「き・く・あ」の実践
競わない 比べない 争わない

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2019.12.1(日)


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心当てのない
いわゆる迷惑メールが入ってきたとき
即座に「迷惑メールトレイ」へ
次回の着信から
自動的に放り込むようにしています。

しかし
迷惑メールの中にも
有益なものもあるものです。

先日は
ちょうど本で読んだ内容とダブる
「なるほど」と再認識させられる
そういう内容のメールが
飛び込んできました。

まずは
そのメール先アドレスと
内容をコピーして
紹介します。




From:辻秀一
(※ブログで読む→http://www.drmaltz.jp/?p=13433)



おはようございます。
スポーツドクターの辻秀一です。

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事故や病気などにより、
彼らは車椅子生活を
余儀なくされているにもかかわらず
不自由な身体にめげずに
パラリンピック出場へと
我が身を駆り立てておられる方があります。

そんな彼らは、とても
「今に生きる」力が高いと感じます。

あのとき、何であの車に
乗ってしまったのだろう…

あの車に乗りさえしなければ
事故に遭わずに済んだのに…

なぜ、何が原因で病気になり
足を切断しなければならなかったのか…

このようなことをいくら考えても、
事故で失った足も、病気で切断した足も
戻ってはきません。

いくら後悔しても、
過去を変えることはできないのです。




同時に、
このような経験をしている彼らは、
明日は何が起きるか分からない、
ということを痛感しています。


彼らも自分が事故や病気に
巻き込まれるなんて
思っていなかったでしょう。

いつも通りの明日がくると思い、
毎日を生きていたはずです。



しかし、事故や病気は突然やってきます。

いきなり明日を奪われるという経験を
彼らはしているのです。

そのような経験があったからか、
彼らと一緒にると、
とても「今に生きる」力の高さを感じます。



多くの人は「明日がある」と思っています。

しかし、「明日がある」と
「今は 2 度と無い」は
違うのだということを
分かっていない人が
多すぎるのではないでしょうか。


明日があるという
保証があったとしても、
今を適当に生きて良いことの
理由にはならないのです。

このことを、みんな
忘れている気がします。



昔は、明日の生活が
保証されていませんでした。
今日食べるものもままならない中で、
「今に生きる」
「今出来ることをする」
「今に全力を注ぐ」

といったことが自然と出来ていました。

しかし、モノが溢れ、
衣食住が保証されている現代、
わたしたちは明日が保証されていると
思い込んでしまっています。

そのため、今に生きる力が
弱まってきているのです。



明日がある、
という幻想を抱いているため、
先延ばしをしても
大丈夫だと思い込んでいます。

果たしてそれで、
充実した人生を送れるでしょうか?

過去のことばかり考えたり、
未来のことを妄想したりするだけで、
人生の質が上がるのでしょうか?



わたしはそうは思いません。

人生の質は、今、この瞬間に
生きると考えることから始まります。


まずは、今に生きると考えてみてください。

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「き・く・あ」の実践


 先日、書店で『「き・く・あ」の実践』という背表紙を目にして、気になって、ふと本を開いてぱらぱらめくってみました。 ……「き・く・あ」とは、正観さんのつくった造語。
き =競わない、
く =比べない、
あ =争わない

の略であることが分かりました。

 学校で私たちが教わってきた価値観は、「競うこと、比べること、争うこと、戦うこと、抜きん出ることが、幸せを手に入れる道である」ということです。

 だから、夢や希望、目標設定を高く持ち、そこへ向かって、人と競って比べて争って、必死になって努力しなくては、と思って来たのではないでしょうか。

 そしてこのことが、肝心の「幸せを感じる」ことを妨げてしまっていたようなのです。


 これが、本書で語られている主旨です。

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当たり前のこと


 「競うこと、比べること、争うこと、戦うこと、抜きん出ることが、幸せを手に入れる道である。」

 私自身の教員生活を振り返るとき、あながち間違った指摘とは思いません。「幸せを手に入れる道」という、そこまでストレートな思いではないにしても、私の中に、確かにそういう「考え方」がありました。

 では、今はどうなのか?

