せっかくですので、標題の著書からいくつかを紹介します。
偉い・立派だ・素晴らしい と言われることを求めるな。
自分自身の心の中をのぞき見るとき、少なくとも「今」は、「偉い・立派だ・素晴らしい と言われることを求め」て、何か行動しようは考えていません。「喜ばれること」「役に立つこと」という思いが、最上層にあります。大事にしていきたいと再認識させられました。
|
.
|
人は「今」しか生きられない。刹那を最大限、大事に生きる。
まさに「一期一会」。 ……日常生活の中で、ふと忘れがちではありますが、大事にしていきたいと思います。
|
.
|

「我が家の玄関の額」
〜退職時、書道家:本間美智子さんからのプレゼント〜
良寛は貧しすぎて、人にあげるものがない。だから、せめて言葉を贈り物にしよう。
良寛の和歌は好きです。こだわりがなく、自然体で詠われているからです。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
この里に 手鞠つきつつ 子供らと
遊ぶ春日は 暮れずともよし
形見とて 何か残さむ 春は花
山ほととぎす 秋はもみぢ葉
秋の野に だれ聞けとてか よもすがら
声ふり立てて 鈴虫の鳴く
何ごとも みな昔とぞ なりにける
花に涙を そそぐ今日かも(親友の訃報に……)
里辺には 笛や鼓の 音すなり
深山(みやま)は松の 声ばかりして
朝霧に 立ちこめられし もみぢ葉の
かすかに見ゆる 寺の山かも
ともしびの 消えていづくへ 行くやらむ
草むらごとに 虫の声する
こと足らぬ 身とは思はじ 柴の戸に
月もありけり 花もありけり
わが宿の 竹の林を うち越して
吹きくる風の 音の清さよ
|
.
|
【良寛の戒語】
「手柄話を得意になってしてはいけない」
他人が不愉快な思いをするから。
「自分の意地を通してはいけない」
相手のことも考えるべきである。
「自分で確かめもしないのに想像や憶測でものを言ってはいけない」
想像は、だいたいが現実とは違うものである。これは争いのもとにもなる。
「親切そうなふりをしてはいけない」
本当は、いざとなったら逃げるかもしれないのに、見せかけの親切はやめなさい。
「人の話の腰を折ってはいけない」
人の話はよく聞くこと
「挨拶は適当にしてはいけない」
挨拶は、だれにでも心をこめて丁寧におこないなさい。にこやかにおこないなさい。
「人を差別するようなことを言ってはいけない」
人間はだれでも平等である。
「その人が気にしていることを言ってはならない」
自分も気にしていることを言われるのはいやだろう、それならば、人にも言ってはいけない。
「心の中で怒りながら人に理屈を説いてはいけない」
怒っている人の言うことは、それがたとえ正しくても、素直に聞けないものである。
説教をするときは、静かに、落ち着いて。
「知らないことを知っているふうに言うのはよくない」
知らないことは知らないとはっきり言うこと 知ったかぶりをしても、やがてポロが出るものだ。
「他人がいる前で人を叱ってはいけない」
たとえ本人に落ち度があっても、恥ずかしい思いをさせられては、素直に聞くことができないだろう。
「相手に対して嫌な感情をもって人を叱ってはいけない」
叱るときは、愛情をもってしかること。にくきこころがあってはならない。
「自分が悪いのに他人に責任を転嫁して責めてはならない」
他人のミスを自分がかぶる、ぐらいの心の大きさがなくてはいけない。
玄宗は旅のあちこちで、多くの援助を受け続けました。そうでなければ、国禁を破った僧侶がインドまで行けるはずがありません。玄宗は出会いを大切にし、釈迦の説いた「刹那主義」を実践したのです。そのとき問われるのは、「人を大事にしているかどうか?」なのです。
玄宗皇帝は、善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った、と言われています。
ところで、「人を大事にしているかどうか?」 ……つらつら振り返りみるに、自信があるとは言えません。せめて、これからの日々の生活の中で、この「刹那主義」を、そして「一期一会」を意識していきたいと思ったことです。
|
.
|
過去を悔やむことなく、未来を心配することなく、ただ一つ、「今の今に念を入れて生きる」こと。
刹那主義と同じ理念です。過去はどんなに悔やんでも、変わることはありません。「変えることができる」とすれば、悔やまれる過去の出来事を「鑑」として、これからに生かすことしかありません。
|
.
|
いろいろな問題は、7〜8割が、自分が変わることで解決できる。
さまざまな課題・難題が、日々の生活では当然の如くあります。「自分が変わることで、大半が解決する」という教えは、これからに生かしていきたいと思います。
|
.
