人の川角(かいずみ)集落で休耕地が目立つようになってきたところへ毎年花桃の木を植え始めたそう。

 今では2000本以上の花桃の木が植えられています。集落一帯に花桃が植えられているので、道沿いを歩きながら鑑賞できます。

 開花期間は4月の上旬ころとわずかな期間ではありますが、「花桃祭り」も毎年開催されており、地元の食材を用いたお弁当や漬物などの販売も行われます。

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 しばらくの間、見晴台の丘に佇み、先日読んだ『老い方道場』(早川一光:著)の内容を心の中で反すうしていました。

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過日
『老い方道場』(早川一光:著)を読みました。
その中から
手元のノートにメモした内容の一端を紹介します。




『老い方道場』

老けると老いるとは違う。

老けるというのは、無気力・無関心・無感動


老いるは、正常。
若い頃と今とを比べて嘆かない。
老いることを異常と考えていない。
残っている「いいところ」を大切に
一日一日を充実させる生き方。


死を見つめると、いかに今日を生きていくか?
いかに今日を豊かに充実させていくか?
そういう視点で自分を見つめるようになる。
好きなこと、興味のあることを中心に


ありがとうという気持ちを大事にして
笑いながら老いていく。
そういう生き方をすると
自然に「死」を受容するようになる。


ヒトは歩んできたように(生きてきたように)
死んでいく。

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早川 一光(はやかわ・かずてる)さん

1924年生まれ。愛知県出身。(死亡日: 2018年6月2日
京都府立医科大学卒業後、京都市上京区西陣に住民出資の白峰診療所を開設。
診療所が発展して開設された堀川病院で院長、理事長を歴任し、
往診や訪問看護など在宅医療に力を入れた。
現在の「認知症の人と家族の会」の立ち上げにも尽力。
医学や哲学、宗教などの枠を超えて人間を考える「総合人間学」を唱えた。
NHKでドラマ化された「わらじ医者京日記」(第34回毎日出版文化賞)など著書多数。


ヒトは歩んできたように死んでいく


 特に標題の言葉が印象に残りました。

 きょうは雲南病院に叔母(亡父の妹:94歳)を見舞いました。長い間、役場職員(保健婦)として世の中に貢献し、余生は仁多郡八代に過ごしていました。が、90歳を超えるとさすがに心身が衰え、今は病床生活です。

 何度も何度も「自分は元気だ、心配するな。それよりアンタは元気にしているか?」と私のことを気にかけてくれていました。

 これ以上元気になるようなことはないかも知れない、どうか苦しむことなく余生を過ごしてくださいと、心の中で祈りながらのお見舞いでした。

 かくいう私も気が付けば? はや70歳。自分ではそう思いたくはありませんが、立派に「高齢者」です。ヒトに尽くすといっても、若いときのようなわけには行きません。

 幸い、依然として「要約学習」の授業に呼んでもらっています。まずは、一時間一時間の授業に全力投球。子ども達の生活にぜひ「図式」を持たせてやるべく誠心誠意臨んでいきたいと決意を新たにしています。

 また、今年で3期目10年目となる「教育委員」、今年度から2年間「上来島自治振興協議会」会長、赤名短歌会の世話役(会長)、頓原短歌会への関わり(指導講師)、朝日新聞「しまね歌壇」(選者)、赤来囲碁クラブのお世話(事務局長)、……いずれも滅私奉公の精神を大事に、何とか皆様に貢献していきたいと、これまた決意を新たにしているところです。

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