 「みんな違って、みんないい」とは、金子みすず の言葉ですが、人それぞれに「幸せの価値観」は違います。「これが、こういう状態が幸せな姿だ」と断言することは、少し無理があります。

 「自由に時間を使っていい」、「いちばん幸せを感じる時間帯にしなさい」と言われたとき、まさに十人十色。犬と散歩、温泉、釣り、囲碁、読書、コーヒータイム、リースづくり、映画鑑賞、パチンコ、草花の世話、森林浴、……。いろんな回答が返ってくると思います。

 ただし、これらは限定された「幸せ」でしかありません。永続的な「幸せ」を考えるとき、今の私は、冒頭に紹介した「辻 秀一」さんのメール内容が、念頭にあります。

 競わない、比べない、争わない、戦わない、抜きん出ることもない。「今の今」を大事に生きる。日常の時間を愛おしみながら過ごす。 ……まさに、私の座右の銘「一期一会」に通じる考えです。

 考えてみれば、今自分がここにあること、自由に過ごせる時間があること、健康に過ごせていること、衣食住が満たされていること、家族がいること、愛する人がいること、……。こういう「意識しないと自覚できにくい、
当たり前のこと」が、どんなに「幸せ」であることか。

 「辻 秀一」さんのメールを読みながら、「今自分の心に在る考え方」を文章にしてもらっている気がしました。

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競う・比べる・戦う……


 「競うこと、比べること、争うこと、戦うこと、抜きん出ることが、幸せを手に入れる道である。」

 教員生活をしているとき、なぜ上記の考え方が自分の中にあったのか?

 時は「高度成長時代」にありました。学力が高ければ高いほど、選択できる高校・大学が増えます。就職にしても、同じ図式でした。自分自身を振り返っても、自分の将来を切り開くために、二度と戻らぬ青春時代、つらく苦しい(受験)勉強に励み続けてきたと言えます。


 部活動にしてもそうでした。スポーツそのものが、基本的に
「競うこと、比べること、争うこと、戦うこと、抜きん出ることが、幸せを手に入れる道である。」そのものです。

 つらく苦しい、逃げ出したい、……そういう苦難に、あえて飛び込んで格闘していく。乗り越えていく。そこに「部活動の意義」があると思いこんできました。

 「部活動が終わって何が残るのか?」……、それはいつも私の(顧問としての)脳裏を過ぎる課題であり続けました。そういう中にあって「めざせ優勝!」は、苦しさを乗り越える「励み」として位置づけていました。


 私は、今でも思います。子ども達には、(他人と、そして自分と)競うことによって能力をぐんぐん伸ばしてほしい! と、それが飛躍的に能力を伸ばす秘訣だと、……。そして、世の中に出れば、決して甘くはない。競う・比べる・戦うことのふんだんにある世界だと、……。

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「き・く・あ」の実践
〜著者;小林正観〜


 せっかくですので、標題の著書からいくつかを紹介します。

偉い・立派だ・素晴らしい と言われることを求めるな。


 自分自身の心の中をのぞき見るとき、少なくとも「今」は、「偉い・立派だ・素晴らしい と言われることを求め」て、何か行動しようは考えていません。「喜ばれること」「役に立つこと」という思いが、最上層にあります。大事にしていきたいと再認識させられました。

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人は「今」しか生きられない。刹那を最大限、大事に生きる。


 まさに「一期一会」。 ……日常生活の中で、ふと忘れがちではありますが、大事にしていきたいと思います。

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「我が家の玄関の額」
〜退職時、書道家:本間美智子さんからのプレゼント〜



良寛は貧しすぎて、人にあげるものがない。だから、せめて言葉を贈り物にしよう。


 良寛の和歌は好きです。こだわりがなく、自然体で詠われているからです。

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この里に 手鞠つきつつ 子供らと
遊ぶ春日は 暮れずともよし