|
「謙虚さ」とは、常に自分が未熟であることを自覚すること。完成された者ではないこと。向上の余地があること。そのように自覚した結果として、たゆまず勉強しつづけ、実践し続けることである。
謙虚であるかどうかは別として、どこを見渡しても、自分自身の至らなさを思います。あとは、自覚を生かすために、たゆまぬ勉強と実践です。
|
. |
知足のつくばいには、「吾唯足知」と刻まれています。「幸せ」の根源は、満足することを知ることにある。今、自分が置かれている状況が、いかに「幸せ」の極致であるかを自覚すべきだ。
「上見て暮らすな、下見て暮らせ」とは、部落差別のために造られた言葉との説があります。
が、私は「他人を羨ましがるのではなく、自分は恵まれていると思って自分の足元を見て暮らせ。」という儒教の教えだと思っています。
|
.
|
「明るさ、温かさ、優しさの要素を持っている人は、そばにいてくれるだけで自然に心が和む。逆に、「自我」(欲望・執着・不平不満・怒りなど)の強い人は、そばにいるだけで息苦しさを感じさせられる。
なるほど、確かに側にいるだけで心が安らぐ人がいる一方で、逆に息苦しさを感じる人もいます。さて、自分自身はどうなんでしょうか?
|
.
|
人間は、否定的な言葉を言ったり聞いたりしていると、心身共にダメージを受ける。生きるエネルギーがダウンしていく。「否定的な言葉」とは、つらい・くるしい・悲しい・つまらない・いやだ・疲れた、愚痴、泣き言、悪口、文句、恨み言葉、憎しみに満ちた言葉などである。
「あ〜、私は幸せ!」と独り言でもいいから言いなさい。その言葉は、自分自身やまわりの潜在意識に働きかけ、エネルギーとなる。
私は元来、どちらかというと「楽天的」だと思っています。東京で観てもらったコンピュータ手相診断では、「楽天的なトラ」と出てきました。生まれは卯年(ウサギ)なのに、……。
楽天的なトラ
=意志が強く公平なジャッジマン。
主観や先入観を持たずに、客観的にものを見ることができる人。誰とでも平等に付き合う。筋の通らないことは絶対に譲らない。自分には厳しいけれど他人には優しく、周囲への奉仕的精神が強い。自分の目指すゴールに一途に向かっていくファイトも持っている
少なくとも、今の生活の左右前後を眺め回しても、否定的言葉や、恨み辛みの言葉は浮かんできません。
これから、どんな出来事、境遇に出会うか分かりません。そういうときに、果たして楽天的(プラス思考)の自分で居られるかどうか、……。そこが問題です。
|
. |
将来の病気に備えて貯金している人は、やがてその貯金を病気のために使うことになります。未来のことを心配すると、その現象を引き寄せることになります。
空腹があるから食事が美味しい。暑いという現象があるから、寒い、涼しいという感覚が生まれる。悲しみがあるから、喜びを感じることができる。
これまた、当たり前ではありますが、含蓄のある言葉です。
自分自身のことを考えると、つらく苦しい状況に陥ったときに、ふと昔のつらかった時期のことを思い浮かべることがあります。そして、このぐらいはたいしたことではない、乗り越えなくては! という勇気がわきます。
そういう意味で、安楽な生活ばかりが過去にあるというのは、あまりいいことではないかも知れません。
|
. |
同じ現象でも、「腐敗」であったり、「発酵」であったりする。
腐敗か発酵かは、ひとえに人間様からの見立てでしかありません。それにしても、一つの出来事を考えるとき、どの視点から観るのか? ……大事な側面です。
|
. |
ガンを宣告された人が一念発起、さまざまな健康法、食事療法を始めた。さまざまな依頼ごとは、ガンが完治してからと断り続けた。しかし、5年経ったときふと、「自分は何のために生きているのだろうか?」と考えた。そして、「病気を治してから、……」という考え方では、今この瞬間を生きている意味がないと悟った。
もし、神が存在していたなら、その人がどんな病気を背負って生きているかが問題ではない。病気であろうが何であろうが、与えられた状況の中で、「まわりの人に喜ばれるようなことをしよう」と考えたら、神は、もうちょっとこの人は長生きをさせてやろうと考えるのではないか。
学生時代の友が約8ヶ月間、ガンと闘い続けて、早春3月に命を召されました。
無くなる前年、第41回目の同窓会(毎年)を城之崎温泉で開催。車いすながら、彼も参加することができました。

ところで、自分が同じ立場に立たされたら、彼のようにガンと立ち向かえるだろうか? と、ふと考えることがあります。
3人に1人はガンで死ぬという時代です。実際には、どのようなガンかにもよります。ガンが宣告されてみないと分かりません。が、たぶん彼のように「立ち向かう」というイメージが、自分にはわきません。恐らくは、ガンを受け入れるのではないかと思います。
しかしながら、上の「神が存在していたら」で示唆しているように、「病気であろうが何であろうが、まわりの人に喜ばれるようなことをしよう!」という、一段高い、崇高な生き方があると知りました。
いや、これはさすがに私にはハードルが高そうです。自分自身のことを考えるに、精一杯のような気がします。
この問題は、考えていると心が暗くなりそうなので、ひとまず先送りです。そして、彼の前向きで直向きな戦う姿に、心からエールを改めて送ります。
|
. |