形見とて 何か残さむ 春は花
山ほととぎす 秋はもみぢ葉

秋の野に だれ聞けとてか よもすがら
声ふり立てて 鈴虫の鳴く

何ごとも みな昔とぞ なりにける
花に涙を そそぐ今日かも
(親友の訃報に……)

里辺には 笛や鼓の 音すなり
深山(みやま)は松の 声ばかりして

朝霧に 立ちこめられし もみぢ葉の
かすかに見ゆる 寺の山かも

ともしびの 消えていづくへ 行くやらむ
草むらごとに 虫の声する

こと足らぬ 身とは思はじ 柴の戸に
月もありけり 花もありけり

わが宿の 竹の林を うち越して
吹きくる風の 音の清さよ

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【良寛の戒語】


「手柄話を得意になってしてはいけない」 
他人が不愉快な思いをするから。


「自分の意地を通してはいけない」 
相手のことも考えるべきである。


「自分で確かめもしないのに想像や憶測でものを言ってはいけない」
想像は、だいたいが現実とは違うものである。これは争いのもとにもなる。


「親切そうなふりをしてはいけない」
本当は、いざとなったら逃げるかもしれないのに、見せかけの親切はやめなさい。


「人の話の腰を折ってはいけない」
人の話はよく聞くこと


「挨拶は適当にしてはいけない」
挨拶は、だれにでも心をこめて丁寧におこないなさい。にこやかにおこないなさい。


「人を差別するようなことを言ってはいけない」
人間はだれでも平等である。 


「その人が気にしていることを言ってはならない」
自分も気にしていることを言われるのはいやだろう、それならば、人にも言ってはいけない。


「心の中で怒りながら人に理屈を説いてはいけない」
怒っている人の言うことは、それがたとえ正しくても、素直に聞けないものである。
説教をするときは、静かに、落ち着いて。
 

「知らないことを知っているふうに言うのはよくない」
知らないことは知らないとはっきり言うこと 知ったかぶりをしても、やがてポロが出るものだ。


「他人がいる前で人を叱ってはいけない」
たとえ本人に落ち度があっても、恥ずかしい思いをさせられては、素直に聞くことができないだろう。
 

「相手に対して嫌な感情をもって人を叱ってはいけない」
 叱るときは、愛情をもってしかること。にくきこころがあってはならない。


「自分が悪いのに他人に責任を転嫁して責めてはならない」
他人のミスを自分がかぶる、ぐらいの心の大きさがなくてはいけない。







玄宗は旅のあちこちで、多くの援助を受け続けました。そうでなければ、国禁を破った僧侶がインドまで行けるはずがありません。玄宗は出会いを大切にし、釈迦の説いた「刹那主義」を実践したのです。そのとき問われるのは、「人を大事にしているかどうか?」なのです。


 玄宗皇帝は、善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った、と言われています。

 ところで、「人を大事にしているかどうか?」 ……つらつら振り返りみるに、自信があるとは言えません。せめて、これからの日々の生活の中で、この「刹那主義」を、そして「一期一会」を意識していきたいと思ったことです。

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過去を悔やむことなく、未来を心配することなく、ただ一つ、「今の今に念を入れて生きる」こと。


 刹那主義と同じ理念です。過去はどんなに悔やんでも、変わることはありません。「変えることができる」とすれば、悔やまれる過去の出来事を「(かがみ」として、これからに生かすことしかありません。

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いろいろな問題は、7〜8割が、自分が変わることで解決できる。


 さまざまな課題・難題が、日々の生活では当然の如くあります。「自分が変わることで、大半が解決する」という教えは、これからに生かしていきたいと思います。

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「謙虚さ」とは、常に自分が未熟であることを自覚すること。完成された者ではないこと。向上の余地があること。そのように自覚した結果として、たゆまず勉強しつづけ、実践し続けることである。


 謙虚であるかどうかは別として、どこを見渡しても、自分自身の至らなさを思います。あとは、自覚を生かすために、たゆまぬ勉強と実践です。

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知足のつくばいには、「吾唯足知」と刻まれています。「幸せ」の根源は、満足することを知ることにある。今、自分が置かれている状況が、いかに「幸せ」の極致であるかを自覚すべきだ。


 「上見て暮らすな、下見て暮らせ」とは、部落差別のために造られた言葉との説があります。
 が、私は「他人を羨ましがるのではなく、自分は恵まれていると思って自分の足元を見て暮らせ。」という儒教の教えだと思っています。

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「明るさ、温かさ、優しさの要素を持っている人は、そばにいてくれるだけで自然に心が和む。逆に、「自我」(欲望・執着・不平不満・怒りなど)の強い人は、そばにいるだけで息苦しさを感じさせられる。


 なるほど、確かに側にいるだけで心が安らぐ人がいる一方で、逆に息苦しさを感じる人もいます。さて、自分自身はどうなんでしょうか?

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人間は、否定的な言葉を言ったり聞いたりしていると、心身共にダメージを受ける。生きるエネルギーがダウンしていく。「否定的な言葉」とは、つらい・くるしい・悲しい・つまらない・いやだ・疲れた、愚痴、泣き言、悪口、文句、恨み言葉、憎しみに満ちた言葉などである。

「あ〜、私は幸せ!」と独り言でもいいから言いなさい。その言葉は、自分自身やまわりの潜在意識に働きかけ、エネルギーとなる。


 私は元来、どちらかというと「楽天的」だと思っています。東京で観てもらったコンピュータ手相診断では、「楽天的なトラ」と出てきました。生まれは卯年(ウサギ)なのに、……。

楽天的なトラ
=意志が強く公平なジャッジマン。
主観や先入観を持たずに、客観的にものを見ることができる人。誰とでも平等に付き合う。筋の通らないことは絶対に譲らない。自分には厳しいけれど他人には優しく、周囲への奉仕的精神が強い。自分の目指すゴールに一途に向かっていくファイトも持っている

 少なくとも、今の生活の左右前後を眺め回しても、否定的言葉や、恨み辛みの言葉は浮かんできません。

 これから、どんな出来事、境遇に出会うか分かりません。そういうときに、果たして楽天的(プラス思考)の自分で居られるかどうか、……。そこが問題です。

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将来の病気に備えて貯金している人は、やがてその貯金を病気のために使うことになります。未来のことを心配すると、その現象を引き寄せることになります。


 なるほど、含蓄のある言葉です。

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空腹があるから食事が美味しい。暑いという現象があるから、寒い、涼しいという感覚が生まれる。悲しみがあるから、喜びを感じることができる。


 これまた、当たり前ではありますが、含蓄のある言葉です。
 自分自身のことを考えると、つらく苦しい状況に陥ったときに、ふと昔のつらかった時期のことを思い浮かべることがあります。そして、このぐらいはたいしたことではない、乗り越えなくては! という勇気がわきます。
 そういう意味で、安楽な生活ばかりが過去にあるというのは、あまりいいことではないかも知れません。

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同じ現象でも、「腐敗」であったり、「発酵」であったりする。


 腐敗か発酵かは、ひとえに人間様からの見立てでしかありません。それにしても、一つの出来事を考えるとき、どの視点から観るのか? ……大事な側面です。

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ガンを宣告された人が一念発起、さまざまな健康法、食事療法を始めた。さまざまな依頼ごとは、ガンが完治してからと断り続けた。しかし、5年経ったときふと、「自分は何のために生きているのだろうか?」と考えた。そして、「病気を治してから、……」という考え方では、今この瞬間を生きている意味がないと悟った。
 もし、神が存在していたなら、その人がどんな病気を背負って生きているかが問題ではない。病気であろうが何であろうが、与えられた状況の中で、「まわりの人に喜ばれるようなことをしよう」と考えたら、神は、もうちょっとこの人は長生きをさせてやろうと考えるのではないか。


 学生時代の友が約8ヶ月間、ガンと闘い続けて、早春3月に命を召されました。

 無くなる前年、第41回目の同窓会(毎年)を城之崎温泉で開催。車いすながら、彼も参加することができました。

       

 ところで、自分が同じ立場に立たされたら、彼のようにガンと立ち向かえるだろうか? と、ふと考えることがあります。

 3人に1人はガンで死ぬという時代です。実際には、どのようなガンかにもよります。ガンが宣告されてみないと分かりません。が、たぶん彼のように「立ち向かう」というイメージが、自分にはわきません。恐らくは、ガンを受け入れるのではないかと思います。

 しかしながら、上の「神が存在していたら」で示唆しているように、「病気であろうが何であろうが、まわりの人に喜ばれるようなことをしよう!」という、一段高い、崇高な生き方があると知りました。

 いや、これはさすがに私にはハードルが高そうです。自分自身のことを考えるに、精一杯のような気がします。

 この問題は、考えていると心が暗くなりそうなので、ひとまず先送りです。そして、彼の前向きで直向きな戦う姿に、心からエールを改めて送ります。

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唐変木の脳腫瘍日記


 5月15日(木)        〜唐変木の妻より〜

 夫は3月9日午後3時半、安らかに涅槃の世界に旅立ちました。生前から「最後のブログはお前が書け!」と言われていました。

 夫が最後にブログを発信した昨年11月10日以来の経過を記して、最後のブログとします。



 夫は自宅で生活しながら、月一回程度O医科大学付属病院へ診察してもらいに通っていましたが、左半身麻痺(左手と左足が動かない)の状態で「このままで生きる」ことについての希望を失い、抗ガン剤テモダールの服用を拒否し2ヶ月ほど飲まないでいました。

 昨年12月27日、O医科大学付属病院でのMRI画像診断(3ヶ月ぶり)で「再発」の宣告を受け、「抗ガン剤を続けるように」と主治医の先生から厳しく諭されました。本人もこんなに早く顕著な変化が起きるとは思っていなかったようで、抗ガン剤の服用を再開しました。しかし、本人にとってはいよいよ来るべき時が近づいてきたという気持ちになり、年が明けると「これが自分の最後の正月になる」と言い、朝がくる度に「今日が自分の命日だ。世話になった、有り難う。バイバイ。」とお別れの練習を繰り返していました。

 最後にO医科大学付属病院に診察に行ったのは、1月17日でした。自宅から病院まで3時間弱かかるのと、病院での待ち時間もあり、帰路は疲れが出てしまい、自宅近くのY病院へ直行して点滴をしてもらうほどでした。自宅には戻ったものの、結局、体調が戻らず1月23日に近くのY病院に緊急入院しました。お腹をひどく下しており、「ノロウィルス」が原因でした。それ以後は食欲も落ち、車いすでトイレにも行けなくなり、ベットから起きあがることもできなくなりました。この頃は、「ここはインドネシアじゃないのか?」「いつ日本に帰ってきたのか?よく帰って来れたなぁ。」などすごく大変な旅をしている夢うつつの状態が続いていましたが、結構それはそれで楽しそうでもありました。

 しかし、食欲はないままで体力は落ち、2月28日に予定していたO医科大学付属病院への通院は断念し、以前から夫が望んでいた京都市内のホスピスへの入院の申し込みをしました(結局、入院待ちで終わりました)。

 

 3月に入り、3月6日、京都市内で一人暮らしをしながら励まして下さっていた夫のお父さん(94歳)が急に亡くなられました。夫はお父さん(お父さんはいつも夫に向かって「何でも順番があるので、わしより先に逝くことはならんぞ!」といっておられました)の急逝を知り、驚いた様子でしたが、最後は安心し「よかった」という表情になりました。

 そして、そのお父さんの通夜の日の午後から夫もけいれんが始まり、CTの結果、脳幹の入り口に腫瘍が達していることが分かり、けいれんは治まったもののお父さんの葬儀の3月9日午後3時半安らかに息を引き取りました。私は、京都で夫の急変を知り、お父さんの葬儀には出ずに夫のいる病院に戻り、最期は「もうすぐ逝けるからね。頑張って!有り難う!」と夫の旅立ちを励ましていました。

 息を引き取ってからの彼の顔は苦しみから解放され、安らかなまるで仏様のようなきれいな顔でした。私の心も「これでよかった」と大きな安堵の気持ちになりました。

 

 3月12日に葬儀、そして4月20日にお父さんと一緒に納骨を済ませました。一気に大切な人を二人も亡くして残された私たちは驚き、悲しんでいましたが、二人仲良く涅槃の世界へ旅立ったかと思うと安堵の気持ちになってきました。本当に最後の最後まで仲のよい親子でした。

 時間が経つにつれて、このブログを読み返してみても、夫がどれだけ気丈に冷静に脳腫瘍という病気と闘ってきたのか、そして自分の人間としての尊厳をかけて悔しい辛い想いを伝えようとしていたのかがよく分かるようになりました。しかし、彼の人生は最後までどんなことも自分で考え、自分で決めた人生だったなぁとあっぱれに思います。私も夫の頑張りに負けないように、人間が「最期まで自分らしく生きる」ことの大切さについてこれからも考えていきたいです。

 

 夫は、毎日のようにブログの訪問者数を見て、人に伝えること、人とつながることに喜びを感じていました。ブログを読んでいただき、本当に有り難うございました。また、お世話になりましたみなさま方に感謝の気持ちでいっぱいです。

 今は亡き夫と共に、みなさんに感謝し、みなさんのご多幸をお祈りします。           唐変木の妻より。

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皮肉なことがあるものです。
先日
写真の本を読みました。
何と
著名な脳外科医が
悪性の脳腫瘍であることが発覚。
闘病生活の1年9ヶ月間
日々の手記を
率直に正直に記録した
注目すべき闘病記です。
彼(脳のガンと闘った友人)のことを思い浮かべながら
胸に迫る思いで
一気に読みました、……。






良寛の俳句


雪とけて村いっぱいの子どもかな
 
春雨や食はれ残りの鴨(かも)が鳴く
 
大根(だいこ)引き大根で道を教へけり
 
めでたさも中位(ちゆうくらゐ)なりおらが春
 
悠然(いうぜん)として山を見る蛙(かへる)かな
 
われと来て遊べや親のない雀
 
雀の子そこのけそこのけお馬が通る
 
やせ蛙(がへる)まけるな一茶これにあり
 
鳴く猫に赤ん目をして手まりかな
 
涼風(すずかぜ)の曲がりくねつて来たりけり
 
大蛍(おほぼたる)ゆらりゆらりと通りけり
 
大の字に寝て涼しさよ寂しさよ
 
麦秋(むぎあき)や子を負ひながらいはし売り
 
やれ打つな蝿(はへ)が手をすり足をする
 
名月をとってくれろと泣く子かな
 
仰(あふ)のけに落ちて鳴きけり秋の蝉(せみ)
 
秋風に歩いて逃げる蛍(ほたる)かな
 
木曽山(きそさん)へ流れ込みけり天の川
 
露の世は露の世ながらさりながら
 
これがまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺
 
うまさうな雪がふうはりふうはりと
 
ともかくもあなたまかせの年の暮(くれ)
 
うつくしや年暮れきりし夜の空









良寛の和歌


なにとなく 心さやぎて いねられず
あしたは春の はじめと思へば


むらぎもの 心楽しも 春の日に
鳥のむらがり 遊ぶを見れば

五月雨の 晴れ間に出でて 眺むれば
青田涼しく 風渡るなり

この里の 桃の盛りに 来て見れば
流れにうつる 花のくれなゐ

佐渡島の 山はかすみの 眉ひきて
夕陽まばゆき 春の海原

ひさかたの 天ぎる雪と 見るまでに
降るは桜の 花にぞありける

もみぢ葉は 散りはするとも 谷川に
影だに残せ 秋の形見に

何ごとも 移りのみゆく 世の中に
花は昔の 春に変はらず


かぐはしき 桜の花の 空に散る
春の夕べは 暮れずもあらなむ